第三話「『奈落の林檎』消失事件」
第三話「『奈落の林檎』消失事件」
翌日。
放課後になってもラスクは探偵部の部室に姿を見せなかった。これまでは『あんなやつ居なくても』と思っていたのだが、こうして一人きりで部室にいると、思いの外、静かで寂しい感じになっていた。隣の生徒会室から声が聞こえてきている。話は分からないが楽しそうだった。
昨日の捜査は捗らなかった。
ラスクを追いかけようにもタイミングを逸してしまったので、気持ちを切り替えて捜査をしようとしたがまるで集中できなかった。数件、聞き込みをしただけで終えてしまった。帰り際に委員長にまで心配されてしまった。『早く謝った方が良いですわよ』と。
勝手に勘違いしたあいつが悪いんじゃないか。
俺は絶対に謝らない。そう決めていた。
でも、俺の手にはノートがあるのだ。これは持ち主に返さなくてはならない。俺とラスクはクラスが違うので、相手の所まで出向く必要があった。これがハードルを上げていた。また口喧嘩になったら目立つだろうなという不安があった。
そういう訳で、俺の手元にはまだラスクのノートがあった。
もしかしたら今日も図書館で捜査をしているかもしれない。俺はそう予想して、そこでラスクにノートを返せるではないかと期待をする。早速、図書館に向かってみた。
だが、ラスクはここにも姿を見せてはいなかった。
忌々しい気持ちになって引き返そうとも考えたが、カウンターの近くにいた佐伯さんに声をかけられてしまう。
仲直りされたのですか? ……その様子ではまだ、のようですね
会う機会が作れなかったのですよ
そう言い訳しながら、荷物をカウンターに預けた。今日も捜査をしていこう。
思えば、決着をつけるために受けたこの依頼だ。だが、相手がいないのでは張り合いがない。
それでも、探偵部を名乗る以上解決しなくてはいけない。
ひとまず図書館の閲覧席について、捜査の方針を決めることにした。手元にはラスクのノートが置いてある。ふと現われた時に、すぐに渡せるようにしておいた。きっとラスクが現われるとしたら、サッと姿を見せて、ノートを奪うように取り返して、そして帰ってしまうだろう。
それでいいじゃないか。
別にあいつとは特別親しい訳でもないんだから。
そう思いながら、自然と俺はラスクのノートをぱらぱらと読んでしまっていた。人のノートを勝手に見ることは良くないと分かってはいたが、無意識にめくってしまっていた。
急いで閉じようとするが、そこには俺の気を引く情報が書かれていた。
検索情報を弄る方法……?
具体的なことは何一つ書かれていない。
しかし、その記述が俺の疑いを呼び起こした。早速、足早にカウンターの方へと向かった。
今日もカウンターには佐伯さんと金城くんがいた。突然やって来た俺に、二人とも驚いたような顔をしていたが、こちらは気にせずに、『検索情報を弄れるってのは本当か』と尋ねてみる。
二人は最初、何を言われているのか分からないという風な顔をしていたが、やがて金城くんの方が
可能と言えば可能です、けど
と遠慮しがちに答えてくれた。
どうやらこの図書館の検察システムは、カウンターのパソコンから『本と著者のタイトルを修正する』ことと『本のジャンルを変更する』ことが出来るようだった。貸出中の状態を変更するには司書の先生のIDが無いと行えないと佐伯さんは説明してくれる。勝手に生徒が貸出中の本を返却済みに変えたりはできないらしい。
その説明を受けて、俺は口を手で隠した。考える時の癖だ。
一昨日の聞き込み調査の結果を思い返す。
一巻だけを盗む心理が理解出来ない。そう答える人がほとんどだった。
それならば、考え方は一つしか無い。
犯人は一巻が欲しかったので盗んではいない。
あの一巻には、本としての一巻以外に何か別の価値があったのではないか?
次に俺は『奈落の林檎』の書架に早歩きで向かい、そして二巻を手に取ってめくり始めた。それを閉じると今度は三巻、そして四巻……。検索システムには奈落の林檎は四巻までしか表示されていなかった。それは、最初の日にラスクと一緒に確認していた。何かが引っかかる。検索システムは弄れる……。
一巻は最初から無かったのではないか?
いや、返却されたのを佐伯さんは確認しているはずだ。
様々な推理が頭の中で泡のように浮かんでは弾けて消えていく。
持ち出しを行うにはカッターで本を切る……。いや、本じゃない。本のバーコード部分を……。
ふと、口から手を離した。
その可能性があるのか。
俺は再び『奈落の林檎』の二巻を手にとって、目次と表紙紙を見てみた。そして、三巻と四巻を立て続けに取って同じようにチェックしてみる。
推理の目算が付いた。
俺はその裏付けのために検索システムが使えるパソコンに向かい、自分の推理が正しいかどうかを試してみた。何度も試してみる。
その結果、多くの謎と『奈落の林檎』の一巻がどこにあるのかを突き止められた。
事件の真相が分かってから、俺はすぐにこれを佐伯さんに伝えるべきか悩んだ。
もちろんそうするべきだっただろう。
でも、後日にそれを持ち越したのは、今こうして帰り道についていても不思議だった。頭の中にはラスクと、彼女のノートのことがあった。彼女のことを気にしているのか?
いやいや、と俺は首を振る。
そうだ。ただ単にあいつをギャフンと言わせたいだけなんだ。そうなんだ。俺は自分にそう言い聞かせて、真相を抱えたままで帰宅する。
次の日がやって来ると、まず俺はラスクの教室に何のためらいもなく出向いていた。手には彼女のノートがある。
クラスメートにラスクを呼び出してもらうと、彼女は明らかに不機嫌そうな顔をしていた。しかし、その表情の奥にどこか申し訳なさそうな、寂しそうな顔があるのを見てとった。それを確認できただけで俺には余裕が出来て、ノートを突き返しながら、やたら偉そうにこう言うことができた。
『奈落の林檎』の事件、解決してしまってね。放課後、図書館で全てを明らかにするつもりなのさ
それだけだった。
しかし、俺はこれ以上の誘い文句があるだろうかと内心でほくそ笑んでいた。
謎が解けたと聞かされて、気にならない探偵がいるはずがない。ましてや、片足を突っ込んでいる事件なんだ。クイズを聞かされて、考えて、そして答えを聞きたがらない人がいるだろうか。
放課後がやって来て、少し校舎をぶらついて時間を潰してから図書室へと入った。
俺に集まった視線は幾つかある。一つは佐伯委員長のもの。もう一つはカウンターで利用者の対応をしていた金城くん。そして最後は、御神楽ラスク。探偵部の、もう一人の探偵だった。
ゴドーさん! 休み時間に言ったこと、本当に本当デスか!
そのラスクの声を聞いて俺は嬉しくなってしまった。不機嫌な様子はどこにもなく、いつものような真剣で懸命な眼差しがそこにはあったからだ。
笑みをこらえて頷くと、謎を解くためにカウンターに向かい、そこに役者が揃っているのを確かめた。
最初に、『奈落の林檎』の一巻がどこにあるのかを見せたほうが良さそうだ
静かに言い放つと俺はその場に居た全員に、『奈落の林檎』のある書架に集まるように告げる。
だが、ラスクだけにはある指示を出した。
カッターを持ってきてくれないか。謎解きに必要なんだ
は、はい! 私、ペンケースに入れてます! 直ぐにご用意します!
荷物の所にまでラスクは戻って行き、俺は一足先に書架へと向かう。
そして、待っていた佐伯さんとカウンターに居た金城くんを交互に見てから、『奈落の林檎』の二巻の背表紙の上に指をかけて手に取った。
少し本に手荒な真似をするがあとで直す。あらかじめ謝っておこう
二人はきょとんとした様子だった。
はいっ! ゴドーさん! カッターナイフ、持ってきましたよっ! どうするんですっ?
ぱたぱたと走ってきたラスクからカッターを受け取って軽く礼を言い、そして俺は刃をゆっくりと出した。
そして、『奈落の林檎』二巻の表紙をめくり、そのカバーと文庫本とを張り付けていた透明なテープにそっと刃を当てると、軽く力を入れて一直線に引っ張った。
佐伯さんが両手で口元を押さえた。
図書室の文庫本は、たいてい、こうしてカバーと本とをテープで貼ってるよな。それを切ってやるとカバーが外れるようになってる。そして、見えるか?
俺はカバーを剥いた『奈落の林檎』二巻を皆に見せつけるように掲げた。
え……どういうことデスか?
カバーの下から出て来たのは、『奈落の林檎』一巻だった。
皆が驚いている顔をしている中、俺は余裕の表情をしていたけれども、実は内心でホッとしていた。自分の推理が正しいのは昨日のうちに確信が得られていたが、こうして実物を開いてみた訳ではない。この瞬間、初めて俺の推理は間違っていないという確証が完全に得られたのだ。
一巻には二巻のカバーがかけられてるのさ。二巻には三巻のものが、三巻には四巻のものが、それぞれかかってる。開いてみるか?
俺はカッターを片手に皆に尋ねてみるが、誰も『そうしよう』という人間がいなかったので、推理を続けることにする。
そうすると分かるな? この図書館から本当に無くなっているのは、『奈落の林檎』の四巻ということになる
ど、どうして四巻だけが無くなってるんデス? 事件はそれでは終わりません!
そう、終わらない。きっとこの四巻を持ち出したやつは、無くすか、それとも他の理由で、借りた四巻が返せない状態になったんだ
待ってくれるかしら。それなら、四巻のカバーだけを残して中身だけ抜き去ったって人がいるということ?
実際に四巻が無いのならそうなる
何のために?
それは……やったやつに聞けば分かるんじゃないかな
不安そうな皆を、今度は検索システムの所に案内した。その椅子に座って、俺はキーボードを操作する。
ラスクのノートを見て、ピンと来たんだ。この検索システム、情報を弄れるんだってな。それも司書の先生の権限無しで、タイトルと著者名を
え、ええ
佐伯さんは明らかに困惑しているようだった。
まずは、ここで『奈落の林檎』と検索するとしようかね
文字を素早く入力して結果を表示させてみた。検索結果には『奈落の林檎』が一巻から四巻までがちゃんと表示されている。
抜けてる本はありませんわ。一巻から四巻まで、ちゃんと……
しかしだね、昨日試してみたのさ。こうして、半角スペースを文字の間に挟んでみようじゃないか
俺は昨日発見した位置に半角スペースを入れて、『奈落の林 檎』で検索してみた。
この位置だと分かるまで、何回かスペースを入れて確かめさせてもらったよ。手間をかけさせる人だ、全く
スペースを入れて検索すると、画面には一件『奈落の林 檎』というのが表示されていた。
ええ? 何デスか? どうなってるんデスかっ?
こっちが本当の四巻の情報なんだ。さっきまで出ていたのは、ダミーの情報。大方、何かの本の著者名とタイトルを書き換えたんだろうぜ。誰も借りない本を選んでな
で、では、どうしてこの半角スペースの方の情報は残ってるんデスか? 情報を消してしまえばそれでおしまいなのでは?
そう出来ない理由があるのだよ
俺は『奈落の林 檎』の情報をクリックして表示させてみる。
そこにはダミー情報と同じ画面が現われるけれども、一箇所だけ違うところがあった。
貸出人が『金城 雅人』となっていることだった。
その名前を見て、俺はまたしてもにやけないように我慢しつつ後ろを振り返った。
そこには顔を真っ青にした男子図書委員の金城 雅人と、口を両手で押さえて目を見開いている佐伯さんの姿があった。
これにて事件は解決した。
図書委員の金城は全ての罪を認めて謝罪をしたらしいが、やつがどういう処分になったのか、そしてこれからどうなるのかは知らない。知る必要もないと考えていた。俺は事件を解決するだけだ。動機もどうでもいい。犯人に繋がる動機で無ければ、それはただの事情だ。そこまで気を回すほど俺は暇ではない。
しかし、暇な人間はどうやらいるようだった。
調べてきましたよ、ゴドーさん! 金城氏の事件の動機! 聞きたいデスか?
結構だ。静かにしてくれ。俺は探偵の修行中なのだ
俺は推理小説を片手にあしらうけれども、頬を膨らませたラスクはそれを奪い取ってきた。
『奈落の林檎』四巻はデスね、プレミアが付いているのデス! 何でも初版はあり得ないミスがあったようで、その後すぐに修正版が出ましたが、間違いがあった方はインターネットで多額で取引されているのが実態デス
ははあ
俺は机に肘をついて、いかにも興味が無さそうに欠伸をしながら話を聞く。
それで彼は中身を抜き取ってカバーを修正版にかけかえてネットで売り、そしていずれは修正版を図書館に持ってきて元に戻そうとしてたらしいデス
へええ
またしても俺は欠伸をする。
それにしても、どうしてあの半角スペースの方の情報には貸出人がそのまま残っていたんデスかね?
カバーを全て変えるのだよ? 借りて家で作業をするのが確実じゃないかね? でも、後になって貸出人の変更は司書でなければできないことに気がついた。データの掛け替えミスだ。カバーは変えられてもデータはそう簡単にいかなかったということだね
ふうむ。なるほど……
感心した様子でラスクはノートに俺の意見を書き加えていった。その様子を見てからかうように言う。
さて、これで探偵部の部長、『探偵』が誰かはっきりした訳だが
言いかけると、はっとした顔になってラスクはノートを閉じた。そして、机に手を突いてこちらに顔を寄せてきた。
ゴドーさん! 良いですか! 言ってみれば、この事件、私のノートがあってこそのものでしたよね! 検索システムのこと、佐伯さんから聞きました! 私のノートがヒントになったって!
ほほう、途中で調査を投げ出す人間が探偵として向いているか、向いてないか、はっきり分かるよな?
ぐ、ぐぐ……あ、あれは、金城さんが、調査の妨害のために荷物をいじったって……ですから、犯人の策略デス!
ま、金城のせいだしな。でも、早とちりしたのは事実だよなあ。やっぱり探偵は
駄目デス! こんなの認められません! 探偵部の部長の座は、まだ決まってませんからっ!
そう叫んでラスクは机を何度も叩いて悔しがっていた。
俺はその姿を見て、満足げに笑ってから推理小説を取り戻し、再びページをめくり始めるのだった。事件が無事に解決したことよりも、俺はこうしている時間が取り戻せたことを嬉しいと思い始めていた。