突然だが、俺、忍ヶ白(しのびがしら)茶助(さすけ)は、自分が『少し変わっている』と言う事を自覚している。
何故俺は『少し変わっている』のか。
その要因の1つを挙げるとすれば、我が家の立地だ。
………………
突然だが、俺、忍ヶ白(しのびがしら)茶助(さすけ)は、自分が『少し変わっている』と言う事を自覚している。
何故俺は『少し変わっている』のか。
その要因の1つを挙げるとすれば、我が家の立地だ。
我が家は敵襲の手を制限するため、小高い山の頂上に建っている。
門にたどり着くには石段を登る必要がある。段数で言えば600段程度か。
俺は幼い頃からその石段を登り降りして生活していた。
故に、数百段の石段程度、日常の一部。
小学生の頃、俺はその認識が世間からズレている事を実感した。いや、実感し始めた。
あれは初めてできた友人達を家に招いた時の事だ。
友人達を連れて、俺はいつも通り石段を登った訳だ。実にいつも通り、いつものペースで、滞りなく。
途中、何度か友人達に止められた。「早い」とか、「休もう」とか。
何の冗談だろうか、意味不明だな、小学生ってそういう意味不明なギャグとか面白く感じちゃう事あるよな……と俺は適当に相槌を打ってそのまんま登った。
家に友人を招くのは初めてだったからすごくワクワクしてた。早く部屋で皆と遊びたいと言う気持ちが、俺を急がせ、あんな適当な対応をさせてしまったのだろう。
結果、「付き合ってられない」と言う言葉を最後に、友人達は怒りながら帰ってしまった。
まだ石段の半分も登っちゃいなかったのに。
……あの頃辺りからか。
自分が、割と世間一般からズレている事を理解し始めたのは。
世間一般では、
3桁クラスの石段を登る事は苦行の類。キツい事。
世間一般では、
刃物は普通携帯しない。携帯してまで使う機会があまり無い。
世間一般では、
人間は銃弾を見切れない。撃たれたら普通当たる。
世間一般では、
分身の術はフィクションの中の物。ノリや勢いではできたりしない。
世間一般では、
勉学にはノートや鉛筆を用いる。巻物や毛筆は非効率的だととっくに廃れた。
世間一般では、
変装には道具を用いる。皮膚表面の組織を意識的に変形させられる者は希。
世間一般では、
怪我をしたら医療機関等で治療を受ける。自力で施術したり、細胞活動を活性化させて無理やり傷を癒着させたりしない。と言うかそもそも出来る者が少ない。
他にも、背後を取られただけで死を覚悟する必要は無いとか、普段から足音を殺す事を意識する者はあんまりいないとか。
俺の常識はやたら世間様から剥離していた。
幼少期の俺はインドア派だったし、テレビもあまり見なかったせいか、世間に疎かったのだ。
俺を育ててくれた爺ちゃんは、とても厳しい人だ。何でもかんでも聞けば教えてくれる人では無い。「死にたくなければ己で学べ」とばっさりだ。
当然、そんな人が聞きもしない事を教えてくれるはずも無い。
小学校では勉学よりも一般常識と言う奴を学んだと思う。
おかげで中学校は「化物」呼ばわりされて孤立する様な事は無く、上手くやる事ができた。
本日より高校生としての新たな生活が始まる訳だが、この分なら問題なくやっていけると思う。
だが油断は禁物だ。
ウチの家訓にもある、『自信は力となる、慢心は死因となる』。
自信は持て、されど慢心する事なかれ。死を回避したいなら常に備えよ。
俺と世間一般とで認識が一致している数少ない事、それは「友達がいないと寂しい」と言う事だ。
そして、世間一般では『世間一般で言う普通』で無いと友達がいなくなる。
俺はこれからも、『世間一般で言う普通』と言う状態について常にアンテナをビンビンにしておかなくてはならない。
寂しいのは嫌である。
……さて、そろそろ本題に入ろう。
何故俺が突然に自分の事を振り返り始めたか。
今、俺は晴屡矢(はれるや)高校の入学式に新入生として参加している。
油断しているとまどろんでしまいそうな春の陽気に包まれた体育館で、これから3年間共に同じ学び舎を利用する事になるであろう同級生達と肩を並べ、パイプ椅子に腰掛けている訳だ。
現在、舞台上に立っているのはウチの爺ちゃんよりも不毛地帯化が深刻な中年男性。おそらくは校長だ。
誰の挨拶が始まるのか聞き逃していたので、あの不毛中年が何者かはわからない。話の内容も無難極まりない挨拶と祝辞であり、その内容から不毛中年の立場を推し量るのは難しい。
何故、あの中年の正体を聞き逃してしまったのか。
その理由は、俺がありし日の未熟な自分を思い返していた理由とほぼ同じだ。
俺の右隣でパイプ椅子に座っている奴が、あまりにも個性的過ぎるのだ。
その個性的過ぎる個性感の余り、俺は「普通とは何か」について考え始め、昔の自分の事を思い出していた。
そしてその隣りの奴に気を取られる余り、司会進行様の声が脳にまで届かず、耳を突き抜けて行ってしまった訳である。
……いかん。今の俺は動揺し過ぎている……
とにかく、一旦落ち着くべきだ。
とりあえず、一旦問題の右隣ではなく、左隣に目をやる。
座っているのはどこにでも居そうな普通の女子……と総括するのがやや躊躇われる、美人の部類に属する女生徒。
………………
この高校は私服制だが、制服っぽいデザインの服をチョイスしている。そのチョイスから、実に真面目そうな雰囲気を感じる。そして美人。可愛い系ではなく麗しい系。
おそらく来月頃にはクラスのマドンナ的ポジションを獲得しているだろうと予想される。
ふむ、この真面目そうな感じ……いかにも委員長とかやりそうだ。委員長と呼ばせてもらおう。
美人は見ていて落ち着く。目に優しい。
少し委員長で網膜と精神状態を癒してから、問題の右隣に立ち向かおうと思う。
決して現実逃避では無い。英気を養っているのだ。
うむ。良い。
……何か?
俺の視線に気付き、委員長が小声でそう問いかけてきた。
特別何かは無い。
美人だと思って見ていただけだ。
そう、ありがとう。
あと、委員長っぽいな。
中学では生徒会長をやっていたわ。
納得だ。似合っている。
褒め言葉と取っておくわ、どうも。
ああ、褒め言葉のつもりだ。
元生徒会長だったらしい委員長は舞台上の不毛中年に視線を戻した。
委員長はやはり真面目だな。
……だが委員長、君は今、右側(こちら)を見て、何も思わなかったのか?
もう、充分だろう。
落ち着いた。
俺の精神は今、非常に落ち着いている。澄み渡っている。明鏡止水の心である。おかげでちょっと眠くなってきた。
静かに、視線を委員長から外し、右隣へと持っていく。
………………
……やはり、個性的過ぎる。
穏やかな湖の水面の如く落ち着いていた俺の心に、また無数の波紋が広がる。
まるで餌を投げ入れた鯉池の如く荒れる。
委員長効果で訪れた眠気が一瞬で吹っ飛んでしまった。
やはりおかしい。絶対的におかしいぞ『こいつ』。
しかし、俺以外誰もまるで『こいつ』の事を意に介していない様子。
どうなっているんだ、これは。
おかしい、絶対におかしい。
何と言うかこう……もう、この状況に対して腹の底から異議を申し立てたい。
もう良いのか、俺、叫んでも良いのか。
……お、落ち着け。
とりあえず、委員長を見ろ。
そして深呼吸だ。
……よし、明鏡止水再び。一旦視線を足元に落とす。
明鏡止水を維持しつつ、思考を働かせる。
これはアレだ。
一旦色々と整理し直すべきだ。
春の陽気に当てられて、俺の思考能力が根本的に低下している可能性がある。
とりあえず袖口に仕込んでいたクナイを取り出し、ゴム製の安全キャップを外す。
露出した刃先で、軽く指先に突き刺す。
っ……
思ったより深くブッ刺してしまったが、まぁ丁度良い程度だろう。
僅かな痛みが脳へと向かう。僅かとは言っても、脳みそを叩き起こすには充分な刺激のはずだ。
よし、これで俺は今、まともな思考能力を取り戻したはずだ。
錆にならない様にクナイの刃先を袖で拭い、キャップを嵌めて袖口に戻す。
指の傷は傷周辺の細胞活動を活性化させて修復。この程度なら過剰表現抜きの一瞬で癒着完了である。
さぁ、今、俺はまっとうな思考をする事ができる状態だ。
試しに左隣を見る。やはり委員長は美人であり、委員長っぽい。
むしろさっきよりも美人で委員長っぽく感じる。俺の認識能力が正常値に戻った証拠だろう。
この調子で俺の右隣に座っている人物……いや、奴の特徴を1つずつ分析していこう。
…………
まず、デカい。座っているのにかなりデカい。
後ろの奴らは絶対舞台上が見えてない。
推定される身長は2メートル50センチ弱、って所か。
中学時代の物だろうか、学ランを着用しているが、パッツンパッツンだ。
学ランの生地の上からでもその隆々とした筋肉の形が浮き出ている。
……まぁ、ここまではただ単に異常にデカい奴、って話だろう。
問題はここからだ。
まず、鱗だ。服で隠れている部分は定かでは無いが、俺から視認できる部分は、隙間なくびっしりと硬そうな鱗で覆われている。
見た感じ金属に似た質感の鱗だ。非常に防御力が高そう。
そしてその鱗に覆われた頭部の形状は……馬の様に長い。
だが馬面と言う印象は受けない。まぁ、強いて言えば爬虫類面である。
口の隙間からは漂白剤のCMに使えそうなくらい真っ白な牙が確認できる。
ちょっと仰け反ってパイプ椅子の後方を確認すれば、そこには虚空をゆらゆらと蠢く太ましい尻尾が1本。これまた鱗に覆われている。
まぁ、何だ。整理した結果、俺はある結論に達した。
……こいつは、『ドラゴン』と言う奴では無いだろうか、と。
四肢の配置等、肉体の基本形状は人間のそれに非常に近い。
しかし、鱗を備えて生まれ落ちる哺乳類なんてアルマジロ系くらいだろう。類人猿にはいなかったはずだ。
そして人間の歯はあんな杭みたいな形状はしていない。八重歯ってのはあっても前歯数本のはずだ。
更に言わせてもらえば、我々ホモサピエンスは平地での生活を始めると共に尻尾と言うものも捨て去った類人猿である。
総評、俺の隣りにいるのは、多分ドラゴンだ。
少なくとも、人間では無いはずだ。
いくら俺でもドラゴンについては色々知っている。
図書館の蔵書で読んだ事がある。
ドラゴンとは、山奥や洞窟の深奥など、人の手の及ばない所に生息していると言う希少生物だ。
確かビッグフットとか、フライングフィッシュとかの類……そう、UMAと呼ばれるものに属する生物。
何でそんな未確認生物がこんな所に……!?
……と言うのが、俺が非常に混乱している理由である。
…………ん?
学ランの左胸の所に、刺繍がある。
刻まれた文字は『超絶竜王』。
間違いない……
こいつはドラゴンだ。
少なくともドラゴンに準じる何かだッ……!
以上、校長先生からの挨拶でした。
毎度毎度、長々とお疲れ様です☆
あの不毛中年が校長だった事を報せるアナウンスを聞き「あ、校長だったのか」と心の隅で思いながら、俺は確信した。
待てよ……
確信した所で、俺はどうすれば良い……?
周囲の様子を見回してみる。
誰1人として、このドラゴンに構う様子は無い。
このドラゴンに関して挙動不審になっているのは俺だけだ。
この状況下で、こいつについて騒ぎ立てるのは……果たして、世間一般的にアリな事なのか?
皆が普通に受け入れていると言う事は……もしかしてもしかするが……
ドラゴンって……
もしかして、普通の生き物なのか?
そうだ、俺が読んだ蔵書に書かれている事はかなり古い時代の出来事っぽかった。
騎士とか出てきたし……魔女とかも普通にいた。
魔女は確か17世紀頃の魔女狩以降、なりを潜めた存在。魔女狩りで絶滅したとも言われている。
つまり、魔女が普通に生活していた事を示唆する記述からして、あの蔵書が記した時代は17世紀以前の出来事である可能性が高い。
300年以上も前の話……と言う事は、この300年でドラゴンへの価値感が変化している可能性は充分にある。
俺が今まで関わる機会がなかっただけで……もしかしたら、ドラゴンと言うのはそう騒ぐ様な存在では無い……のか?
あのう……
っ!?
不意に、『右隣』から地響きの様に腹の底に響く声が聞こえた。
明らかに、俺に向けて放たれた声だった。
意識を現実に戻してみた所、俺の視線と、例のドラゴンの視線は、しっかりと交差してしまっていた。
僕に、何か……?
『僕』……だと……!?
そんな面か!?
そんな声か!?
いや、まぁ人の一人称にケチを付ける事に何のメリットも無いし、どうでも良い事ではあるのだが。
いや……その、だな……
何と言えば良いのだろう。
正直に「ドラゴンだから見ていた」と言って良いモノか?
もし俺の推測通りドラゴンが世間一般的な存在であるとしたら、それを物珍しいと凝視するのは妙な事だ。
入学初日から『忍ヶ白茶助は妙な奴』なんて噂が広まってしまうのは非常に困る。
な、名前だ。
その名前、何と読むのだろうと思ってな。
名前……
ああ、確かに。
初見じゃ読みにくいですよね。
セーフッ。
そう、こいつの名前は今までに類を見ない雰囲気。確実に一般的では無い。
その名前に興味を持つ事は決して妙な事では無いはずである。
俺の予想通り、ドラゴンの方も不審には思っていない。
苗字は「超絶(こえだち)」、
名前は「竜王(タツオ)」と読みます。
こえだち、タツオ……
……あれ、聞こえは割と普通の名前ではないか。
あなたは?
あ、ああ。
俺は忍ヶ白茶助。
姓が忍ヶ白、名が茶助だ
しのびがしら……変わった苗字ですね。
字面ではお互い様だと思うがな。
これから、よろしくお願いしますね、
茶助くん。
あ、お、おう。よろしく頼む。
握手を求められたので、とりあえず無難に応答し、握り返す。
……掌はそこそこ柔らかいが、やはり鱗は硬いし冷たい。鉄っぽい。
だが、まぁ何だ……外見や声質は中々に物々しいが、口調や性格はそう悪いモノでは無さそうだ。
…………とりあえず、こいつへの対応は、ドラゴンについて調べてから決めよう。