X

 何もかも忘れていたなんて知らなかった。
 全てが偽りの記憶だというのも知らなかった。

 でも、それでも、そんなのどうでもいい。
 ショックだったのは、彼女のことを忘れていたという点だ。それだけだ。

 サンザシ。

 俺は、愛する彼女のことを忘れていた。
 世界を滅ぼしてまで望んだ、彼女のことを。



1 姫様の秘密

おはようございます!

 目を開けると、笑顔で俺を覗きこむ女性の姿が飛び込んできた。

うお!

 反射的に出た声は枯れていた。

 目の前の彼女が笑顔のままどうぞ起き上がってくださいというので、おとなしくそれに従う。

 辺りを見渡す。白く狭い部屋、木のテーブルと、黒い椅子、自分が寝そべっていた白いソファと、テレビ以外には何もない。

 どこだここ。俺の部屋ではないことは確かだ。そりゃそうだ。畳の部屋はどこに消えた。頭が痛い。

落ち着いてください、今、混乱なさっていると思うのですが


 彼女は相変わらずにこにこと笑っている。笑顔が顔にこびりついているのかもしれない。

 その笑顔に気をとられていたが、よく見ると変な格好をしている。

 全身が羽で覆われているようだ。首もとが特にふわふわしていて、なんだかスズメみたいだ。

 それに、頭の角も特徴的――角?

 髪の毛に隠れて見えづらいが、確かに、彼女の頭に、小さな角がふたつついている。

コスプレ? ですか? ここはどこで、あなたはだれですか?


 混乱しているところに、突如刺すような痛みが頭に広がる。全体的にずきずきする。

 もう、いったいなんなんだ。

大丈夫ですか?

 角彼女は、血相を変えて俺を覗き混んできた。そんなに心配することもないのに、と俺が思ってしまうほどの心配ようだ。

 それこそ、今にも泣き出してしまいそうだ。

 俺に手を差しのべてきた。小さな手が俺の頬に触れる――と思った直前で、彼女は手を引っ込めた。

 随分と慌てて、両手を自分の背中の後ろに隠してしまう。

――落ち着いてください。あなたは今、多くの記憶を意図的に消去された上で、このゲームへとご参加されている状況なのです。


 いやいや、そんな、落ち着けだなんて無茶な。

私は案内人のサンザシです、どうぞよろしく!

人が頭痛いって言ってるのによく分からないこと言って頭痛を助長させるようなことを言わないでください

頭痛が冗長? 何です?

 ああ。なんなんだもう。記憶を意図的に消去で、ゲームが、なんです?

 その混乱のおかげなのかは知らないけれど、すっと波がひいていくように、頭の痛みが和らいでいく。

 二度深呼吸をし、彼女――サンザシに向き直る。

もう一度、何ですって? ゲーム?

あ、敬語はいりませんよ。私はあなたのサポーターで、あなたは私の主です

じゃあ遠慮なく……ていうかお互いいらないでしょ

いえ、そうはいきません! 私はあなたのサポーターで

わかった、わかった

 ゲーム、とか言っていた。同じことの繰り返しは、テレビゲームだとよく見る光景だ。

 彼女ももしや、ゲームのキャラクター、ホログラムやロボットだったりして。

 なんて。

 この時点で俺は、これを夢か何かだと思うことにしていた。非現実的すぎて、脳みそがついていかない。

 夢がはやくさめることを願うばかりだ。
 それまではもう、楽しむしかない。

簡潔に説明を頼む

はい、ご主人様!

ちょっとまって、それはどうにかならないの

 それとは、とサンザシは首をかしげる。それとは、とは。

その、ご主人様って……名前で呼んでよ、俺の


 俺の名前を。その全てを、俺は言うことができなかった。

 サンザシが、とても寂しそうな表情を浮かべたからだ。悪いことを言ってしまった気になる。


 しかしすぐに、その気持ちはどこかへと消える。代わりにやって来たのは、ぎょっとするような喪失感だ。

 こんなに気持ち悪い感覚があるだなんて。

俺の……名前が思い出せないんだけど

 自分の名前が思い出せないという経験を、俺は始めてした。とても不安になる。

 自分を指し示す言葉が、自分でも分からない。

 そんな俺の気持ちとは裏腹に、サンザシはにこりと微笑んだ。先程の、多分一瞬だけ浮かべた寂しそうな表情は、どこかに消えている。

これからつけていただくことになりますからね

つけていただく?

はい。簡潔な説明を致しましょう。

先ほども申し上げました通り、ここはゲームの世界です。あなたは望んでこの世界にやってきました、記憶が一部なくなっているのも、あなたが望まれたことです。

残念ながら理由はお教えすることができません。どうせなら、ゲームを楽しんでください!

複雑すぎて、どうも

単純に考えてしまいましょう! 目の前が楽しければいいと割り切ってしまうのです! あなたが納得さえしてしまえばいい!

 サンザシが手を広げる。ふうん。俺はその言葉を頭の中で反芻させる。

 目の前が楽しければいいと割り切ってしまう、俺が納得さえすればいい。

 なるほど、確かに。

わりといい言葉かもしれない、気に入った

 言って、サンザシのきゃらきゃらと喜ぶ姿を期待したが、しかしサンザシは、またも先ほど見せたような寂しい笑みを浮かべた。なんだ、この女。

私の好きな言葉です

 ぽつりとそう呟いた後、さて、とサンザシは手を叩く。表情はすぐに、明るい笑顔に戻っていた。

 ころころ、表情が変わってしまうために、どうしたのと聞く暇すら与えてもらえない。もしかしたら、彼女は時おり見せる寂しそうな表情を隠しているつもりなのかもしれない。

名前の前に、いくつかご説明をさせていただきます。あなたに今からチャレンジしてもらうゲームは、物語の構築です

 ほう。物語の構築。

 ……とは?

0 記憶がないまま君との再開(1)

facebook twitter
pagetop