小豆沢の『ちからもち』発言の意図がわかった後は、どんな仕事をしていたかよく覚えていない。気付いたら午後十時になっていた。

小豆沢はれ

……今日はいろいろ、お世話になりました

山菜大器

い、いやいや……

 かくして帰路に就いている僕たちだ。田舎の夜は暗く人通りも少ないから、僕は帰り道が分かれるところまで小豆沢を送っていくことにした。

小豆沢はれ

えっと、あのー……

山菜大器

う、ん?

 例のことがあって口数少なに歩いていた僕たちだったが、それを小豆沢が破った。僕はなんの話をされるのだろうと、一瞬、身構えてしまう。

小豆沢はれ

山菜さんの家ってこっちなの? ずーっと同じ道で合ってる? もし分かれ道に来たら、ご遠慮なく!

 当たり障りのない話題だった。

山菜大器

うん、今のところ同じだよ。この先を曲がったところにあるボロアパートだから、そろそろお別れだけど

小豆沢はれ

えっ、もしかしてそこ? ……私のアパートと同じかも

山菜大器

ええっ!?

 この辺に他のアパートはない気がするぞ。つまり……。
 目的地に到着するまでに間、僕たちはなんとなく、また無言になった。

 僕たちは、別れることなく自宅のアパートに辿り着いた。部屋番号を聞いたところ、どうやらウチの真上らしい。

山菜大器

ウチの上の部屋って、確かちょっと前まで空いていたような?

小豆沢はれ

そう! 私、ちょっと前に引っ越してきたんだー

 なるほど。だから高校でも小豆沢を見たことがなかったのか。最近転校してきたってことだね。山田さんが僕と同じ歳って言ってたから、同学年の別クラスなのかな。

小豆沢はれ

ご近所さんに知り合いがいるなんて、なんだか嬉しいね~

山菜大器

そうかも。あ、でも『ご近所さんが知り合い』ってなんだか変な言い回し

小豆沢はれ

あははっ、私も言いながら思った~

 昔の日本はご近所付き合いが盛んで「井戸端会議」なんて言葉もあったくらいだけど、最近は隣に誰が住んでるかもよく知らないことが普通、の気がする。

小豆沢はれ

えっと……それじゃ、おやすみなさい

山菜大器

う、うん。おやすみ

 少しの沈黙の後、小豆沢が別れの言葉を切り出してきた。僕も応じる。

山菜大器

結局、超能力に関する話は何もしなかったな……

 僕がそう思ったときだった。
 小豆沢がとことこ数歩進んでから、振り返った。

小豆沢はれ

私の『ちから』、やっぱり変に思った? 不気味だよね。それとも……信じてくれてない、かな?

 すごく不安そうな顔、震える声。そっか、道すがら僕が全然話さなかったから、こういう風に思っていると取られちゃったのかな。
 当たらずと言えども遠からず、ではあるけど。

山菜大器

や、別に変に思ったりはしてないよ。実際に見たから、疑いようもないし。ただ……

小豆沢はれ

ただ?

 小豆沢は、まだ憂いの消えない顔だ。そんな顔されると、なんだか落ち着かないよ。

山菜大器

えっと、その……すごいって言うか、珍しいって言うか。空想科学読本やらアニメやらで見聞きして、フィクションとして面白いなって思ってたけど……まさか、超能力が実在するなんて

 手放しでワクワクする、とかそういうのじゃない。驚き半分、怖さ半分くらいの感じ。
 でも、この小豆沢なら――悪いことはないと、なぜだか思えた。
 小豆沢は僕の顔をじぃーっと長いこと見つめてから、

小豆沢はれ

そっかー……よかった。よかったぁ

 ようやく破顔して、小さな胸をそっと撫で下ろした。

小豆沢はれ

そういう風に言ってくれてありがとう。たぶん、いつかもうちょっと話してあげられると思うから……しばらくは私の『ちから』のこと、誰にも言わないでね。お願いだよ?

 上目遣いでの、念押し。僕は一歩後退しながら、頷いた。

山菜大器

うん。わかった、わかったよ

小豆沢はれ

ん!

 小豆沢が笑顔をにぱっと浮かべた。僕がその顔をよく見ないうちに、手をぷんぷん振って、階段を駆け上がっていく。

 ……なんだろう、この感じ。
 小豆沢の言動も振る舞いも裏表なく感じるのに。最後の「いつかもうちょっと話してあげられること」に、妙な不安が残った。
 いろいろ聞きたいけど。
 ご近所さんになったし、ゆっくりでいい、かな。

山菜大器

ふわぁ……

 僕の意識へと、疲れと眠気が介入してくる。答えの出ない思考をそこで中断して、僕も一階の自宅へと向かった。

 夜が明けて、土曜日の朝。学校は休み。工事現場のバイトも休みにしている日だ。
 両親と遅い朝食を食べながら、さて今日は何をしようかと伸びをしていたときのこと。

山菜大器

ん、来客? こんな時間に珍しいな

小豆沢はれ

やっほー、山菜さん! おはよ~

 小豆沢がいた。小脇に何かを抱えている。
 ちなみに僕の部屋の間取りは、家族で食事をするエリアから玄関まで仕切りなし。筒抜けの丸見えだ。

山菜大器

ちょっ、小豆沢! えっと……

 僕は慌てて小豆沢を外へ押し出そうとするが、もう手遅れだ。

大器の母

あら! 大器、その子ってもしかしてカノジョとか? 女の子がウチに来るなんて初めてじゃない。気にしなくていいからあがってもらって――

山菜大器

違うから!

 僕は、おせっかいウザ絡みモードに入った母親に頭痛を覚えながら、なんとか玄関に転がり出て扉を閉じた。

小豆沢はれ

山菜さん。えっと……そうなんだ。違うんだ

山菜大器

違うだろ!

小豆沢はれ

どの辺が違うのかな? カノジョ? それとも、女の子が家に来るのが初めてってところとか……

山菜大器

今そこらへんの話題を掘り下げなくていいからっ!

小豆沢はれ

はーい

 くすくす笑ってる。今の会話は絶対に確信犯だ。
 っていうか、昨夜はあんなことがあったのに。今朝はこんなテンションだなんて……小豆沢、よくわからないな。

山菜大器

ところで、えっと、なんの用? まさか朝の挨拶をしに来ただけじゃないよね?

小豆沢はれ

はい、これを

 小豆沢が、小脇に抱えてるもの――小さな菓子折を差し出してきた。

山菜大器

これ、僕に? ってか、ウチにかな?

小豆沢はれ

そう! ほら、ご近所さんってこういうの差し上げたりするでしょ? 引っ越してきたときに『ご迷惑おかけしますが』って。私は越してきて一週間だから、やってみたくなって

山菜大器

なるほど……

 わかるような、わからないような。というか、これもご近所付き合いの衰退と一緒に薄れてきた文化の気がする。最近、引っ越したからってわざわざ隣近所へ挨拶に行く人は少ない。
 僕は差し出された手前、無意識に受け取ってしまいつつも、小豆沢が面接で言ってたことを思いだした。

山菜大器

言いにくいけど、小豆沢ってお金ないんじゃなかったっけ? こういう風に気を遣ってくれるのは嬉しいけど、えっと……

小豆沢はれ

だいじょーぶ! このくらいのお金は――

小豆沢はれ

はうっ!?

 盛大な音が聞こえた。もちろん、小豆沢のお腹からだ。

山菜大器

……ごはん食べてないね? なのに、こんなことをしてくれたの?

小豆沢はれ

えっと、えへへ……そんなところかな。あははっ

まったく

 そう言えば、小豆沢の親っていったいどういう人なんだろう。年頃の女の子をあんな仕事に送り出したり(小豆沢の独断かも知れないけど)。会ったらひとこと言ってやる……わけにもいかないだろうけど、今のままじゃ良くない。

 というか、さし当たって今は――

山菜大器

とりあえず小豆沢。えっと、家で待っててくれ。ウチの真上の部屋だと、202だよね?

小豆沢はれ

そうだけど……山菜さん?

山菜大器

いいから。三十分後に行くから

小豆沢はれ

ふぇ?

 僕は呆ける小豆沢を置いて家に引き返し、やーやー言ってくる両親には取り合わずに自分の財布を引っつかんで再び外へ。
 ウチの玄関前でぼんやりしたままの小豆沢にもう一度「家で待ってて」と伝えてから、僕はスーパーへと駆けた。

 なんでこんなことしてるんだろう?
 ……あれだよ、きっと。昨夜のことで、小豆沢が僕の命の恩人かも知れないからだよ。

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