麗らかな春の昼下がり、浅沼莉緒(あさぬまりお)は上機嫌で自転車を漕いでいた。

ふふーん♪


 今日は莉緒が前々から楽しみにしていた品物が届く日なのだ。

 

ずーっと我慢していたけど、これからは買い放題なんだよね~! 大学生万歳!
次は何か買おっかな~。
あれも欲しいし、これも欲しいし――

うわっ!?


 などと悦に浸っていたら、溝板が外れているのを見逃し、前輪が溝にはまった。前につんのめった莉緒は、そのまま一回転して道路に投げ出されてしまった。

うう、ちょー痛い……


 パンプスは片方脱げてどこかにいってしまったし、背中は涙が出るほど痛い。マジ最悪、と思いながら、のろのろと体を起こして、前輪を持ち上げようとした。

 が、見事にピッタリはまっているせいか、車輪はびくともしない。莉緒は顔を真っ赤にさせて踏ん張った。
 

こ、のっ、あっ、がっ、れっ!

ふんぬぅぅううううううおおおおおおお!!


 乙女にあるまじき踏ん張り声を上げている莉緒は、背後に迫る脅威にまったく気づいていなかった。
 

 

あっ!?


 一瞬の違和感の後、莉緒の意識はぷっつりと途絶えた。
 



 
 
 









 















 

おい、いい加減目を覚まさぬか

……んあ?


 

!?


 寝ぼけ眼で声を上げた莉緒は、自分の顔を覗き込む男性をみて一瞬で覚醒した。
 

……?

 艶のある濃紺の髪、すっと通った鼻筋、ピシッとした高級そうなスーツに、黒縁の眼鏡が良く似合う男性だったからだ。


  まさしく白皙の美青年、しかも眼鏡。莉緒は眼鏡萌えなのだ。
 俄然やる気になって、莉緒は手をぎゅっと握りしめた。
 

もう大学生になったんだし、そろそろ彼氏が欲しかったんだよね~。しかもこの人めちゃくちゃタイプだし!
これって運命じゃない?
髪の色はちょっとありえないけど、この際気にしなーい!


 周りの異様な状況にも目もくれず、莉緒は目の前の男に食らい付いた。

あの、あたし、浅沼莉緒です!
あなたは?

私はこういう者だ


 と言って、男性は懐から名刺を取り出した。名刺にはこう書かれていた。
 

……かみの…………お、つかい、です?


 男性の眉がぴくりと釣り上がる。どうやら莉緒の呟きにイラッとしたようだ。
 男性は面倒だという態度も顕わに、盛大にため息をついた。

神の御使い(みつかい )だ。名前はデス

…………

宗教の勧誘とかは
間に合ってますんで……


 それを聞いたデスはまたため息をつき、これはない、といった感じで頭を振った。
 

ここまで知能の低い人間とは、
いささか不安……


 今度は莉緒がイラッとする番だった。馬鹿なのは自分でもよくわかっているが、他人に図星をさされると腹が立つ。しかも初対面でここまで言われる筋合いはない。
 
 

イケメンでも無神経なのはないわー。
ムカツク。


 莉緒が腹立ち紛れの文句を返そうとしたそのときである。
 

ひっ!?

まあまあ!


 一人の少女が間抜けな音と共に現れたのだ。彼女はデスに向かってにっこりと笑った。

 

さっきの取り乱した少年よりは、話が通じやすそうでいいじゃないですか~。

……

死んだばっかりでもこんなに落ち着いてるわけですし!

!?


 あっけに取られていた莉緒だったが、少女の聞き捨てならない一言に、さっと顔を強張らせた。そしてようやく自分が今いる状況を認識した。

 周りは真っ暗で何もない。いるのは無神経男と金髪コスプレ少女、それに自分の三人だけだ。光源がないのに、これほどくっきり人が見えるのは、さすがの莉緒でも異様なことだと気が付いた。
 

あたし、死んだの!?
じゃ、ここって天国!?

なんと図々しい娘なのだ。己が天国にいけるほど高潔な魂だと思っているのか


 少女に答えを求めたのに、返ってきたのは陰険眼鏡の見下しきった嫌味な言葉だった。何ていちいち嫌な奴なんだろう! 莉緒にとって最早デスは、視界に入ると不愉快な存在、道端のうんこ程度にしか思えなくなっていた。
 

うるさい!
あんたに聞いてないよ! 陰険眼鏡!

何だと……

   



この●×#■で△*※○な◇※■×#め!

このような無礼な人間は、即刻地獄へ送り更正させねばなるまいな……。


 莉緒の言葉に激怒したデスの体から、紫色の炎が立ち上る。莉緒は動物的本能でヤバイ、と悟った。
 

あっ、ごめんなさいそれはいやです。何でもするからゆるしてください。


 これはうんこではなく、触れるとやばい猛獣だ。そう瞬時に察知した莉緒は、あっさりと態度を変えて謝った。莉緒は長いものには巻かれるタイプなのだ。
 

ちっ!


 変わり身の早い莉緒に、デスはゴミでも見るような視線を投げつけた。
 

おい、パルピー!

はいはーい。お任せください。

 二人のやり取りを面白そうに見守っていた少女は、軽い調子で莉緒の前に進み出て、可愛らしく微笑んだ。

わたしはパルピーといいます。
莉緒さんよろしくね!

うん、よろしく……

いや~、しかし死んだことに気が付いてなかったとはね!


 妙な衝撃が体を襲ったのは覚えているが、一瞬だったしまさか死ぬとは。変な空間にはいるものの、体を動かすことには違和感がないし、自分が死んだなどとは莉緒にはまったく信じられなかった。
 

何で? いつのまに?

じゃあ何で死んだのか、教えてあげます


 パルピーがそう言うと、莉緒の目の前に巨大なスクリーンが現れ、ある場面を映し出す。

 
 













 


 

 それは莉緒がにやつきながら自転車を漕いでいるシーンから始まった。そして例の溝にはまり、莉緒は一回転する。脱げたパンプスは綺麗な放物線を描き、塀の上で丸くなっていた茶斑の猫にヒットした。しかも踵が頭に、である。
 

ゲッ! こりゃ痛いわ……。


 哀れな猫は驚いて飛び起き、塀をかけ上がり、横付けされていたトラックの開け放たれた窓に入り込んだ。しかしそこにはすでに先客がいた。やけに物が散乱している座席の上に、一匹の黒猫。

 突然の侵入者に、黒猫は毛を逆立たせ、茶斑の猫に飛びかかった。猫たちの乱闘により、荷物がなだれを起こし、パーキングブレーキの上に圧し掛かかる。

 トラックの停車場所は急勾配の坂道だった。そしてその坂道の終点には、前輪を持ち上げようと相撲取りのごとく踏ん張る莉緒の姿。

あ、まさか……


 そしてトラックは動き出す。徐々に加速を増し、トラックは――
 







 ――自転車と一緒に莉緒を跳ね飛ばした。

 こうして莉緒は死んでしまったのである。
 

第一話 ひところスイッチ

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