プロローグ

恋もダメ、夢もダメ。
なにもかも拒否られて、これじゃ自分がダメだと言われてるみたいで腹も立つ。

誰に?
この世界ってヤツに。一方的に。ていうか、何様だよ、世界。

その理不尽さに、我慢の限界。
俺を受け入れない世界なんて、もうこっちからさようなら。

というわけで。
俺、異世界行くわ。

幼女天使

我、廻れ、愛しき糸車、時を紡ぎし糸車、とわの問いを糸にし輪とし、絡まって、くるまって、次元の境へ導きたまえ、その道満ちて、異なる理、至るまで

純白の衣をまとった天使の声が、高校の屋上に響いた。

俺は頭上に滞空する彼女を見つめたまま、緊張と興奮で身震いした。

行くぞ。行ってやる。俺は決めたんだ。こんな夢も希望もない世界なんて捨ててやる。ああ、ポイ捨ての使い捨てだ。

改めて決意し、見た目十歳前後の天使の詠唱に耳を傾ける。
黄金色の環を頭上に、白き翼を背に備えた幼女天使は、鈴の音のような声で唱え続ける。

幼女天使

現れ、洗われ、清められ、異世界飛びゆく扉の光、今ここに、この者の心に快い、酔いしれ、知れゆく次元の旅を

白い幼女天使の吐く息もまた白い。

今は十二月。今日は二十四日。クリスマスイブ。時間は午後三時を過ぎた頃。

空は晴れ渡っているのに、冬の寒さが忍び寄る。屋上は吹きさらしだからなおさらだ。
けれど、人生最大の転機を迎えた俺の身体は熱くたぎっていた。カッカッしてる。

最大の転機? まちがいない。つまらない高校生活に、クソみたいな十六年に別れを告げて、新たな人生を歩むんだ。

幼女天使

青木英雄よ

幼女天使の青い瞳が俺を見据えた。

そう、俺の名は青木英雄。英雄と書いて“ひでお”。

地球の、日本の、小さな地方都市の、特色のない高校の、実績のない漫画研究部の、平凡な高校生。

この世界ではけっして“えいゆう”なんかにはなれない“ひでお”。
漫画家になる夢を打ち砕かれ、恋にも破れた、みじめな男。

でも別の世界なら“ひでお”……じゃなくて“えいゆう”になれる。英雄王になれる。幼女天使はたしかにそう言ったんだ。

幼女天使

あらためて問うのよさ

その幼女天使が、少し舌足らずな口調で訊いてきた。

幼女天使

異世界召喚を受諾するか、否か、答えてほしいのよさ

不意に、ひとりの女の子が脳裏に浮かんだ。

幼馴染の女の子。ずっと惚れていた女の子。クリスマスイブの今日、本当はこの屋上で告ろうと思っていたのに……。

天を仰ぐと、そこには澄んだ青空。冬の空。でも雪は降りそうにない。

俺の通う私立高校の屋上、ここにまつわる他愛のない言い伝え。
【クリスマスイブ、雪の降る中、この屋上で告白すると必ず成功する】――が頭をよぎる。

……でもここ二十年、ホワイトクリスマスになったことがないとか。さすが温暖化。

英雄

それに……

口の中で呟いた。
雪なんて関係ない。俺の恋はもう破れて散ったんだから。

幼女天使

どうしたのよさ、青木英雄?

返答しない俺を気にしたのか、幼女天使が小首をかしげた。金髪がさらりと零れる。

英雄

なんでもない

不敵に笑ってみせた。

英雄

こんなつまらない、夢も恋もかなわない世界なんて最低だ

幼女天使のサファイアのような瞳が輝いた。

幼女天使

いい心がけなのよさ。そうやってこの世界への未練を完全に断つことこそ、異世界召喚の原動力になるのよさ

英雄

未練? そんなもん、なにひとつ残っちゃいない

幼馴染の女の子を、頭から振り払った。

英雄

俺は……青木英雄は異世界召喚を受諾する!

幼女天使が満足気に笑った。

幼女天使

現世への未練、完全消滅。時は来たれりなのよさ――召喚魔法陣展開っ

雲ひとつない空から、突然ひとすじの雷光が落ちてきた。
それは俺の頭上でふたつに分裂。
左右の虚空にひとつずつ留まり、バチバチと発光しながらそれぞれがその空間に光の魔法陣を描いた。直径は一メートル以上ある。

英雄

!?

その魔法陣に両手が引きつけられた瞬間、身体がほぼ動かなくなった。

目いっぱいに広げられた両腕。
手のひらは魔法陣に密着したまま。まともに動くのは首から上くらいで、ほかはまるで金縛りのように身動き取れなくなる。

ほんの少し恐怖心がわいたが、聞こえてきた幼女天使の声が、それを消し去ってくれた。

幼女天使

さあ、新たな世界が待ってるのよさ

ああ、そうだそうだ、新たな世界。最高の響きじゃないか。

英雄

俺は行くぞ! 思い通りにならない世界なんて捨てて、異世界で英雄王になる!

幼女天使

青木英雄は英雄王となり、すべてが思い通りの人生を歩むのよさ!

英雄

連れていってくれ!

幼女天使

連れていくのよさ!

英雄

異世界へ!

幼女天使

異世界へ!

幼女天使の白き翼が、より神々しく広がった。

幼女天使

異世界召喚魔法――発動!

両手を拘束した魔法陣が、七色の光を放った。
その輝きに全身が包まれ、あまりのまぶしさに目をつぶった。
肌が粟立ち、電流のようなしびれが全身を走る。

耳元を風がひゅうっと通り過ぎた。この風は次元の狭間に吹く風か、それともすでに異世界を巡る風なのか。

目をつむったまま、五感を研ぎ澄ます。
全身を覆う光が遠のく感覚を覚えた。

静かだ。異世界召喚は無事すんだのか。うん、すんだんだろうな。漫画でも小説でも、こういうのはたいてい一瞬だ。

俺は息を吸い込んだ。肺に満ちた空気は、新たな世界にふさわしく澄んでいた。
そしてなんとなく異世界っぽい匂いがした。

ついにやってきたぞ、異世界へ。

胸をときめかせ、俺はゆっくり目を開けた。

英雄

……あれ?

そこは先程までと同じ、夕方前の高校の屋上だった。
召喚はまだだったみたいだ。あわててもう一度目をつぶる。

はやる気持ちを抑え、たっぷり十数える。なんとなく異世界っぽい匂いがする。

今度こそはと思い、薄目を開けた。

まだ屋上だった。

なんだよ、じらすなよ。テンポよくいこうぜ。

再度目をつぶった。
べつに目をつぶれと言われたわけではない。が、目を開けた時に、新世界の光景が一気に視界に広がる感動を味わいたかった。

英雄

……十八、十九……二十!

今度は二十まで数えた。
静かだ。そしてなんとなく異世界っぽい匂いがする。
さすがにもう異世界だろう。
確信し、目を開けた。

屋上だった。

英雄

なげえよ!

依然として両手は魔法陣に捉えられ、身体も動かないまま。唯一動く頭を振って訴えた。

英雄

早くしてくれ! いつになったら異世界行くんだ!

幼女天使は空中に寝そべったくつろぎ姿勢で浮かんでいた。
しかもどこから取り出したのか、漫画本を開いている。
大ヒット少女漫画『きみにとどけ』だ。
でも正直、今は“きみにとどける”前に、俺を異世界へ届けてほしい。

幼女天使

ん~? どうかしたのよさ?

召喚魔法を詠唱していたときとは打って変って、緊張感と厳粛さがなくなっている。

英雄

異世界召喚どうなったんだよ?

幼女天使はどこから取り出したのか、ポテチ袋からポテチを数枚つまみつつ言った。

幼女天使

やっているのよさ。パリパリ

ポテチ、食べだした。

英雄

やっている?

幼女天使は当然だと言わんばかりにうなずいた。

幼女天使

予定通り、青木英雄を異世界へ召喚中なのよさ。完了するのは、え~と……あと二時間くらいなのよさ

英雄

え?

幼女天使

あと二時間、そのままそこでそうしててほしいのよさ

英雄

…………ええええっ!?

つづく

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