高校2年のクラス替えで、俺は彼女の隣の席になった。
よろしくな!
……よろしく
高校2年のクラス替えで、俺は彼女の隣の席になった。
美人だけど、ものすごく無愛想なやつ。
坪倉みさきから受けた最初の印象は、こんなものだった。
話しかけてもほとんど反応を返さず、能面のように表情が変わらない。
話していても、何を考えているのかさっぱり分からない。
愛想良くしていればもてるだろうに。
そんな感想を持っていた。
お前やたらと坪倉にからんでるけど、気でもあるのかよ?
話しかけ始めてから1週間が経った頃、友人の1人にそんなことを言われた。
いや、あまりにも反応が薄いから悔しくてさ。どうにかして仲良くなってやろうと攻略中なんだ
坪倉は「そう」とか「うん」などといった薄い反応を返すばかりで、ちっとも話は膨らまない。
かといって、迷惑がっている様子もない。
だが、とにかく反応が薄くて会話にならない。
あまりにもな態度に腹が立つが、こうなりゃ意地だと俺はめげずに、ひたすら坪倉に話しかけていた。
お前、物好きだな……坪倉が『お化け女』って呼ばれてるの知らないのか?
お化け女?
それは初耳だった。
何がどう『お化け』なのだろうか。
どうしてそんなふうに呼ばれてるんだ?
俺も詳しくは知らないけどさ、何でも昔、誰もいない所でひたすら誰かと話してたらしいんだよ。それを見たやつが気味悪がって、そう呼びだしたらしい
何だそりゃ。たったそれだけでそんなあだ名付けるなんて酷くないか? ただの独り言だったのかもしれないだろ
そりゃあ、そうかもしれないけどさ。ほら、あいつ暗いし何を考えてるのか分からないだろ?
確かに、坪倉は他人とまったく話そうとしないため、何を考えているのかさっぱり分からない。
だからといって、その言い方はあんまりじゃないかと俺はむきになりかけた。
文句を言いかけた俺に、そいつは被せるようにして口を開いた。
……それに、その時見てたやつが聞いたらしいんだ
聞いたって、何をだよ?
坪倉のいるところから、坪倉以外の声が聞こえたらしい。何でも、中年のおっさんみたいな声がしたとか
スマホでも持ってたんじゃないか?
いや、違う。手には何も持ってなかったらしい
じゃあ何だっていうんだよ。幽霊とでも話してたっていうのか?
俺がそう聞くと、そいつは神妙に頷いて見せた。
アホか
お化けや幽霊をまったく信じていなかった俺は、その話を一蹴した。
何が幽霊だ、ばかばかしい。
そう思っていた。
いや、俺も聞いただけだから本当かは分からないけどさ。どっちにしたって気味が悪いだろ? 明らかにクラスでも浮いてるし、あんまり関わらないほうがいいって
うるせーな。ほっとけ
その時、休み時間の終了を告げるチャイムが鳴った。
しっしっ、と俺が手を振ると、そいつは心配そうに俺を見ながら席に戻っていった。
そんなことがあってから数ヶ月が過ぎ、夏休みになった。
学校にいる間、俺は相変わらず坪倉に話しかけていたが、何一つ成果は上がっていなかった。
初めは他の女子たちから陰口でも叩かれるんじゃないかと友人は心配していたようだが、そんなことは起こらず平和なものだった。
「おーい! 早く泳ごうぜ!」
おう!
夏休みの初日。
俺は数人の友人と地元から数時間かけて、1泊2日で海水浴に来ていた。
人でごったがえす砂浜を走り、ガキのようにはしゃいで海に飛び込む。
夕方近くまで泳いだ後は、予約しておいた民宿に向かった。
温かい持て成しを受け、新鮮な海の幸をふんだんに使った夕食に舌鼓を打つ。
食後に露天風呂で疲れを癒していると、友人の1人が
「風呂から出たら、もう一度海で泳がないか?」
と言い出した。
夜って遊泳禁止じゃなかったっけ?
俺は一応指摘したが、友人たちは乗り気だった。
確かに、夜の海で泳いだことなど一度もない。
真っ暗な海を泳ぐというのも、何だか楽しそうだ。
皆泳ぎにも自信があるし、大丈夫だろうと向かうことになった。
夜の海は神秘的だった。
砂浜には誰もおらず、ざあざあ、という心地良い波の音が辺りに響く。
月の光が波に反射し、きらきらと輝いていた。
俺たちは羽織っていた服を脱いで海パン姿になると、海に向かって駆け出した。
「うお、つめてー!」
そんなことを叫びながら、友人の1人が沖に向かって泳ぎ始める。
後に続いて、俺たちも夜の海に飛び込んだ。
冷たいは冷たいが、昼間と大して水温は変わらないようだ。
っ!?
友人を追って泳いでいると突然、俺は海中に没した。
何が起こったのか分からず、闇雲に水を掻いて水面に出ようとする。
その時、何かが俺の両足首を掴んでいることに気がついた。
水中で目を開き、足元を見る。
真っ暗であるはずのそこには、男とも女とも分からない、ぶくぶくに膨れ上がった青紫色の顔がぼんやりと浮き上がっていた。
そいつが、俺の両足首をがっしりと掴んでいるのだ。
そいつの手は、所々皮膚がこそげ落ち、ピンク色の肉が覗いている。
あまりの恐怖に俺はパニックに陥り、水中だということも忘れて叫んでしまった。
肺の空気が一気に抜け、ごぼごぼという声にならない悲鳴が水中に掻き消える。
同時に海水も飲んでしまい、パニックに拍車をかけた。
――あ、これは死ぬな。
そう思った時、俺の右手首ががっしりと掴まれた。
そのまますごい力で一気に引き上げられ、俺は水上に上半身まで身体を出した。
げほっ! げほっ!
必死に肺に空気を取り込みながら、俺は激しくむせ返った。
その間、誰かが背中を優しくさすってくれている。
何とか呼吸を整えて、目を開いた。
……え?
大丈夫?
そこには、坪倉みさきがいた。
あ、ああ
そう。じゃあ、目を閉じててくれる?
え?
……私、裸だから
そこでようやく気づいたが、坪倉は裸だった。
慌てて周囲を見渡す。
どうやら、風呂場のようだ。
俺は海パン姿のまま、全裸の坪倉と一緒に湯船に浸かっていた。
え、何で……え?
いいから、目を閉じて
お、おう
言われるがまま目を閉じると、ざばっと音がして浸かっていた湯が揺れた。
坪倉が立ち上がり、風呂場を出て行ったらしい。
ぱたんと閉じた戸の音を聞き、俺は再び目を開いた。
やはり、風呂場だ。
少し古く感じるが、ごく一般的な日本住宅のユニットバスだ。
俺はさっきまで海の中にいたはずなのに、どうしてこんなところにいるのだろうか。
呆然と湯に浸かっていると、戸の曇りガラスに人影が映った。
タオルと着替え、ここに置いておくから。服は少し大きいかもしれないけど、我慢して
つ、坪倉、ここってお前の家なのか?
うん
どうして、俺はここにいるんだ?
我ながら、アホな質問だと思った。
だが、これ以外に聞きようがなかった。
……私が、引き上げたから
坪倉はそう言うと、脱衣所を出て行ってしまった。
俺はしばらく、誰も映らなくなった曇りガラスをじっと見つめていた。