第1話 私のドジと主任の責任
第1話 私のドジと主任の責任
東京都内にある超大型アミューズメントパーク【ポップキングダム葛飾店】。そこで総合受付嬢として働く私、狭山なつめ(さやま なつめ)24歳には、現在ふたつの悩みがある。
まずひとつは、自分の性格のこと。
じゃーちょっと行ってきますね!
なつめちゃん!そんなのフロア担当の人に任せなってば!
だいじょーぶ、だいじょーぶ。チャチャッと済ませて来ちゃいますから!
困り顔で止める先輩の制止も聞かずに、私はバックヤードから脚立を持ち出すとそれを肩に掛けキッズコーナーへと走り出した。
入り口でもらった風船を手放して天井に引っ掛けてしまい泣いている子がいると、さっきお客さんから教えてもらったのだ。
身長155センチの私だけど、脚立さえ使えばそんなの取ってあげるのは御茶の子サイサイだ、多分。忙しく動き回ってるフロアの人の手をわずらわせるまでもない。
そう思って駆け出し、到着したキッズコーナーの天井には。おお、確かにピンクの風船が天井にプカリ、頭をくっつけて浮かんでいる。そしてその下には泣きべそ顔の女の子。
風船が飛んでっちゃったの…
待っててね、今お姉ちゃんが取ってあげるから
女の子の頭をポンポンと撫でてから、私は意気揚々と脚立をセットし、さっそくガチャガチャと登っていく。
しかし、制服のタイトスカートとパンプスでは登りにくいことこの上ない。
これだから受付嬢は。フロアと同じパンツの制服にすればいいのに。なんて、心の中で毒づきながらも、なんとか最上段まで辿りついた。けれど。
と、届かない……!
開放感溢れる高い天井は、脚立を使っても手が届かず。私は腕を目いっぱい伸ばし、出来うる限り身体も伸ばし、風船の紐を掴もうとした。
あ、あとちょっと~!
しかし、無理をしたのがいけなかった。一瞬バランスを崩した私の身体は大きく揺れ、そのまま脚立のてっぺんから落っこちそうになる。
うわっ、とっ、とっ、あわわわわ
なんとかバランスを保とうとするも、無理。
あえなく身体は脚立から大きくはみ出し、そのまま地面へ落下しようとした。
落っこちるまでの間スローモーションのようになった思考で、私はつくづく思う。
あー、またやっちゃった。
私ってばすさまじくドジなくせに、おせっかいやきで。ついつい向こう見ずで誰かを助けようとしては、こうして失敗しちゃうんだ。直したいと思ってるんだけどなあ、この性格。
そう。これが私の大きな悩みのひとつなのだ。おかげで24歳にもなっていつも生傷が絶えない。
そして、今も。また新しい生傷が増えそうだと観念して目を閉じた瞬間だった。
固い床に叩き付けられると思った身体は、温かくて逞しい感触に受けとめられる。
……ったく、何やってるんだお前は
と、常盤主任!
およそ2メートルの高さから落下した私の身体を受けとめたのは、フロアの固い床ではなく、なんと常盤和海(ときわ かずみ)……このアミューズメントパークの現場責任者で、もちろん私の上司でもある、常盤主任の腕だった。
驚いて目を真ん丸くしている私を床にストンと降ろすと、主任は腕を組んで私を見据えた。ううん、身長180センチの常盤主任の目線からすれば、私は完全に見下ろされていると言った方が正しい。
で、狭山。受付嬢であるはずのお前がなぜスカート姿であられもなく脚立なんかに登っていたのか、説明してもらおうか?
えーとですね、それは、その……風船を取ろうと思って
風船?
はい。ほら、あの天井に引っ掛かってる風船。そこの子が手放してしまって泣いてたので……って、あれ!?
主任に説明しつつ、さっきの女の子の方を見やれば。どういう事か、彼女の手には風船が握られているではないか。
ビックリして目をパチパチさせていると、女の子はニッコリ微笑みながら主任を指差して言った。
このおじちゃんが新しいのくれたの
え?主任が?どういう事ですか?
風船を失くして泣いてる子供がいると聞いたから、バックヤードから取ってきて渡したんだが?
そ……そーだったんですか
主任の言葉を聞いて私は唖然としてしまう。そーか、わざわざ天井のを取らなくても、バックヤードから予備の風船を持って来れば済む話だったんだ……。
自分の馬鹿さ加減に心底呆れていると、主任は眼鏡のフレームを手で直してから
で?お前は何をやっていたんだと聞いてるんだ
ジリジリと私を追い詰めるのだった。あう~絶対分かっててわざと聞いてるよ、この人。意地悪~。
常盤主任のお説教が済んでから受付カウンターに戻った私は、ハア、と大きな溜息をひとつ零す。
あーあ、最悪。脚立からは落っこちるし、お説教は喰らうし。結局、子供を喜ばせたのは主任で私は何の役にも立たなかったし~
お客様がいないのをいいことに、私はカウンターにぐんにゃりと上半身を投げ出してうなだれてしまった。
そんな私の姿を見て、三田先輩が呆れ顔をする。
だから止めとけって言ったのに。なつめちゃんて、本当向こう見ずって言うか危なっかしいって言うか。一緒にいる方がヒヤヒヤするわ
ぐうう。追い討ちを掛ける先輩の言葉が胸に痛い。
辛辣なダメージを受けてますます凹んでいると、三田先輩はぐんにゃりしている私の頭をポンポンと叩いてきた。
でも怪我がなくて良かった。常盤主任が助けてくれたんでしょ?感謝しなきゃね
うーん……
その言葉に、頭を悩ませてしまった。
確かに、怪我がなかったのは常盤主任のおかげだけどさ。それは感謝してるけどさ。でも、でも。
常盤主任て、ちょっと過保護すぎません?
私はカウンターから姿勢を戻すと三田先輩を見つめ、ちょっと拗ねた口調で言った。
過保護?
そーです。なんか私、常盤主任に見張られてる気がするんですよね。今日だってタイミングバッチリだったし。こないだもフロアで転びそうになった所を支えてもらったし、昨日なんか社食でお茶を零しそうになったのを危機一髪押さえてくれたんですよ
なつめちゃん……あなた、おっちょこちょいにも程がある
力説する私の意図とは外れ、三田先輩は呆れいっぱいの苦笑いを向ける。
分かってます、でもまあ、それは置いといて。助け過ぎなんです、常盤主任は。おかげで私最近、会社で生傷作ってないんですよ?
いい事じゃない
良くないです!私は自分のおっちょこちょいに責任持って生きてるんだから!
力いっぱい訴える真剣な私に、三田先輩はブフッと吹き出してから
なにそれ
と肩を揺らして笑った。
おっちょこちょいなりにポリシーだってあるんです!自分にどんなに生傷が増えようとも、人に迷惑を掛けないことって。なのに、常盤主任には助けられっぱなしで……申し訳なくて心苦しいです
今日だって一歩間違えば大怪我をしてたのは主任の方なんですよ?……万が一にでも主任にアザなんか作ってしまうくらいなら、私が自己責任で骨折する方がマシです!
私の話を聞きながら先輩は可笑しそうに笑ってたけれど、これは大マジメに譲れない持論なのだ。
生粋のおっちょこちょいである私は、生傷の絶えない人生でそれなりに学んできた。とにかく、人様に迷惑を掛けてはいけない、と。
自分の傷は時が経てば治るけれど、人を巻き込んでしまったら、時が経っても治らない心の傷が残る。それは身体の傷に比べて何十倍も何百倍も痛い。
だから、出来る事なら放っておいて欲しいのだ。目の前で転ぼうが落下しようがスルーしてくれと、心底願う。こちとら慣れっこなんだから、絆創膏も湿布も常備しているし、転んでも3秒で立ち上がる術も身に付けた。
なのに、常盤主任てばまるで先回りしてるみたいにグイグイと助けてくれちゃうもんだから。……申し訳ない通り越して、窮屈にさえ思いますよ
そして、これが現在私の抱えるふたつめの問題。
上司が過保護すぎる事が大きな悩みだ。
変な悩み。助けてもらっておいて窮屈だなんて
最後に三田先輩は呆れた笑いを零してから
さ、仕事仕事
と言い残しカウンター脇のパンフレットを補充しに行った。
確かに変な悩みかもしれない、他の人から見れば。
けれど、おっちょこちょいの私と過保護な上司。これはきっと相性の問題なのだ。私が窮屈だと感じるように、おそらく常盤主任もこちらを『手の掛かりすぎる面倒な部下』だと思ってるだろう。
振り返って見れば、このよろしくない相性の関係は私がここへ入社した直後から始まっていた。
あれは私がまだキラキラの新卒だった頃。全国に16店舗あるこのアミューズメントパーク【ポップキングダム】の本店で新人研修が行われた。
ボウリングやオートテニス、バッティングなどが楽しめるスポーツアミューズメント。メダルゲームやビデオゲームを扱うアーケードゲームコーナーに、プライズゲームやプリクラの設置してあるプレイコーナー。それから幼児用の遊具とスペースが確保されているキッズコーナーと、ざっと4種。
それら全ての施設や機器などを新人は頭に叩き込まなくてはいけない。
そしてそれは研修二日目、スポーツアミューズメントの見学をしていた時だった。
あぶないっ!!
つまづいてフィッシングコーナーの貯水池にあやうく落ちそうになった私を、研修指導担当だった常盤主任が助けようとしてくれたのは。
しかし、何がいけなかったって。
あ、あ、あああ~!!
じゃぼーん!!
助けようとはしてくれたものの、助けられなかったのだ。
すでに体重のほとんどが池側に傾いていた私は、手を引っ張ってくれた主任を巻き添えにしてそのまま池へと落っこちた。
今思い出しても恥ずかしいやら申しワケ無いやらで顔が赤くなる。放流されたメバルやヘラブナの泳ぐ池から、主任と揃って顔を出した時のマヌケな有様といったら。
他の新人達の笑い声の中、スーツごとずぶ濡れになった主任がズリ落ちた眼鏡を直しながら
……すまん。助けられなかった
そうボソリと呟いた声が、今も耳に残って罪悪感で胸を締め付ける。
――そうだ。あの時だって放っておいてくれれば良かったのに。
私ひとりが池に落ちたんだったら『いや~落っこっちゃった~』って、照れ笑いでもしとけば済んだんだ。なのに主任を巻き添えにしちゃったからヘラヘラ笑うことも出来なくて。
もう1年以上前の事だと云うのに、私はあの時の醜態を思い出して頭を抱えた。
以来、常盤主任は彼の管轄であるこの【ポップキングダム葛飾店】に私が配属されてからも、やたらと過保護な助け舟を出してきて。私はもう何十回と彼に助けられたか分からないでいる。
ああもう本当に……主任が助けるから余計に私、自分のドジが情けなくなっちゃう
狭山
過去の失態を思い出してカウンターで頭を抱えていると、ふいに名前を呼ばれ、私は焦って顔を上げた。
うわ!常盤主任!
上司に向かって何が『うわ!』だ。仕事中だぞ、ビシッとしないか
ちょうど考えていたところに突然出没されて、私は驚いた表情を隠すことなく目の前の常盤主任に向けてしまった。
厳しい口調で注意され、自分の背筋がピシッと伸びたのが分かる。
すると、常盤主任は姿勢を正した私を見据えると、ふいにこちらの左手を掴んできた。
な、なんですか!?
ビックリしている私に構わず、主任はまるで大切なものでも扱うみたいに恭しく手をとるとマジマジとそこに視線を落とす。
……やっぱり。さっきボタンに引っ掛けていたな
へ?
同じように自分の左手に注目してみれば。そこには小さな擦り傷が出来て微かに血が滲んでいた。
自分で気付かなかったのか?
ちょっとヒリヒリするな~とは思ったけど、別にこれくらい気にしてませんでした
だって本当に掠り傷なんだもの。むしろよく主任が気付いたなと思う。
などと感心していたら。
なんと常盤主任は自分のポケットから絆創膏を取り出し、それを丁寧に私の傷に貼るではないか。しかも。
さっき抱き留めた時、スーツの袖ボタンに擦れた感触があって気になっていたんだ
どこか申し訳なさそうな表情でそんな事を言いながら。
そうして、貼り終えた絆創膏のゴミをスーツのポケットにクシャリと入れると、ポカンとしている私の頭をポンポンと撫でてから去って行った。
――……自分で絆創膏ぐらい持ってるのに。本当に常盤主任てば過保護なんだから。
左手にちょっと不器用に貼られた絆創膏と、受付ロビーから去っていくスーツの背中を眺めながら、私は自分の顔が赤くなっていくのを感じていた。
つづく