王子、抜け出す〈2〉
王子、抜け出す〈2〉
そしてその後、日は暮れ、ハルトの父親と母親が数日の外交から帰ってきたため、久しぶりに夕食を息子と共に取ろうと、アロンにハルトを呼びに行かせるが、ハルトの部屋は固く鍵がかかっており、アロンの呼びかけにも反応がなかった。
ただこう言ったことは初めてでは無く、昔からハルトは拗ねると毎回似た行動を取るため、アロンは特に不思議に思う事なく、その場を去った。
あぁ……やっと分かった。最後の言葉は『ル』だ
だが、ハルトは拗ねてなどいなかった。自室のベッドの上で、以前、書物庫の奥にある禁断の扉の向こうにこっそり忍び込んだ時に手に入れた文献の、156ページと157ページに書かれていた魔法を、実行しようとしていたのだった。
ふふん、アロンくん。俺だってね、いつまでーも、出来ないままじゃ無いんだよ〜!この『変身の魔法』で、城から抜け出しても見つからないもんね〜!
『変身の魔法』。文献の中にあったそれは、ハルトの頭でも、教科書や辞書で調べれば分かる範囲の古語で書かれていて、かつページの破れや落ちがない魔法だった。ハルトは攻撃のための魔法や守備のための魔法は興味がない。ただ、王にならないといけないことは分かっていても、一瞬でもいいから、町にいる老若男女のように、どうにかして自由になりたい……そんな一心で、そういう魔法を求めていた。そして半分悪ノリで盗んできた文献に、その魔法が記されていたのだった。彼の強い思いに、文献が引き寄せられたのかもしれない。
ハルトは、人差し指を立てて、文献に書いてある通り呪文を呟いた。
『ア、ラ……チナン、ヌ、フンスン……ルル』
カタコトで喋った呪文に、人差し指は反応しない。
あれ?おっかしーなぁ。『アラチナンヌフンスンルル』。ん?あれ?
ここに来て、勉強をサボっていたツケが回ってきたかとハルトは思う。もう一度文献の該当ページを最初から読み直した。
あれぇ……『これは他人に変身する魔法、外見のみを変え……変える対象は実際の人物でも、想像の人物でも』……んで……うんうん、でしょ?おっかしいなあ……。ちょっと待って?そう言えば……
普段真面目に勉強しない癖に、こう言う時だけは頭が良く回るハルト。昔、アロンに言われた言葉をふと思い出したのだ。
アロンは、魔法の呪文は『呼吸』と『発音』が大事だって言ってたな
アロンは自身が魔法を使えなくても、ハルトに教えるために相当勉強していたのだった。
って事は……たぶんこの呪文は……
ハルトは改めて深呼吸し、人差し指を立てた。
『アラ・チナンヌ・フンスン・ルル』!
ラッキーにも間の取り方が合っていたようで、ハルトの人差し指は反応した。人差し指の先から光が溢れ出し、ハルトの身体を徐々に覆って行った。
やったやった!
はしゃぐハルト。急いで全身鏡の前に立つ。絵本に出てくるお姫様のように、黄色い光が螺旋状にハルトを変えて行き、光が消える頃には、中肉中背で金髪碧眼だったハルトの面影は消え、身長が低めのぽっちゃりとした栗毛栗目の見た目に変わっていた。これはハルトの想像上の人物の外見だ。
おおー!
ハルトは自分の魔法に感動する。こんなに感動したのは、実に10年ぶりくらいで、小さな炎の魔法が初めて使えた日の感動に似ていた。
そして、魔法が成功したいつの日かに着ようと思って、町に出掛けた時、アロンに隠れてこっそり買った農民の服に急いで着替える。これも奇跡的に今のぽっちゃり体型によくフィットした。
よっしこれで準備オッケィ!
いくら見た目が変わったからと言って、ハルトは城門から堂々と出るのは避けた。もっと夜中になるのを待って、窓から抜け出し、城壁の低いところから出るつもりであった。そのための長ーい、布を縛って作った縄も準備済みである。
カバンに荷物詰めよーっと
もう用が済んだので、ハルトは文献を閉じた。しかし、ハルトはちゃんと魔法の説明を最後まで読めていない。実は魔法の説明はあともう1ページあって、魔法の効果は12時間であることや、術者の熟練度によってそれは短くなること。一回使えば最低1週間は同じ魔法が効かないこと。これを見逃していたのであった……。
〈つづく〉