そのドアは開かないと思っていた。
いつもの夢だろうと、思っていた。

懐かしい職場。芸能事務所と書かれているわりに部屋は暗く静かだ。

始業の感覚で電灯のスイッチを押しても無意味で、孤独感がじわりと広がるばかりだ。

おかえりなさい。

プロデューサー

……!

まさか人がいるとは思わなかった。
たった一人で佇む姿ははっきり言って異様だ。

白いヴェールと暗い部屋が彼女の顔を隠してしまっている。

そして純白のドレスはさながら……
いや、正真正銘ウエディングドレスだ。

古ぼけた事務所にそぐわない、輝度の違うコラージュのような不自然。

なのに、美しい。

おかえりなさい

再度掛けられた声。
抑揚のないその声に胸が締めつけられるような郷愁を覚える。

それなのに何処で出会ったのか、彼女が誰なのか思い出せない。

プロデューサー

……ただ、い、ま

脳の奥がひり、と痛んだ。
「おかえり」「ただいま」なんて職場にそぐわない挨拶に、どうしてこうも安堵しているのだろう?

待たせてしまったようですがお互い様です

プロデューサー

え?あ、はぁ……あの、どなたですか?

道を進むほど知ることになり、辿り着けば夜が明けます

プロデューサー

あのー?もしもし、聞こえてないんですか?

酷く淋しいことですが、それでもあなたを導きましょう

言ったきり、女性は口を噤んでしまった。

プロデューサー

えぇ……状況が掴めないんだが……

というより動きが完全に止まってしまった。

バグかエラーかと疑うような非現実の中で、どうにか現状を把握する努力を始めることにした。

とりあえず、手近にある本棚を調べることにする。
ガラスの引き戸を開けば、リーフレットのような資料から分厚い専門書までぎっしりと詰まっている。

プロデューサー

これはダンスコーチの本か、経営理論、作詞について。これは……俗な週刊誌。

プロデューサー

見覚えのある本ばかりだ。……当然といえば当然だが

アイドルの魅力を最大限に引き出す仕事、プロデューサー。それが私の役職だった。

ずっと若くて青かったあの頃は、資料の整理なんてほっぽりだして現場を駆けずり回っていたものだ。

プロデューサー

それにしても……

黙りこくったまま微動だにしない女性を見やる。

女性は私のことを知っているようだが、私からすれば素顔すらぼんやりとしたままだ。

覆面のアイドルユニットが世間を騒がせていたこともあるが、彼女はたった一人で佇んでいる。
何をするでもなく。どういうつもりだろうか。

準備が完了しました。検索を開始してください

プロデューサー

け、検索?……ですか?

いちいち唐突で、自分のペースを乱されてしまう。

プロデューサー

検索、検索すると言えば……

とりあえず近くにあるパソコンに触れる。
起動ボタンに触れた指先に埃がぺったりと纏わりつく。なんとなく気持ち悪い。

そもそも電気が付いていないのに、電源が入るわけないだろう。
その筈なのに、

プロデューサー

何だこれ!?

目の前を覆いつくすほど沢山の写真……ホログラムだろうか?
業務に活かせるほどの勉強をしていないもので、恥ずかしながらよく分からない。

プロデューサー

よく見ると、これは……事務所に所属していたアイドルたちの写真じゃないか

プロデューサー

あの、君はここに所属していましたか?

はい

プロデューサー

名前を教えてくれま

いいえ。直接的質問は権限をブロックされています

プロデューサー

えぇ……食い気味……
じゃあ、この中に君の写真はありますか?

はい

女性の素顔を何としても探し出したい。
いや、「探し出さなければいけない」と。
理性的に顧みれば奇妙なくらい固執する自分がいた。

顔はよく分からないから服装が一致する人を探す。
しかし、ウエディングドレスの写真自体が少ないうえ、体型やデザインが全く一致しない。

プロデューサー

せめて顔を見せてもらえませんか?

いいえ。許可されていません

プロデューサー

なんだよ……どうして頑なに拒むんですか?

……。

プロデューサー

……苛ついてしまいました。すみません

女性は臆した様子こそないものの、俯いてしまった。
怒らせたかもしれない。しまったな……。

そうですね
知らないままがイイというのは、私のコンセプトに反します

プロデューサー

え?コンセプト?

いいえ。何でもありません

プロデューサー

あ、今……笑った?

勿論その表情は伺い知れない。けれど、彼女の「もっと多彩な表情を見たい」と思うのは、これが初めてでは、

また、脳の奥がひりつく。

プロデューサー

なんなんだ、一体。

けれど。
「知りたい」という渇望が、なにか大切な鍵であるような気がしてならない。

目を閉じてください

言われるまま目を閉じる。

会いたい人について……どんなことでも良いです。強く思い浮かべてください。

私の思考を見透かしたような台詞だった。
同時に残酷だった。

プロデューサー

「知りたいと願うだけで与えられるなら、彼女は人のように笑えた筈だ」

脳がひりつく。
やはり俺は、彼女のことをよく知っているようだ。

プロデューサー

だったら、俺は。

自分の「知りたい」だけでなく、彼女との存在しうる記憶を「思い出したい」。

思い出した先にある現実をも「認めたい」。

……ふふ

~続く~

次話:1215-1216(後編)

ある特別な日の夢(前編)

facebook twitter
pagetop