砂嵐に突入してから、もう十分くらい経ったかな。

これだけ大きな砂嵐だと、完全に通り過ぎるまで三時間はかかる。
このまま進み続けたら、進行方向を見失うかもしれない。

ワルダートさん。

何かしら、アイラさん?

立ち止まって、砂嵐が去るのを待つべきだと思うんですが。

そうしたいところだけど、先駆け班が立ち止まらないの。
いま私たちが止まったら、分断されてしまうわ。

笛で、止まるよう呼び掛けているんだけど。風の音で聞こえないのかしら。
なんにせよ、砂嵐の中で、隊商がバラバラになるのは避けたいわ…

ワルダート様!

鋭い声を上げたのは、ワルダートさんの家来たちだった。

後続班がついてきていません。私たちのスピードが速すぎて…

大変だわ。
先駆け班につられて、急ぎすぎたわね。

それどころか、我が班の護衛の姿も、いつの間にか見えなくなっています。

護衛がいないですって!?

と、一人が悲愴な声を上げた。

えっと…誰だろう?
ワルダート班にいるのは確か、ワルダートさんの家来が二人、護衛が三人、ラクダ使いが五人…

ということは、この人はラクダ使いの…

ルムス、落ち着きなさい。
あなたが怯えたらラクダまで怯えるわ。

隊商長のおっしゃる通りだぞ、ルムス。
同じラクダ使いとして恥ずかしい。

ルムスさん、か。

ラクダ使いなら、砂漠には慣れているはず。実際、他の人たちは、砂嵐でも平然としているようだけど…
ルムスさんは、新人なのかな?

そうだとしても、様子が変――

ダメです!!

!?

これ以上進んだって、ますますはぐれるだけだわ!

そうだ、砂嵐が来る前、左手の方向に大きな岩が見えたわ。
そこに隠れてやり過ごしましょう!

え、ちょっと!

ルムス! 待ちなさい!

っ!?
まさか、本当に行っちゃった!?

砂嵐の中ではぐれたらどうなる?

この視界だし、あれだけ混乱してたら、方向感覚もおかしくなってるはず。あれじゃ砂嵐が晴れたあとでも、隊には戻ってこられない。

何の装備もなく砂漠で迷子になったら死んじゃう。
ワルダートさん、追いましょう!

そうね。一人ではぐれるより、複数人ではぐれた方が、まだやりようがあるわ。今から追えば合流は難しくない。

隊列を抜けるわ。
ワルダート班は全員、ついてきなさい。

かしこまりました。

仰せのままに!

お待ちを。
今、ラクダに方向を変えさせます。

こうして私たちは、ルムスさんを追って、隊列を抜け出した。

大丈夫…まだ見失わない。

ルムスさんの背中は、砂の中、まぎれては、また現れる。

私たちはそれを追って、砂を踏みしめてゆく。

昔聞いた怪談話に、あったなあ。
友達に誘われて、夜に出かけることになるんだ。でも友達は、夜闇の中、先へ先へ行ってしまって…

消えては現れる背中を追っているうちに、気づくんだ。
その子が友達じゃないってことに。

逃げなきゃと思う間もなく、その子が振り向いて――

異形の、鬼の顔を見せる。

ギュンツ、伏せてッ!

う!?

ぐい!

と、ギュンツを抱き寄せて、
二人一緒に地面に転がる。

げほっ!
おい、急に何しやが――

ガギィンッッ!

!!

金属同士のぶつかる重い音で、
ギュンツにも状況がわかったらしい。

私が剣を抜き、
砂煙の向こうから振り下ろされた槍を、
刃で受けた音だ。

敵襲だ!

ぐんっ

ザッシュ!

上方からの槍を払って、
ガラ空きになった相手の脇腹を突き刺す。

ぐ…う…!

相手はうめいてラクダから落ち、
動かなくなった。

やったか!?

こいつはね。
まだ、あっちでは交戦中。

あっち…
ああ、ワルダートの所の二人か。

ギュンツが言って、砂煙の向こうに目を凝らす。
そちらでは、

ガキンッ キンッ

ワルダート様、そこを動かずに。

必ずお守りいたしますゆえ!

ワルダートさんの家来たちが、見えない敵と、それぞれ交戦中だった。

三方向からの奇襲だな。
まだ伏兵がいるかもしれねえ。

しまった!
ルムスさんは…っ

…ダメだ、見失った。

それどころじゃねえだろ。
勝手に混乱して逃げたやつには、自分の身くらい自分で守らせろ。

それには賛成できないけど、確かに、目の前の危険を取り除くのが先だね。
ギュンツ、動ける? ラクダに乗って。そして、私も乗せて。

二人乗り?
そういや、おまえ、自分のラクダはどうした。

ハジャルさんに貸しちゃったの。

なぁにやってんだよ、こんなときによ。

しゃがんだラクダにギュンツがまたがる。

私はその後ろに乗り、後ろから手を回して手綱を取った。

ギィンッ キキンッ

くっ!

落ち着けマルヤム!

落ち着いとるわザナバク!
貴様はおのれの相手に集中しろ!

! 駆け寄る足音。
よもや新手か!?

何っ!

ザン!

ぐは…!

私です、アイラです!

アイラ殿か!

あと一人ですか!?

くっ、挟み撃ちだと!

でぇいっ!!

ザッシュ!

う…う…!

最後の一人が大きく体を揺らして、ラクダから落ちた。

やったか…?

この見えぬ中だ。
本当に死んでいるか、確認せねば。

任せろ、息を見る。

…よし、息の根は止まっているな。
お見事です、アイラ殿。
それにしても、ろくに見えもせぬ中で、よくこのように素早く…

遠くにいる相手だとこうは行きませんけど、これだけ近ければ、相手の動きは気配で大体わかりますから。

気配、ですか。
でしたら、わかりますか? 敵がまだ潜んでいるかどうか――

どうでしょうか…
人がいれば絶対わかるってわけじゃありません。まだ警戒は解かずに――

チカッ

全員伏せて!

私が叫ぶのと、

風を切って何かが飛んでくるのとが同時だった。

ヴウウウウウアアアアアア!

この声は!?

矢です!
飛んできた矢が、ラクダの尻に。

二射目か。
今度は誰にも当たっていませんね?

私の弓矢で射返しましょう!

やめろ、ザナバク。

なぜ止める、マルヤム!

風向きが悪い。
おまえの弓は強弓ではない。
下手をしたら、射った矢が風にあおられて返ってくる。

待ちましょう。
矢と矢の間隔が長い。相手はきっと一人です。

この風と視界の中、本気で当てようとはしていないでしょう。そのうち矢が尽きれば、攻撃もやみます。

う!

どうしました!?

飛んできた矢が…腕をかすって…

伏せていなかったの!?

ラクダが怯えていたので、放っておけなかったのです…

平気です…刺さってはいません。
かすって行っただけで…

逆だ。矢が刺さっていた方が、傷口が砂にさらされずに済んだのに…

布を巻いて止血を。砂まみれでも、その上からでいいです。洗い落としたところで、すぐに後からかぶさってきて、どうしようもないですから。

わかった!

今はそれでいいけど、なるべく早く砂を洗うべきね。ここじゃまともな手当てはできないわ。避難できる場所がどこかにないかしら。

ルムスさんが言ってた大岩っていうのは、こっちで合ってるのかな…

あっちの方角は、砂の音が弱い。
もしかしたら…

みなさん、しゃがんだまま進めますか?
今までの進行方向から、少しずらして…十時の方向に進んでください。

わかったわ。
全員、アイラさんの言う通りに!

ギュンツは私のすぐ前にいて。
私はいちばん後ろを行く。

ああ、わかった。

私たちは身を低くして、砂の中を進んだ。

そうして進むうちに、

あ…大岩です。
逃げたラクダ使いが言っていたものでしょうか?

大きな岩の陰に辿り着いた。

しめた。風が岩でさえぎられて、砂の勢いが弱まってる。

それどころか、洞窟になっています!
中に入れば、砂の害を受けずに手当てができる。

入りましょう。
ラクダが逃げるといけないから、連れて入ってちょうだい。

はい!

怪我人を優先し、私たちは洞窟へと逃げ込んだ。

アイラ?
入んねえのか?

…………。

私は後ろを振り向いて、砂嵐の中をにらんだ。

しかし、そこに射手の気配は感じられなかった。

洞窟に入ったはいいけど…
何も見えないな。

視覚情報がない分、血の匂いが濃く感じられる…

う…ぐ。

しっかり!
きっと助かるぞ!

すぐに手当てをしたいけど…こんな暗い中で傷を触ったりしたら、変にいじっちゃいそうだ。
誰か、灯りを持ってませんか?

ランタンならアイラも持ってただろ。

荷物を、ハジャルさんに貸したラクダの上に置きっぱなしなの。
ワルダートさんは、ありませんか?

残念だけど、私たちの班は売るための商品を運んでいるから、日用品は別の班に預けてあるのよ。

我々の荷物もそこにまとめてある。

ギュンツは…?

ブレイザーならある。
クスリ作り用の携帯火鉢だ。

それじゃ…!

ただし火種がねえ。

なんでだ。

仕方ねえな、コレ使えよ。

ぐいっ

何? 何を、手に握らせてきて…

コレって、石ころ…いや、二枚貝?

貝殻の中に塗り薬が入ってる。
暗視目薬だ。小指の腹に半すくいずつ、まぶたに塗れ。

目薬?
ねえ、これって、副作用とか…

そんなにはない。

そんなには…?

瞳孔ガン開きになるから明るいところで目が見えない。あとは、痛覚がバカになるくらいだ。

結構な害だよね、それ?

四、五時間もすりゃ効果は切れるよ。

いいこと教えてやろう。
セレナでは美女になるクスリとしても、重宝されてきたシロモノだ。

視力と痛覚を犠牲にしてまで美女になりたいか…?

いいから使えよ。
オレにはそのクスリ、弱すぎて効かねえんだ。

…仕方ないか。
火の当てがないんだから。

えっと、小指の腹に半すくい…?
本当に少量だね。そんなもんで効くの?

…………。

うわあ!

すごい…岩の一片一片まで、くっきりと見える。

ずいぶん広い洞窟だな。
まだずっと奥まで続いてるみたい。

アイラ、遠くより近く見ろ。
怪我人が転がってるだろうが。

あ、うんっ。これなら見える。
すぐに手当てするよ。

失礼します。
腕をまくりますよ。

う…

これは…傷口が酷いことになってるな。すぐに水で洗おう。
水筒を持ち歩いていて良かった。

ギュンツ、包帯を持ってるよね?
あと、あの傷薬、とても効きが良かったからまた使いたい。

オレの作ったクスリなんだから、効果抜群なのは当然だな。
ほらよ、使わせてやってもいいぜ。ただし…

ありがとう!

まだ最後まで言ってねえ。
勝手に持っていきやがって。

ま、いいや。
条件つけたいのはアイラじゃなくて、ワルダートに対してだ。

何かしら。
我が隊のラクダ使いの手当てをしてもらっているのだから、私にできることなら叶えるわ。

何、難しい条件じゃねえよ。
襲ってきた連中について、知ってること全部話せ。

…………。
知っていること、と言われてもね…

待って、ギュンツ。
なんでワルダートさんが何か知ってるって前提なのさ。

襲われる心当たりなら、むしろ私たちの方にある。
確かに、大人数で攻めてきたこれまでとは、やり方が違うけど…

やり方が違うだけじゃねえ。
昨日は何も起こらなかった。オレを殺したいなら、昨日が絶好の機会だ。それを逃しておいて、今動くとは思えねえ。

あ…
それもそうか…

それにワルダートは、戦えるやつを二人も連れていた。
予想してたわけだろ、こういう事態が起こるって。

それは違うぞ!
我らは幼き頃よりワルダート様にお仕えしているのだ。

いかにも!
ワルダート様の商談相手に大物が増え、以来お命を狙われるようになったこととは関係がない!

ベラベラしゃべってくれてどーも。

この馬鹿!

は…っ!
申し訳ありません、ワルダート様、私としたことが口を滑らせて…!

別に、隠すようなことではないわ。
こちらにやましいことはないのだし。

本当に命を狙われているんですね…

ええ。ザナバクの言う通り、大物と商談をするようになってから、暗殺未遂が増えたのよ。私が死んで得をする人間は多いってことでしょうね。

心当たりが多すぎるって状況か。なら、相手の目的まではしぼり切れねえな。
狙いがワルダート一人なら、こっちも対処しやすかったんだが。

そうね、敵の目的によっては、私一人が標的とは限らない。隊商全体に危害を加える可能性もあるわ。隊商長として、それだけは防がなければ。

ルムスと護衛たちのことも心配だわ。こんな砂嵐の中で、はぐれてしまって。

はあ? 本気で言ってんのかよ?

班に属していた護衛は三人。襲ってきたのも三人だ。
砂漠の大商人様は、そろばんがなきゃ算数もできないのか?

何を、小僧!

ワルダート様を愚弄するか!

へえ、うっかり口を滑らせる頭の出来でも、グロウって言葉は知ってんだな。

貴様ぁ!

落ち着きなさい、ザナバク。

ギュンツ、ちょっと黙っててね。

ちょっとってどれくらい?

私がいいって言うまで。

でも、ワルダートさん。
私も護衛たちがはぐれたのは、わざとだと思います。いくら視界が悪くても、数歩先にいる護衛対象からはぐれるなんて、ありえません。

それに、ルムスさんの行動も不自然でした。ラクダ使いが砂嵐でパニックになるなんて。

ワルダートを隊から引きはがすために、わざと飛び出したってことか。

そういうことだろうね。
三人の襲撃者を倒したあと、矢を射ってきたのも、ルムスさんかも。砂漠の旅ではマントが必須だから、弓矢くらいならこっそり持ち歩ける。

その四人の単独行動とも思えねえな。
暗殺対象と偶然同じ班になるなんて、よっぽど運が良くなきゃだろ。
特に、護衛三人。

アイラみたいに個人でやってるやつならともかく、大人数での戦闘になれば、陣形が物を言うこともあるからな。好き勝手に配属先を選ぶなんてありえねえ。

護衛隊全部か、少なくとも、上にいる人間がグルだぜ。

それは…
そうとは限らないわ…

なんで否定する?
考えりゃわかることだ。わからねえフリする理由がわからねえ。

ワルダート様の深遠なお考えが、貴様のような小僧にわかってたまるか!

じゃ、おまえらはわかるわけ?

我らには考えもつかないようなことに、ワルダート様は思考を巡らせていらっしゃるのだろう。

我らは主人に従うだけ。
その御心を理解する必要はない。

つまんねえ家来従えてんなあ、ワルダート。もっとイキがいいやつ雇えよ。反逆してくるくらい。

反逆って…君は極端だよ。

その方が面白いだろ。

面白さで家来は選ばないから!
ねえ、ワルダートさん?

そうね。反逆は困るわ。

…………。

ハジャルなの。

えっ?

副隊商長の?
ハジャルさんが、どうかしたんですか?

あの護衛隊を私に紹介したのは、ハジャルなの。
「腕の立つ人たちを知っているから、今度の砂漠旅は彼らを雇おう」って…

でもハジャルは、私が唯一、相棒と呼べる人なのよ。他人にはさんざん裏切られてきたけど、ハジャルだけは、私を裏切らなかった。

疑いたくないの。
ハジャルのことも、彼が紹介した護衛隊のことも。だって…

この年になって、また相棒を失ったら、二度と人を信用できないわ。

そう言って。
ワルダートさんは、目を伏せた。

 

つづく

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