それから数日が経過し、いよいよ明日は遊園地に行く日だというのに、未だに美穂からの連絡がない。

 すぐに機嫌は直るだろとうと見越していたのだが、その予想はまんまと裏切られてしまった。それだけ、怒っているのだろう。

 そういえば、以前にも一度同じようなことがあった。あれは確か、美穂からの連絡にも応えず、自宅に篭ってホラー映画を三日三晩観続けた時。あの時は、随分と心配させてしまった。

 兎に角一にも二にもホラー映画。なんていうのは昔からで、どうやら余程の事がない限り、こればかりは変われないのかもしれない。
 あの時も、怒った美穂は一週間も連絡をくれなかった。

 そんな出来事を思い出しながら、明日は謝罪の意味も込めてとことん美穂に尽くしてあげよう。そんな風に思う。

【この間は本当にごめん。明日は、9時に迎えに行くから】

 それだけ送信すると、携帯をポケットへしまう。

 側から見たら、彼女とホラー映画とどっちが大事なんだ! なんて言われてしまいそうだが、そもそも彼女と趣味を比較するなんて事自体が、ナンセンスだ。
 趣味は趣味。美穂の事は、何よりも大切だし勿論愛している。

ーーあれ?

 歩みを止めた俺は、小さな声をポツリと溢した。

 どうやら、美穂の事を考えていたら無意識に映画館の前へと来てしまったらしい。

【スナッフフィルム】はマイナーすぎる映画のせいか、ネットで上映スケジュールが公開されるなんてこともなければ、CMなんて洒落た宣伝すら一切行わない。
 そんな状況で新作の公開情報を得る方法といえば、この近辺で唯一【スナッフフィルム】を上映している、この映画館へと直接足を運ぶ以外になかった。

 そんな理由もあり、ここ最近では毎日のように映画館へと通って、確認するのが日課となっていた。

 それが、習慣となってしまったせいなのか。はたまた、ホラー映画への並々ならぬ執着心からだというのか。
 確かに美穂の事を考えていたというのに、身体はこうして映画館へと向かってしまう。その本能とも呼べる行動には、我ながら呆れてしまった。

 よもや、ここまでとは……。そんなことを思いながら、チラリと視線を横に流す。

……ん?

 驚きにも似た小さな声を漏らすと、目前の真新しいポスターに、思わず目を凝らした。

 ここ数日、連絡のない美穂の事を考えていた俺は、暫くこの映画館へは通っていなかった。それがなんというタイミングの良さか、丁度今日は、新作の公開日だったらしい。

 俺は迷うことなくビルへと入って行くと、映画館へと続く扉を開いた。


 相変わらず観客など一人もいないこの映画館は、俺にとってはとても居心地が良く、素晴らしい環境だった。

 こんな状態で、経営状況は大丈夫なのだろうか? なんて心配も、少なからずあったりはするのだが。

 周りを気にすることもなく、一人独占して映画を観れる環境は、とにかく"最高"と表現して間違いないだろう。まるで、自宅にある巨大シアタールームにでもいるかのようだ。

【これは実際の殺人映像である】
 そんないつも通りのオープニングを眺めながら、そんな事を思った。

おっ。今回も女か……

 スクリーンに映し出された後ろ姿の女性を見て、前回の女性は、ナイフでめった刺しにされていたな……今回は、どんな風に殺されるのだろう? と胸が高鳴る。

 暫くすると、異変に気付いたらしいスクリーン上の女性は、歩くスピードを速めた。時々こちらを振り返るような素振りを見せながら、徐々に速くなってゆくその歩みは、ついには悲鳴をあげると一気に走り出した。

 それを追いかけているのであろう視点からの映像は、大きく揺れて少し見えにくく、俺は目を凝らすとスクリーンに食い入った。

 この少し見えにくい映像こそが、POV方式の特徴の一つだとも言えるのだが、それが寧《むし》ろ最高の臨場感を生んでいると言っても、過言ではないだろう。作り込まれた映画では、ここまでの臨場感は出せないのだ。

 いささかチープすぎるとも言えるこの映像だが、それこそがリアリティ性を高める最高の演出となって、俺をこんなにも夢中にさせていた。

 外灯の少ない、暗い夜道を逃げ回る女性。きっと、近くに住宅などないのであろうその場所は、外灯から離れると本当に真っ暗だ。
 画面が乱れているせいもあってか、逃げ回る女性の姿はほとんど目視できない。

 だがまぁ、それも仕方のないことだ。その内カメラが追いつけば、嫌でも見れる。この映画を観る一番の目的である、殺害シーンさえちゃんと見れるならそれでいいのだ。

 そんな事を考えながらも目の前の映像に夢中になっていると、未だ画面前方で必死に逃げている女性が、近くにある建物の中へと入っていった。

 あれ……っ?
 乱れる映像の中、所々に映るその建物に、妙な既視感を覚える。その霞がかったモヤのようなものは、カメラが近付いたことでハッキリと姿を現し、確信へと変わった。

 あぁ、やっぱりそうだ。へぇ……。あそこで撮影したのか。

 自分の知っている建物だったということもあってか、なんだかいつも以上に身近に感じる目の前の映像。トクトクと高鳴る俺の胸は、少しだけ心拍数を上げた。

 廃ビルの中を、必死に逃げ惑う女性。そんな女性の姿を追い掛けるカメラに時折チラリと映り込むのは、斧を持った男性のものらしき右腕。

 転げながらも必死に逃げ惑う女性は、ついにその距離が縮まった事でハッキリと姿を現した。その刹那、画面右側から振り下ろされる斧。劇場内に響き渡る、女性の泣き叫ぶ声。

 そんな緊迫した映像を前に、ドクドクと早鐘を打つ俺の心臓。その心臓が、一際大きくドクンと鳴ったその時ーー

俺の口から、ポツリと小さな声が漏れ出た。

えっ……? ……み……ほ……?

 なんで、美穂が……?

 今、目の前でスクリーンに映っている女性は間違いなく美穂で、この状況がうまく飲み込めない俺は小さく口元を震わせた。

 ……何で美穂が、映画になんて出てるんだ?

 そんな疑問と共に頭に浮かんできたのは、連絡のつかない携帯と、先程スクリーン上で見た見覚えある建物。
 --そう。あれは、美穂の家からそう遠くない場所にある建物なのだ。



【これは実際の殺人映像である】
 毎回オープニングで流れる、そんな文字が頭を過ぎった。

嘘……っだろ……?

 ネット上でまことしやかに囁かれている、これは紛れもなく本物の殺人映像だという噂。そんなことを思い出した俺は、スクリーンに映し出される美穂を見つめたまま、ガタガタと震えだした。

 斬りつけられた背中は大きく切り裂かれ、ドロリとした赤黒い鮮血を流しながら泣き叫んでいる美穂。それでもなお、止まらない斧の動きは、その小さな身体を次々と傷つけてゆく。

やめ、て、くれ……っ

 俺の口から出た声は、酷く震えて情けないものだった。

 スクリーンに映し出されるのは、血に塗れて泣き叫んでいる美穂の姿。そんな姿から、視線を逸らすことができない。

 お願いだから……っもう、やめてくれ……。

 深傷を負いながらも、必死に逃れようとする美穂の姿を見つめる俺は、その耐えがたい光景に顔を歪めると涙を流した。

 やめろ……っ。やめろ……! ヤメロ!!

ヤメローーーー! !!!

 スクリーンに向かって絶叫した瞬間、振り下ろされた斧は美穂の頭にめりこんだ。グニャリと歪んだ顔からは眼球が飛び出し、ヒクつく口元からは『ァ゛ガッ……ガッ……』と声にならない空気が漏れる。

 俺は堪らず嘔吐すると、その場に崩れ落ちた。床についた吐瀉物まみれの手で必死に上半身を支えると、床に向かって大きく泣き叫ぶ。

 嘘だっ……! 嘘だっ! 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だっ!!!

 まるで、今しがた目にした信じ難い光景を払拭するかのように、狂ったように頭を掻き毟る。

 そんな俺の頭上に突然フッと影が差し、それに気付いた俺はゆっくりと顔を上げた。
 突然できた影の正体であるその見知らぬ男は、カメラ片手に無言でこちらを見つめると、口元を不気味に歪ませニヤリと弧を描いた。

……っえ?

 俺の口から小さくそんな声が溢れた瞬間、右手に持った斧は俺の頭めがけて振り下ろされたーー。

 ーーーーーー

 ーーーーーー

あーっ。今回のも、凄く良かったねぇ

うん、そうだね。斧でグシャッとなるのなんて、本当に本物みたいだったよねっ

……あっ! そうそう。あの噂、知ってる?

噂?

実はね……。この【スナッフフィルム】って映画、本物の殺人映像らしいよ









もしかしたら、あなたの見ているホラー映画の中にも、【本物】が紛れ込んでいるのかも、しれない……。



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