19 王子の望まぬ結末2
19 王子の望まぬ結末2
過去の光景は霞の中に吸い込まれていく。
これは、手を伸ばしても変えることのできない過ぎ去った思い出。
エルカが紡ぐ物語が終盤にかかるにつれて、王子の意識とソルの意識が混濁していた。
完全にソルとしての意識を取り戻した時には、全てが終わった後だった。
ソルは、プリン王子の物語が残酷な結末を迎えることを知っている。
意識が戻る一瞬前までは、そんなことを夢にも思っていなかった。
そのことが滑稽に思えて乾いた笑みが零れた。
王子の姿のまま、ソルとして微苦笑を浮かべる。
(……あの時、『カラメルソースを作ってやる』と言えば良かったのか)
今更、後悔しても意味がない。
誰かに褒められたのは初めてのことだった。
幼い日のエルカはソルの作ったカラメルソースを褒めてくれた。
あんな純粋な目で褒められると、嫌な気持ちにはならないのだが、たまらなく恥ずかしかった。
しかし、また作って欲しいという彼女の申し出を断った。
ソルが拒否をして、作り方も忘れたなんて言い出したからエルカは別の結末を考えようとした。
どうやら物語の要素にしようとしたのだろう。
(あいつにとって、《《ソルが作ったカラメルソース》》は物語の重要な要素の一つだった)
プリン王子の物語。
それは、エルカとソルが過ごした思い出の時間が元となっている。
それは、エルカがソルと家族になるまでの記録でもあった。
ソルがエルカと一緒にプリンを作った。
だから、王子は魔法使いの女の子と一緒にプリンを作った。
ソルがカラメルソースを作ったから、王子もカラメルソースを作る。
ソルがカラメルソースを作り、ナイトがプリンを作る。そうすれば、自分たちは本当の兄妹になれるのではないだろうか。
そんな未来を想像して、幼いエルカが考えた結末は、王子のカラメルソースで皆の心がひとつになるハッピーエンド。
エルカはナイトを明確なモデルにしていないのだが、皆という大多数の中にいたのかもしれない。
これは、エルカがソルと兄妹になるための物語なので省かれているらしい。
そこにカラメルソースが加わると物語は盛り上がる。
そんな構想を語るエルカに、ソルは【カラメルソースの作り方を忘れた】と言った。
それを聞いたエルカは一瞬だけ表情を曇らせて、首を捻る。
ソルが作れないものを、王子は作ることが出来ない。
これは空想なのだから、物語の中では作らせても良いのに……そう思ってしまったが彼女独自の法則があるのかもしれない。
それは【モデルであるソルが出来ないことは、王子も出来ない】という法則。
その結果、物語の中の王子は【役立たず】となってしまったのだが。
ソルがカラメルソースを作れないのなら、王子はカラメルソースを【作らない】。
エルカは別の結末を思案することにした。
しかし、彼女の思考は途中で途切れてしまった。
あの男が現れたのだ。
ソルにとっては父親だったがエルカにとっては見知らぬ大人の男。
そいつは、乱暴に扉を開いて二人が過ごす応接間に踏み込んできた。
エルカの思考はそこで停止した。
そこで、ハッピーエンドは脆く崩れ去ったのだろう。エルカの構想するプリン王子の世界にこんな乱暴な存在は登場しないし、入り込む隙もないのだから。
あの男が訪れたことで、彼女の目から光が消えた。
彼女は察した。
物語は永遠にハッピーエンドにはなれないことを。
エルカはソルの言葉を信じていた。
だから、カラメルソースの作り方を忘れたという言葉も、それが嘘だと気が付いているのに信じてくれた。
数分前にレシピを見ながら作ったものを忘れるわけがないのだから。そこにレシピがあるのに、【忘れた】というソルの言葉を信じた。
ソルは自分の言葉を嘘でも信じてくれる彼女に懇願した。
【暴れたのはあの男ではなくソルなのだ。あの男のすることは全て、ソルのしたことなのだ】……と。そんなソルの下手な嘘をエルカは信じてくれた。
あの日、暴れたのはソルだった。
だから、物語の中で王子は暴れる。
エルカの日記の中では、その部分は何度も消されたような跡があった。
絵もインクで潰されている為、まともに読むことができない。
結末に結ぶことができなかったのだろう。
しかし、かろうじて確認できるものがあった。
それは孤独に佇む王子の姿。
それは、まるで今の自分の姿だとソルは思った。
闇の中に、ポツリと自分だけがここにいるのだから。
あの日以降、ソルは孤独になった。
だから、王子も孤独になったのだろう。
(これが、正解の結末。それなのに胸が苦しくなる。そして、エルカはこの結末も黒いインクで潰している。その理由は何だろう)
それは彼女にとって納得できない結末だからだ。
それまでの彼女は幸せな結末を目指していたのだから。
ソルと自分たちは必ず仲の良い家族になれると信じて。
それなのに最後に悲しい結末に至ってしまった。それがたまらなく悔しいのだ。だから黒で塗り潰す。
本の中にいたエルカの記憶は曖昧で、物語を完全には思い出せていなかった。
だから、図書室の本を通して檻の中にいるソルの助言を聞いて、物語を進行させていた。
檻の中で接している時は彼女から明るさを感じていた。元の場所に戻ることに対しても前向きな姿勢を示していた。
彼女の力になりたくて、ソルは自分のできることを彼女にしてあげたつもりだった。
だから、プリン王子の行動までは予想できなかった。
本の中のプリン王子にはソルとしての記憶はない。だから、カラメルソースなんて作れるはずがなかった。
それなのに、プリン王子は作った。
(無意識だった、カラメルソースを作ったら喜んでくれると思って、オレは………)
王子として物語の中にいた時のことを思い出す。
ただ、純粋に彼女を喜ばせたかっただけだった。
それは、幼いソルが抱いた気持ちと同じものだった。
幼いソルの心の奥底では、カラメルソースを作ってやりたいと思っていた。
その気持ちだけが王子の行動に反映されてしまったのだろう。
ソルとしての記憶がないまま、王子は作っていた。
彼女を喜ばせるために作ったカラメルソースを作ることで、物語は《《歪んだ》》。それは、コレットの望む歪みだったのだろう。
(だけど、あれはオレが嫌がった結末だ……そんなのを押し付けてしまった)
あれはエルカが本当に描きたかった結末。
だけどソルが拒否した結末。
(泣かせるつもりはなかったんだ)
全ての記憶を取り戻したエルカによって物語は強引に結末を迎えた。
王子がカラメルソースを作ってしまっては物語がハッピーエンドになってしまう。どうしても阻止させたかったのだろう。
彼女はソルが歪めた展開を、無理矢理バッドエンドに捻じ曲げた。こちらには、彼女の母コレットがついているが、エルカも手強いようだ。
だったら、ソルも足掻いてやろうと思った。
いや………まだ
静かに立ち上がる。
漆黒の闇の中にいるのに、少しも恐怖を感じなかった。
立ち上がった《《彼》》は華やかな王子の姿ではなかった。
結末は迎えていない
目の前の大きな鏡台に向かって微笑む。
鏡に映るのは情けない表情を浮かべた成人男性のソルだった。
この後悔をバネにして、身体を伸ばし、大きく深呼吸する。
そして、ソルは走り出した。