18 王子の望まぬ結末1

 どこまでが現実で、どこからが夢なのか……



 【彼】は自分が何者なのかも分からなかった。


 いつの間にか瞼は閉ざされていたらしい。


 瞼を閉じた……そんな記憶はなかった。

 それはいつからの記憶なのかも分からない。


 分からないことだらけで、分からない。
 
 呼吸を整えて、気持ちを落ち着かせてから、瞼を開く。



 目と鼻の先に大きな鏡に映る男の姿。


 青年と少年の中間ぐらいの年頃の男。

誰だ……コイツは

 蜂蜜色の髪とカボチャパンツの似合う若い男の姿が鏡に映る。

 そこで、【彼】は自分が物語の登場人物であることを思い出した。

王子

オレ……ボクの名はプリン王子様だ……ボクの目的は……

 やるべきことは決まっていた。


 図書棺で物語の想像主と出会う。

 創造主……エルカに頼んで、彼が主役の本を見つけ出す。

 同時に彼女は、その世界に取り込まれる。

 それを見届けてから、彼も本の世界に向かう。





 本の世界に取り込まれてからは、エルカが紡ぐ世界に流されるだけ。


 自分の物語がどんな結末を迎えるのか、彼は期待に胸を膨らませていた。





 これから自分がどうなるのか分からなかった。

 やがて、エルカが物語を終わらせた瞬間。



 王子の中にソルの意識が蘇った。



 その意識が突然舞い降りた時には、全てが終わっていた。

 そこは、黒に染められた世界だった。

 ここはバッドエンドを迎えた世界。

 ここは彼女にとっての正しい結末の世界だった。




 漆黒の闇の中、カボチャパンツの男が項垂れる。

 だらりと下ろされた、その手を力強く握りしめる。






“王子様は暗い闇の中で、ひとりぼっちに生きる”






 エルカによって、その結末を与えられた世界。そこには彼しかいない。



 彼以外は全て闇に沈んでしまったのだ。

王子

………あいつが描こうとしていた結末は、これ……だったのか

 暗闇の中で彼は笑う。

 これが黒いインクで塗りつぶされた結末。



 エルカがこれを描いたのは、二人でプリンを作って食べた最初で最後の日。



 ソルはプリンを食べることに夢中だった。


 彼女は正面に座って物語を描いていた。



 瞼を閉じればあの時の光景が思い出される。




 一緒にプリンを作った穏やかな時間。


 それは、二人の間にあった警戒心を和らげてくれた。エルカはソルを怖がらなかったし、ソルも怖がらせるような態度を見せなかった。


 それが当たり前であるかのように、二人は向き合って座っていた。

エルカ

今描いている物語の相談をしても良いかな?

ソル

何もアドバイスは答えられないぞ。話すなら勝手に話せばいいよ

エルカ

うん、じゃあ勝手に話すね。王子様のカラメルソースが美味しくて、毎日みんながカラメルソースを求めるの。いつの間にか王子様のまわりには、城のみんながいて、魔法使いの女の子も居て……彼らは末永く幸せに生活するのよ。めでたし、めでたし

 彼女が語るのは、描いている途中だった物語の結末だった。

 どうやら孤独な王子様が、カラメルソースを作ることで城の人間と交流を深めるという話らしい。


 これは彼女が最初に思い描いた結末だった。

ソル

そんな単純なことってあるのかよ

エルカ

物語なんだから単純で良いの。その方が子供の私たちは分かりやすいもの。難しい争いなんて要らないわ

 余計な口出しに怒ると思えば、屈託のない笑顔を向けられた。


 だから、どんな表情で返せば良いのかわからなかったので無表情で返してしまう。



 物語とは、そういうものなのだろうか。


 ソルは本を読まないから考えたこともなかった。

ソル

そういうものなのかよ

エルカ

その……あのね、カラメルソースが美味しかったよ。ありがと

 目線を絵に固定したまま、少しだけ恥ずかしそうにお礼を言われた。

 そんな態度を見せられると、こちらまで恥ずかしくなる。

ソル

と、当然だろ? オレが作ったんだからさ

 思っていた以上に上出来で、実は自分でも満足している。



 こうして、喜んでもらえると嬉しい。しかし、嬉しいという気持ちを伝えるのは、とても恥ずかしい。



 視線を反らして、フンっと鼻を鳴らす。

エルカ

だから、ソルには明日からも作って欲しいの

ソル

え?

 彼女は上目遣いでそんなことを言いだした。



 澄みきったワインレッドの瞳に、戸惑う自分の姿が映りだす。


 
 思わず無意識に頷きそうになった。



 それを必死に堪えた。


 ナイトはこの目に弱いらしいが、これは強力だと思う。


 頷かないといけないような……そんな空気が流れるのだ。

ソル

ご、ごめん……作り方、忘れたよ

エルカ

ついさっきなのに?

ソル

うん忘れた

 彼女の為に作るのは問題ない。彼女の喜ぶ顔は嫌いではないし、その表情を見るといつもより穏やかな気持ちになれる。



 ただし、そうなると出来の良い義兄と一緒にプリンを作ることになる。それは恥ずかしいというか、何だか嫌だ。


 きっとソルのカラメルソースよりも義兄のプリンの方が絶賛される気がしてならない。



 せっかく満たされたこの気持ちを、台無しにしたくなかった。

エルカ

んー……ここで、作ってやるって言ってくれないと物語にできないよ。一回だけじゃ、足りないの

ソル

な、何を言っているんだよ?

エルカ

うーん……考えないと

ソル

何を考えるんだ?

エルカ

カラメルソースを作らないで幸せになる方法……王子様が作れないものを作ったらおかしいもの

ソル

王子様が?

エルカ

あ、この王子様のモデルはソルだから。別にソルが王子様じゃないよ、王子様がソルなだけ

ソル

な、何を言い出すんだよ

エルカ

物語の王子様にプリンを作らせたいの。プリンを作っただけじゃ幸せにならない、物足りないもの。カラメルソースを作れたらステキだったのだけど。作れないのなら仕方ない………うーん……どうしようかな

ソル

そ、そっか。よくわからないが………がんばって、考えてくれよ

 ソルはそう言って、改めて目の前のプリンを頬張った。



 王子様と告げられたソルの顔に熱が帯びたなんて、エルカは気付かなかっただろう。

 そして、この時のソルには知る由もなかった。


 この会話が、エルカにとって意味のあるものだということを。

第2幕-18 王子の望まぬ結末1

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