紫季


現れたのは紫季だった。


朝食の支度を終えてから
此処に来たのだろうか。

撫子似の女や
侯爵似の爺さんに比べれば
彼女の家だ。
いたところで不自然ではない。



けれど。











自分は此処から過去に向かった。
あの扉を開けたのは紫季だ。

その場に
彼女がいることの意味を、














朝から姿を見せない級友と
繋げて考えてしまう。















……灯里は?

灯里様が贖罪を望む気持ちもわかります。
しかし私たちはそれを許可することはできません



問いの中に滲ませた意図は
きちんと彼女に伝わったのか。

彼女の口から発せられた言葉は
望む答えではなく。

それどころか
何処か不穏を帯びていて。




その突き放した言い方は

人形、なのか

人に非(あら)ざる者だと
言っているようで。

いや、紫季はいつもこの調子だった。
俺が色眼鏡で見ているだけだ



灯里のことだ。
あれは空気を読まない冗談
だったのかもしれない。

人形が自ら考え、自ら動くなど
10人がいたら10人が
「ありえない」と答えるだろう。



そう思おうとするものの、
「ありえない」という否定と同時に

灯里が採算度外視で
作っている人形というのが
まさに彼女のことではないのか?

灯里なら作れるのではないか?


と、「あり得る」が
首をもたげようとする。








そして
それよりも気になるのは。

私、たち?

私たち、とは?
許可、とは?




何だろう。

紫季が灯里に
危害を加えるはずがないのに
やけに胸騒ぎがする。








































そんな晴紘の懸念など
おかまいなしに
紫季は言葉を紡いでいく。

灯里様の手によって生み出された……いえ、それ以外の全ての自動人形の総意として私たちは灯里様の身を守ることを決断しました

どういうことだよ

昨夜の灯里に悪乗りして。
自ら人形と名乗るなど
悪趣味な冗談だ。





灯里がいないのは
身を守るために何処かに隠したと、
そう言っているのか?

鬼ごっこじゃあるまいし
子供の、
いや、人形の浅知恵だ。

待てよ? こうしている間にも灯里は家を出てしまったかもしれない

もしかして気が変わって逃走したとか?

それで紫季に足止めを頼んだのかもしれない。いや、きっとそうだ


あの紫季が悪乗りに乗じてまで
足止めしようとする理由。

そんなものはひとつしかない。

……朝から遊んでる暇はないんだ


踵を返した晴紘の背後で
しかし紫季は
さらに言葉を重ねていく。

侯爵がしようとしたことは荒唐無稽です。この世界の常識では通用しない

・・・


耳を貸すな。
早く灯里を追うんだ。

そう思うのに
足は動いてくれない。

証拠の品でもある「撫子」は侯爵と共に姿を消し。
灯里様の資料は侯爵の罪を白日の下に曝すものではありますが、その罪を問うべき侯爵はいない

何が言いたい

資料の内容も一般人には理解できない


反論の声は絡めとられ

そして侯爵が人道から外れた罪を犯したこと――それは華族全体の地位を揺るがすもの。
彼らが庶民を同じ人と見ていないことは明白で、だからこそ全てを隠そうとするでしょう


彼女の言うことが
自分も思っていたことだけに
説き伏せる術(すべ)も見当たらず。

さらには、侯爵が言っていたように、晴紘様の上にいる方々がどちらの味方に付くか、



彼女は人形なのか?

世論に疎い灯里様がひとりで矢面に立ったところで、彼らが灯里様ひとりに罪を背負わせて解決を図ろうとするのは歴然です



騙しているだけなのか?

いや、でも世論の知るところになれば誤魔化すのは不可能だ

紫季が抱く危惧は、俺がさせない

そうだ。

灯里の資料を潰し
彼に全てを押し付けたとしても
世論がその通りに
受け取るか否かは別。

三流娯楽誌の力を借りてでも
俺は侯爵の罪を明るみに出す。



木下さんも
娘たちも
撫子も
きっとそれを望んでいる。

だから

晴紘様は良い方ですね

へ?



紫季の言葉の意味を
はかりかねたまま








しかし












この世界は私どもには早すぎたようです

紫季は首を横に振った。

この世界に晴紘様のような理解のある方が増えるまで。
もしくは、理解のある方ばかりの世界へ

何を……言ってる?

私たちの意思は変わらないのです

私、たち



「私たち」。
また「私たち」だ。


























ああ。












あの鐘の音は
やはり
次元を移動する合図だったのか?





ただし今度は
自分(晴紘)ではなく

















灯里が――















待てよ!






何度目かの
十一月六日の中に





木下女史が生き残る世界が
あったように。



灯里が望んだのか?
別の世界に行くことを。




否(いな)。




紫季の言葉を繋げれば
そこに灯里の意思はない。


あるのはただ
人形たちの、

そんなこと、お前らの一存で決めていいことじゃ、


自分の時は
元の世界に戻るという意思があった。
でも紫季の場合、
満足できる世界に巡り合えれば
其処に留まる道を選ぶに違いない。

お前は、何の権利があって

私の名は紫季。
”しき”は式に、そして死期に通じる

どういう……ことだよ



「式」とは式神。
陰陽師などの使い魔を指す。

「死期」とは……
その文字のままの意味だ。


紫季は灯里の助手。
使い魔と自称できなくもない。
しかし、

……そろそろお暇致します。
ごきげんよう、晴紘様。いつかの未来に
またお会いできる日を


そう言うと
紫季は胸元から
鎖を引っ張り出した。


鍵だ。

過去に戻りたいと願った自分に
紫季が、そして時計塔の彼女が
見せた鍵だ。

待っ







一瞬、
大勢に見られている感覚があって。

!?



目を離した隙に
紫季の姿は
忽然と消えてしまっていた。






































































































空は闇に覆われている。

 夕陽が残していったオレンジ色は
稜線の彼方に消えた。

灰味がかった時計塔も、
白く砂埃が舞う道も、
空と同じ色に染まっている。








時計を見る。


一時五分。

……





あれから何年か過ぎたけれど
紫季と灯里は未だに
帰っては来ない。






俺はずっと森園の屋敷で
彼らの帰りを待っている。

なぁ

事件はもう解決したんだぞ。
侯爵の罪も、ちゃんと明かしたんだ



灯里の工房と
侯爵邸に残されていた
資料を掻き集め。


見て来た過去を思い出しながら
森園瞳子と
西園寺撫子と
犠牲になった娘たちに関わる
証拠を拾い集めて。

心配することなんか、もうないんだ。
いつでも帰って来て良いんだ

































時計塔は鳴らない。
その錆びついた音色も





しばらくは、聞けそうにない。




















































【終章】心・拾壱

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