昔々、あるところにおじいさんとおばあさんが・・・といったテイで、今日も教室のトオルの席には笹塚先生が座っています。
昔々、あるところにおじいさんとおばあさんが・・・といったテイで、今日も教室のトオルの席には笹塚先生が座っています。
よ!
とくりゃ、
うぃす
とかえる。
まさに阿吽の呼吸、双子もびっくりの息の合いよう。沈黙すらも会話の一部になっています。
奥山に もみぢ踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき
おくやまに もみぢふみわけ なくしかの こえきくときぞ あきはかなしき
秋とくりゃ
鹿ですね
お、わかってるね
はい。予習しましたんで
そりゃ大したもんだ
お褒めに与り光栄でげす
それじゃ訳そうか
はい、いつでもどうぞ
笹塚先生はオホン、と一つ咳払いをして言いました。
秋は悲しい
・・・
ーーーあれ、何も言ってこないな。
どうした?
無言のままのトオルが心配になった笹塚先生が訊ねますと、それはなにやら思案顔です。
しばらく後にやっとこさ口を開きます。
あの、先生、この歌って、一体誰がどこで悲しんでいるんですか?
おお! するどいな
さすが予習してきただけのことはあるなぁ、と笹塚先生今度は感心しきりの由にて。
さて、トオルが言いたいのはつまりこういうことです。
<奥山に もみぢ踏みわけ>ているのは鹿なのか、人なのか。
<声きく時ぞ>とは山で、なのか里(屋敷)でなのか。
鹿としての悲しさなのか?
人としての悲しさなのか?
二人はしばし、遠い昔に思いをはせます。
そして笹塚先生は言いました。
うん、正解なんてわからんけどな、この作者は、現代になっても自分の作った歌について考えてくれる大和人が、この国にいることを喜んでくれていると俺は思うぞ
そうですかね
ああ、今、同じ空をみていると、トオルは思った。
笹塚メモ
猿丸大夫は存在が謎。古今集では詠み人知らずの歌。