人間界にやってきてからしばらく経ったが、なぜあの少女が二人の名前を知っているのかはまだ分からない。とりあえず二人は、彼女のことは「ご主人様」と呼ぶことにした。

ある日、ソルトは珍しくペッパーが静かだなと思ったら、なんと水面で口をパクパクさせていた。

ソルト

……何やってるんですか

一応聞いてみた。

ソルト

今日の分のご飯は、もう食べたじゃないですか

ペッパー

ご主人様を呼んでるんだ

ソルトの頭上に、はてなマークが浮かぶ。

ペッパー

ご主人様と話がしたくて

ソルト

言葉、通じないじゃないですか

ペッパー

せめて、そばにいてくれるだけでもいいんだ

ペッパーの、どこか悲しそうな顔を見ても、ソルトはどうしたらいいのか分からなかった。

ペッパー

そばにいてくれたら、僕の想いもご主人様に届くかな?

ソルト

ペッパーくんの想い……

ペッパーはいつも食べ物のことしか考えていないと、ソルトは思っていたが、やはりそれは、一目惚れしたご主人様への淡い想いなのだろうか。

ペッパーは、満面の笑みで言った。

ペッパー

もっと美味しいご飯が食べたいってこと

結局いつもの欲望に忠実なペッパーだった。ソルトはスッと目を細くする。

ソルト

ものすごくどうでもいい想いですね

ソルトが言うと、ペッパーが両ヒレを頬にあて、口を大きく開けた。

ペッパー

なんで! ソルトくんは、すごく美味しいご飯とそうでもないご飯、どっちがいい?

ソルト

唐突ですね。そりゃ、すごく美味しいご飯ですよ

そう答えた瞬間、ペッパーの目があり得ないくらいキラキラ輝きだした。

ペッパー

そうでしょ? だから、美味しいご飯に変えてもらおうよ!

ソルト

え?

ときどき、ペッパーはとんでもないことを言い出すから、ソルトはついていけなくなる。

ソルト

わざわざ変えてもらう必要ないですよ

ペッパーが食べ過ぎるせいで、いつもソルトの分がなくなるから変えても意味がないのだ。

ソルト

そんなことより、どうしたら元の世界に戻れるか考え――

ペッパー

絶対にソルトくんを納得させてみせるから、覚悟しててよ!

ソルト

……頑張れ?

それからペッパーは毎日のように、ソルトに美味しいご飯に変えた場合の利点を熱弁していたが、ソルトの心を揺るがすことは一度もなかった。

そんなある日。

ペッパー

ねえ、ソルトくん

ペッパーが、とても申し訳なさそうな顔でソルトに近づいてきた。ソルトは首をかしげ、嫌な予感がしつつも先をうながす。

ペッパー

水草壊しちゃった

ソルト

どうしたら壊すんですか!?

ペッパー

美味しいと思ったんだもん……

ソルトは何ですかその理由、とつぶやきながら呆れ顔でその水草に目をやった。水草の葉のうちの一枚の先端が、少しだけ欠けていた。

ソルト

あれ、ニセモノだって知ってますよね?

ペッパーはソルトから目をそらす。

ソルト

知らなかったんですか……

ソルトは、だらりとヒレを垂らした。そしてペッパーの顎の力に感心しながら尋ねる。

ソルト

食いちぎった欠片はどうしたんですか?

ペッパー

ちゃんと捨てたよ。硬いし、まずかったし

そんなに美味しいご飯が食べたかったのだろうか。そこまで食い意地を張っているとは思わなかったソルトは、しばらくうなってから言った。

ソルト

……分かりました。美味しいご飯に変えてもらいましょう。これ以上水草をちぎられるのは嫌ですからね。あれ、ニセモノだから再生しないんですよ

その瞬間、ペッパーの目が輝きだし、「ひゃっほー!」と叫びながら金魚鉢中を凄まじい速さで泳ぎまわり始めた。そのせいで、金魚鉢内の水が大きく揺れる。

ソルト

ペ、ペッパーくん、ちょっと落ち着いてくださいっ……酔ったみたいです……

ペッパー

えっ、ごめん!

慌てて謝ったあと、眉間にシワを寄せる。

ペッパー

なんで酔うの? 人魚なのに。……まあ、今は違うけど

ソルト

年でしょうか。傷も治らないし

金魚鉢に入ったときにできたいまだに治らない傷を見て、ソルトは悲しそうな顔をすると、ペッパーはなぜか胸を張った。

ペッパー

僕みたいにたくさん食べないからだよ。ソルトくんはもっと食べたほうがいい

ソルト

誰のせいだと思ってるんですか

ペッパーは首をかしげる。

ソルト

君ですよ

そんな答えを想像していなかったのか、にっこりとした笑顔から、唇を突き出し目を見開くという変顔をした。しかし、すぐにもとの笑顔に戻すと言った。

ペッパー

デブ活中なんだ、僕

ペッパーいわく、太っていると女の子たちは、

ほかの男の子よりも強いからご飯を独り占めしているんだわ!

と思い込み、どこまでもついてきてくれるのだとか。

ペッパー

世界の中心になろうと思って。今やぽっちゃりがスタイリッシュな人魚のトレンドなんだよ

ソルト

意味不明です

ペッパー

ひたすら食べることがポイントだよ

ソルト

でしょうね

ほかに何があるというのだろう、とソルトは呆れた。

ペッパー

そういうことで、僕がソルトくんの分のご飯を食べても文句言わないでね

ペッパーがソルトの分のご飯を食べてしまうのは、この先もまだまだ続きそうだ。

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