オキュペテーはまる一昼夜飛び続けた。
オズィアがいかに遠いとはいえハーピーの女王の驚異的な飛翔力でこれだけの時間飛んでいるのだから、そろそろ着いても良いのではないか、と思っていると、ようやく前方にそれらしき城壁が見えてきた。
オキュペテーはまる一昼夜飛び続けた。
オズィアがいかに遠いとはいえハーピーの女王の驚異的な飛翔力でこれだけの時間飛んでいるのだから、そろそろ着いても良いのではないか、と思っていると、ようやく前方にそれらしき城壁が見えてきた。
あれが、魔都オズィア……
近づくにつれ、その威容がはっきりと見えてくる。
『黒鉄の山塊』の異名にふさわしい、禍々しいまでに黒く、総毛立つほど大きな、難攻不落の城。
ぶるっ、と身震いするような寒気を感じたのは、吹き付ける風のせいだけではないだろう。あたしは、マントの襟をかき合わせた。これも寒いからというより、ドワーフの長老からもらったこの、他者から姿を見えなくする魔法のマントが、万が一にも脱げてしまっては困るからだ。
遙か前方の門楼のてっぺんに、小さく哨戒兵の姿が見える。当然、魔物の中でも遠目が効く種族がその役目を担っているはずだから、こちらが向こうを視認するよりもっとはっきりと、向こうはこちらを見ることができるはず。あちらがあたしに気づいたら、当然あたしはオズィアの魔物たちに襲われる。
のみならず、あたしを連れてこようとしたオキュペテーだって無事では済まない。親切であたしをオズィアまで送ってくれたオキュペテーに危険が及ぶようなことは避けたい。
オキュペテーは門楼に立つ兵士と敬礼を交わしながら城壁を通り過ぎ、オズィアの街中にあるひと際高い尖塔の上に降り立った。
この尖塔が我の屋敷だ。
この内にいる限りは危険はない。
屋内へ続く下り階段を降りながら、オキュペテーが告げる。その背中を追って歩きながら、外から完全に見えない位置まで来たところで、あたしはマントを脱いだ。
連れてきてくれてありがとう。
この恩は絶対に何かの形で返すからね
恩返しなどいらぬ。
イーリス様に言われたトイフェル退治さえやってくれれば、それが一番の恩返しだ
そういってオキュペテーは、屋敷の使用人らしきハーピーたちから叙任式の予定についての報告を受けたり、いろいろな指示を出したりと、忙しく働きはじめた。彼女らの会話から、叙任式は二日後に行われるということがわかった。
妖精王オベロンが魔王腹心として正式に認められる叙任式。当然、魔王もそこに現れるし、今オズィアに来ている魔物のお歴々たちが一堂に会することになる。魔王に近づく最大のチャンスだ。
ヴァルターが妖精の丘に着くまでには、あと五日くらいかかるはずだから、叙任式の時にエリザを救い出し、すぐに「イーリスの封筒」でヴァルターに救出成功を知らせれば、ヴァルターは誓約の火炎を使った危険な交渉をせずに済む。
では、我は王城へ行ってくるぞ。魔王陛下は多忙ゆえ謁見はかなわぬだろうが、王城へ到着の挨拶はせねばならん
そう言ってオキュペテーは、せわしなく退室しようとする。あたしは、「あ、待って」と彼女を呼び止めた。
あの、ドワーフの……ゴットハルト様、だっけ?
あの長老様も叙任式に出席するの?
強力な魔物たちが跳梁跋扈するこの魔都オズィアにおいて、あたしの味方になりうる存在がいるとしたら、オキュペテーとドワーフの長老だ。
ゴットハルトという名前らしいあのお爺さんがオズィアに来ているのか否か。いるとしたらオズィアのどのあたりに逗留しているのか。オズィアでエリザを探して回るにあたって、その情報は重要な意味を持つ。
ん~、ゴットハルト様か。
今回はご出席なさると思うが……
オキュペテーの返事は、煮え切らないものだった。なんでも、ゴットハルトはこういう重要な式典には必ず招待されるのだが、高齢と遠方を理由に出席を辞退することが多いのだという。少なくともオキュペテーがハーピーの女王となってオズィアの式典に招かれるようになってからの数百年間、ゴットハルトが出席したことはないという。
ただし今回はあたしが彼をザンクトフロスまで呼び出したことで、どうせそこまで来たのならさらに足を伸ばしてオズィアまで、という気にもなるだろうし、彼もあたしとエリザのことを気にかけているようだったので、おそらくは来るだろうとのことだった。
王城で挨拶がてらゴットハルト様のことも聞いてみることにする。
では、今度こそ我は行くぞ。屋敷には湯屋もあるから自由に使うと良い
そう言ってオキュペテーは、屋敷を後にした。
お風呂、使えんのかあ……
狩人は身体を常に清潔に保つ。何日も野営しながら狩りをしているときでも、きれいな湖なんかがあれば行水するし、それが出来なくても手巾を濡らして体を拭く。極端に水がない場合は、カヤの茎で体をこすって垢を落とす。そうして常に衛生状態に気をつけるのは、臭いを消して獲物に気付かれにくくするためと、健康上のトラブルを避けるためだ。
身体が汚れているということは、体表に雑菌が多くついているということだ。その状態で怪我をすると清潔な状態で怪我したときよりも傷口が膿みやすいし、そもそも怪我の有無にかかわらず病気になりやすい。
そんなわけで行水なんかは欠かさないのだが、やっぱりお風呂が一番気持ちいい。
あったかいお湯で身体を洗って、お湯の中に全身浸ってあったまると、貯まった疲れも吹き飛んでいく。
あの……、
お風呂使わせてください
お風呂でくつろぎながら今後の行動について考えることにして、あたしは使用人のハーピーにそう申し出た。
ふい~。
生き返るわぁ~……
湯船に身体を沈めていると、こわばっていた筋肉が解きほぐれていくのがわかる。火の精霊と水の精霊の加護が、全身から染みとおってきてあたしを癒していく。
いや~極楽極楽っす~
あ、ヘカテーちゃんいたの?
いつの間にか、ヘカテーが同じ湯船にぷかぷか浮かんでいた。隠密行動はドリアードのお家芸だと言うが、本当にこの子は神出鬼没で荒野の狩人のあたしでも普段どこにいるのかわからない。
ところでアニカさん。
エリザさん捜索の情報収集はうちも手伝うっすから、アニカさんは叙任式まであまり歩き回らない方がいいと思うっす
お湯に溶けてしまうかと思うほど表情をゆるませて入浴を楽しんでいたヘカテーが、急に真面目顔で言った。
なんで?
ヘカテーちゃんほどじゃないにせよ、あたしだってあのマントがあればどんな魔物にも見つからない自信があるよ
でもですね。エリザさんはほぼ確実に、王城内のどこかにいるはずっす。ここから王城まで人間の足では遠すぎるし、情報収集には非効率っすよ
一理ある。エリザは魔王が独断で連れ去ったのだから、魔王の手の届くところ、王城内の牢か何かに幽閉されている可能性が高い。この広大なオズィアの街を、しかも周囲の目をはばかりながら尖塔から王城まで移動していたら日が暮れる。さらに警戒厳重な王城内に忍び込んで、ダンジョンみたいな王城内を隠れながら情報収集するのは困難な上にあまり成果が期待できそうにない。
うちは人間より速く移動できるし一応は魔物の仲間だから王城に入って警備兵に直接話を聞いたりできるっす。それに何かあったら逃げるのも隠れるのもお手の物
そう言ってヘカテーはちっちゃい胸を張る。
そっかぁ……
じゃあ、お願いするね
もちろん、情報収集をヘカテーだけに任せて叙任式まで惰眠を貪るつもりは毛頭ない。
叙任式に紛れて王城へ潜入した時に、首尾よくエリザを見つけて救出できるよう、今から準備できることをよく考えて万全の体制を作っておくつもりだ。
その為にさしあたって今、あたしがしなければならないことと言えば。
ゆっくりお湯に浸かって疲れを取ること、だよね……
疲労が貯まったガチガチの身体では、エリザの救出もその後の逃走もままならない。
ベストコンディションで作戦に臨むために、今はお湯の心地よさを存分に味わうことにしよう。
それから叙任式までは、すぐにエリザを救いに行けない歯がゆさを堪えながら準備だけに専念した。短刀、投げナイフを研ぎなおし、胸当てやブーツの皮ひもを交換してきっちりと締め、必要となりそうな薬を幾種類も調合し……
子供のころ、狩りに出る前に父親から言われたことを思い出しながら、念入りに調整していく。
オキュペテーとヘカテーからの情報によると、魔王が連れてきた少女は、賓客として王城内の一室を与えられてそこに起居しているらしい。
賓客扱いということであれば、叙任式にも出席する可能性が高い。各地から有力な魔物が多数逗留していて、王城内の居室が足りないくらいになっているのに、その貴重な一室を与えられているぐらいだからな
やっぱ、魔王のヤツはエリザをミタン人代表として同盟の交渉をするつもりなのかな。
グラマーニャ人を南に追いやるっていう方針を捨てない限り、エリザが同盟を受け入れるわけないんだけどな
エリザのことは魔王討伐隊として選抜された時からの付き合いだから分かる。彼女は自分たちのために誰かを犠牲にするような計画に絶対に与しない。
エリザなら、むしろ魔王のことを説得しようとするだろう。魔王は少なくとも魔物とミタン人との間での和平を望んでいる。グラマーニャ人に対する敵意さえ除けば、二人の目指す所はわりと近い。
それとゴットハルト様だが、やはりオズィアにおられる。
王城内に居室を用意しようとしたところ、それは他の者にあてがってやれと言って辞退して、魔都の地底を守護する者たちの居住区の空き家に逗留しているそうだ。あの方は大地の下ならば自由自在に移動できるからな
うちが様子を見に行ってみたっす。
エリザさんとアニカさんのことを心配されてたっすよ
もちろん叙任式には参加なさるそうっす。と、ヘカテーは付け加えた。
二人の言うことを総合すると、どうやらエリザは牢に入れられるなどの酷い扱いは受けていなさそうであり、叙任式にもおそらく参加する。
叙任式には魔王以下主だった強力な魔物たちが一堂に会するが、その中にはオキュペテーとゴットハルトのような、あたし達に協力的な存在もいる。
ならば、やはりエリザ救出のタイミングは叙任式の最中が最適だ。
あたし達フーン人は、荒野の東の果てにある岩壁にある獰猛な巨鳥ロクの営巣地に少人数で踏み込み、この自分たちの何倍も大きな猛禽たちの警戒を潜り抜けながら、獲物と定めた一羽を捕獲して帰ってくることさえできるのだ。なみいる最強クラスの魔物たちを出し抜いてエリザを救い出すことだってできるに違いない。
心の中でなんどもそう自分に言い聞かせて、あたしは叙任式の朝を迎えた。
(続く)