––––––––––時間は、誰のものか。

この問いの答えは、出ない。

理由は単純で、誰のものでもないから、だ。

少なくとも私は、そう考えている。そう考えなければ、時間屋としての責務を果たすことは、出来ない。

時屋 吉野

それにしても、面白い人たちです

二ノ宮正蔵が時間屋を訪れたとき、直感的に長い付き合いになることがわかった。

誰かのために時間の売買を、それも自分の寿命を売る、などという契約者は、初めてだったからだ。

そして実際に、その通りになっている。二ノ宮正蔵は、死んでしまったが。

シャル

あいつら、どうするつもりなのかねえ

二ノ宮花楓の元から戻ってきたシャルが、毛繕いをしながら言う。

シャルは、これは誰にも知られていないことだが、話すことが出来る。説明が面倒だから、隠しているというだけではあるが。

時屋 吉野

それは、私にはどうでもよいことです

シャル

誰かのため、なんて収拾がつかなくなるだけに決まっているのになあ。

シャル

時間は、自分のためにあるもんで、自分のために使うもんだろ、で、実際にそう出来るもんだ

時屋 吉野

それには、同意ですけれどね

道楽者たちは、たいてい財力で時間を買う。寿命の売買の仕組みは、そう出来ない人間のためのものだ。

そもそも、寿命を売買する人間は、早死にしたいか、長生きしたいか、のふたつにひとつで、自分のためと決まっていた。

時間は、今も確かに進んでいる、一秒一秒の集まり、それ以上でもそれ以下でもない。

突然増えたり、減ったり、ということはあり得ない。

寿命の売買は、契約者のためのものではない。

これは、時間屋のためのものだ。

買った寿命は、その寿命の持ち主の預かり知らぬところで、誰かの時間となり、寿命となっている。

そうやって、時間屋は時間屋として生きている。

だから、誰かのため、などということに、この利己的な仕組みが用いられている状況は、非常に面白いことだった。

シャル

っていうか、おまえ、いいのか?

時屋 吉野

なにがです?

シャル

そろそろ、時間の貯蓄に限界が来てるだろ

時屋 吉野

……なにを深刻になっているのです?

時屋 吉野

そのための、寿命売買ではありませんか

シャル

余裕かよ。まあ、いい。

シャル

この街は限界だ。二ノ宮の連中のこと、さっさと片を付けて、次の準備をしておけよ

シャル

おれの仕事は時間屋の維持だからな、頼むぜ、店主様よ

わかっている。時間は待ってはくれないことを、私は誰よりもよく知っている。

じきにすべて終わる。

猶予はもうない。

二ノ宮花楓にも、羽邑由宇にも。

第三十話へ、続く。

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