––––––––––時間は、誰のものか。
––––––––––時間は、誰のものか。
この問いの答えは、出ない。
理由は単純で、誰のものでもないから、だ。
少なくとも私は、そう考えている。そう考えなければ、時間屋としての責務を果たすことは、出来ない。
それにしても、面白い人たちです
二ノ宮正蔵が時間屋を訪れたとき、直感的に長い付き合いになることがわかった。
誰かのために時間の売買を、それも自分の寿命を売る、などという契約者は、初めてだったからだ。
そして実際に、その通りになっている。二ノ宮正蔵は、死んでしまったが。
あいつら、どうするつもりなのかねえ
二ノ宮花楓の元から戻ってきたシャルが、毛繕いをしながら言う。
シャルは、これは誰にも知られていないことだが、話すことが出来る。説明が面倒だから、隠しているというだけではあるが。
それは、私にはどうでもよいことです
誰かのため、なんて収拾がつかなくなるだけに決まっているのになあ。
時間は、自分のためにあるもんで、自分のために使うもんだろ、で、実際にそう出来るもんだ
それには、同意ですけれどね
道楽者たちは、たいてい財力で時間を買う。寿命の売買の仕組みは、そう出来ない人間のためのものだ。
そもそも、寿命を売買する人間は、早死にしたいか、長生きしたいか、のふたつにひとつで、自分のためと決まっていた。
時間は、今も確かに進んでいる、一秒一秒の集まり、それ以上でもそれ以下でもない。
突然増えたり、減ったり、ということはあり得ない。
寿命の売買は、契約者のためのものではない。
これは、時間屋のためのものだ。
買った寿命は、その寿命の持ち主の預かり知らぬところで、誰かの時間となり、寿命となっている。
そうやって、時間屋は時間屋として生きている。
だから、誰かのため、などということに、この利己的な仕組みが用いられている状況は、非常に面白いことだった。
っていうか、おまえ、いいのか?
なにがです?
そろそろ、時間の貯蓄に限界が来てるだろ
……なにを深刻になっているのです?
そのための、寿命売買ではありませんか
余裕かよ。まあ、いい。
この街は限界だ。二ノ宮の連中のこと、さっさと片を付けて、次の準備をしておけよ
おれの仕事は時間屋の維持だからな、頼むぜ、店主様よ
わかっている。時間は待ってはくれないことを、私は誰よりもよく知っている。
じきにすべて終わる。
猶予はもうない。
二ノ宮花楓にも、羽邑由宇にも。
第三十話へ、続く。