無数の《空牙》が蓼科に襲いかかり、アスファルトをえぐり、砂埃がその姿を覆い隠す。


全方位から、あれだけの数を、あれだけのスピードで射出したら避けることなどままならない。




そしてふと、我に帰る。


蓼科はMERではない。ゆえにMERだけ使用できるMINEとそれに付随するベールの恩恵は受けられないのだ。










つまり、今のでオレは人を殺――。

クロノス

おい、ユウ。気を抜くな!

今までうんともすんとも言わなかったクロが突然に声を掛けてくる。








そして訪れる水色の未来視。

次の瞬間、砂煙から飛び出てくるなり、エストックのような細い剣で襲いかかってきたのは、蓼科などではなく、見知らぬ女性。



しかも、その顔には本来人間の顔に存在しているはずの諸器官がなく、ただピエロのようなメイクが施されていた。



――いつかの怜のように。

緒多 悠十

《道化騎士(クラウンナイト)》――!!

次々と襲いかかってくる打突を、
未来視でかわし、受け流し、弾く。

その剣速に目も眩むようだ。


とても《黎玄》一本じゃ捌ききれない。


オレはギリギリのイメージ演算領域を使って《空牙》の軌道を三本描くと、エストックを弾くのと同時に射出する。


ビュッという短い風切り音が耳の近くを通り過ぎるのを聞きながら、地面を足で蹴って後退する。


しかし、その女は先ほどまでオレに繰り出していた神速の打突でほぼ同時に、しかも超高速、超至近距離で射出された三本の《空牙》を斬り伏せる。

緒多 悠十

な……!?

あれを斬り伏せるなんて、MINEの神経強化があったとしても、不可能な離れ業だ。


いや、香子なら二挺の拳銃を駆使して落として見せるのだろうが、今相手しているのはエストック一本。


引き金を引いたら自動で銃弾が打ち出される拳銃とはわけが違う。

蓼科 新介

危ないじゃないか、悠十君。

蓼科の声。




砂埃が風にかき消されて現れたその男の体には傷一つ付いていない。


そして、その周りには11人の人影があった。




性別も、年齢も、体格も、格好もバラバラ。


しかし、ただ一つ決定的な共通点があった。


11人全員の顔は《道化騎士》のそれと化していた。


その手には種々の武器が携えられ、《道化騎士》の名の通り、《道化師》たる蓼科を護り固めている。





そして、もっと悲惨なことがあった。
否、最も悲惨なことがあった。


オレンジのフードを深々とかぶった少女、
救い出したはずの少女、
柑野怜もその中にいるということだった。


フードに隠れてその顔がよく見えないが、他の11人と同様に顔を失い、偽りの表情を植え付けられている



MINEに寄生する精神干渉型ウイルスである《道化騎士》によって操られているのだろう。


《分離実験》の全てが解決されているとは思っていなかったけれど、だがしかし、緋瀬を誘拐され、黒幕が蓼科と知らされたオレにとって、この状況はあまりに残酷すぎた。


クロノス

状況はおよそ最悪と言ったところかい?


クロノスはこの状況をむしろ楽しんでいるのかのような声で言った。


オレには、とてもじゃないがそんな余裕はない。

緒多 悠十

最悪の災厄だよ、クロ。
どうもオレが多少なりとも助けたと思っていた女の子は全く助かっていなかったみたいだ。

クロノス

どうもそのようだね。それで?
どうするんだい?
尻尾を巻いて逃走という選択肢もあるにはあるぞ?

緒多 悠十

ふざけんな。
まだ緋瀬も怜も助けてないだぞ?

オレは《黎玄》を上段に構え、蓼科と12人の《道化騎士》に正対する。

緒多 悠十

とにかく、未来視でやれるところまでやってみるしかない。

そして、戦いが始まる前に確認したいことがあった。

緒多 悠十

クロ、さっきの蓼科の話、核がどうとか、世界の相対位置の確定とか、あれは全部本当なのか?

蓼科が滔々と語った、MEの起源と核の分離の物語。


あれは本当なのか。


冷静に考えればあまりにも突拍子もない話。

そんな話は信じられないと、一蹴してしまうこともできなくはない。

だが、それをする前に、時を司るクロノスを自称するオレの内側に潜むこの少女に聞いてみる必要がある。



クロノス

ああ。
あのピエロが語ったことは全て真実だ。


あっさりと。
まるで自分の名前を答えるみたいに平然と。
クロノスは肯定した。

混沌としたMEの世界。

元は一つであった三つの核の存在。

クリスマスのテロ事件。

クロノスの覚醒。

MEの発生を含む過去の改変。

緋瀬の人工核、ロゴス。

学区外に暮らすロストチルドレン。

 
 
 
 
 
 
 
そんな全てが真実であると、クロノスは認めたのだ。

何を悩むでもなく。
多少の言い換えをするでもなく。



それはオレにとってかなりの衝撃で、
かなりのショックで、
受け入れることも、
受け止めることすらもまままならない。



だが、そういった経緯が、緋瀬の死に、
全世界のMEに関する記憶の喪失に繋がるのなら。


オレはそれを認めない。
認めるわけにはいかない。


それはもう、正義でもなく、大義でもなく。
何も持ち合わせていないオレが辛うじて持とうとしているエゴでしかない。


命や記憶が尊いものだとしても、全世界から見れば、緋瀬の命やオレの記憶に対する執着心などはちっぽけなものかもしれない。


ちっぽけだろうがなんだろうが、世界から記憶と一人の命を消して、迫害された人々を救うという、その「解」を、「正解」とは認められない。

仮にもしそんな「解」が「正解」なのだとしても。


オレはそんな「正解」すら否定する。
そんなもの――オレはいらない。

オレは、深呼吸をして、目を閉じる。

そこはいつもの真っ白な世界だった。


そして、やはりいつもの通りにクロノスは白い箱の上に座って、足をぶらぶらさせていた。


その白い髪には水色のリボンが織り込まれている。

クロノス

やるのかい?

緒多 悠十

言うまでもない。

クロノスとオレは短く言葉を交わす。

するとクロノスは例のニヤニヤとした笑顔をしたかと思うと、よっ、という言葉とともに白い箱のから飛び降り、オレはそれを受け止めた。


そして、彼女がありえないくらいに軽いのだと初めて知った。



オレはクロノスを立たせると、自分は膝をついて瞳を閉じる。




そして、右瞼に口づけが落とされた。

――刻の代償をもって、刻を司る目を汝に与えん。
我の口づけをもって、契約の証となす――



――オレはこれから刻の代償としてどの記憶を失うのだろうか。

開いた右眼の視界は水色に染まり、未来を見定める。


《空牙》が起動したのを確認すると、オレは一気に駆け出した。

緒多 悠十

蓼科ぁぁぁぁぁ!!

同時に《道化騎士》三人が剣を構えて迎え討つ。




そして、その内の一人はオレンジフードの怜だった。

緒多 悠十

……っ!

剣を構えてオレに向かってくる怜の姿を実際に見ると、思わず心が欠けそうになった。


それでも奥歯を痛いほど噛み締め、さらに足を速めるしかない。




未来視によれば、怜は右から、あとの二人は左から斬りかかってくる。

怜の剣は、まともに受け止めればこちらの武器が融解してしまうほどの灼熱の剣。


ならば、怜の剣を《黎玄》で受け止めるのは愚策だ。


敵兵との距離はあと数メートル。




左眼で怜の足元へ《空牙》の軌道線を描く。
さらに、セカンドドライバ《刈海神》を起動すると《黎玄》が生成された水を纏い始める。

緒多 悠十

――今だ!

怜以外の二人の《道化騎士》が剣を振りかぶると同時に水を纏った《黎玄》を横薙ぎに振るう。




ビュンッ、という《空牙》の射出音とともに、それまで《黎玄》を取り巻いていた水が轟音とともに長大な水の刃、《刈海神》となり二人の剣とぶつかる。



《刈海神》の水圧の高さに押し負けた二人の剣の刀身が粉々になって空中に舞う。

緒多 悠十

このまま振り返って怜の攻撃を躱す――

しかし、そう思ったオレの視界には映ったのは、粉々になり宙に舞った鉄片が、それぞれ独立した刃へと変形してオレに向かってくる光景だった。



右眼にはその刀身たちがどういう軌道線を描いて飛んでくるかは見えているとはいえ、距離が近すぎる。

本数もオレの《空牙》で一回に射出できる数を超えている。


もし、仮に避けられたとしても背後には灼熱の剣を携えた怜がいる。

緒多 悠十

クソッ――!!

襲いかかってきた刃を次々と《黎玄》で打ち払うが、物理的な剣速の限界を迎えたオレの眼前へ払い損ねた刃が迫る。







その時。







オレの頭上を飛び越えて現れた人影がオレの顔面すれすれでそれを打ち払った。

柑野 怜

……大丈夫……悠十?

そう言った人影はゆっくりと立ち上がってこちらを振り返った。




オレンジ色もパーカーのフードを被ったその少女は見間違いではなく、怜だった。

絶対論理―Absolute Logos―(10)

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