Wild Worldシリーズ

レダ暦21年
朧月夜

8.満月

   

  

  
 エメラルドまでとにかく急いだ。



 抗体はまだ出来ていない。

 期待していたわけじゃない。

 だけど、思うよりショックは大きかった。

 でも、ショックなんか受けている場合ではない。



 自分がどうするべきか、何をしたいか、それはひとつだった。

 

コール

ルカの傍にいたい……

 ここまで来たのは無駄足に終わってしまった。

 それでも、悔いている場合ではないのだ。



 ミカドとガルザスは、コールが頼まなくてもついてくる気は満々で、馬車の運賃も何も言わずに出してくれた。


 馬車は揺れる。

 慣れないコールは体中が痛くなるが、そんなことで弱音なんか吐いていられない。



 時間は、とてつもなく長く感じた。

 エメラルドに近づくにつれ、だんだんと空は濁ってくる。

 そんな様も手伝って、コールの胸中は不安で一杯だった。



 到着すると、コールは形振り構わずルカの家へ急いだ。


 一刻も早く、ルカに会いたい。

 それだけだった。

 

コール君!? どこにいっていたの?
あなたのご両親も心配なさって……

コール

ルカはっ!?

 ルカの母親の言葉を遮って、コールは彼女にすがりついた。

 それはすごく無様な姿にも見える。

 それほど、必死だった。

 ルカの母親はひどくうろたえ、困った表情になった。



 言葉が見つからない。

 そんな彼女に痺れを切らし、止めようとするルカの母親を押しのけて、コールはルカの部屋へ急いだ。




 自分の焦る呼吸しか聞こえてこない、静かな家。

 見慣れた柱の小さな傷や、軋む床に、妙に思い出が蘇ってくる。

 ここに来れば、いつだってルカはいた。

 だから今日も、いるはずだ。



 本の香りが立ち込めるルカの部屋は、大きく窓が開いていた。

 やさしく入ってくる風に、カーテンが揺れている。

 いつか朧月を見上げた窓は、コールを待っていたかのように小さく軋んだ。




 そこに、ルカの姿はなかった。
 

コール

っ!

 息を呑むコールに、追いついてきたルカの母親が後ろから遠慮がちに声をかける。

ルカは、昨日死んでしまったの

 そういう彼女は、よく見れば消耗しきっていた。

 目の下にはクマと、疲れによる皺、髪はぱさついて死んでしまったかのようだ。


 コールは、絶望で目の前が真っ暗になった。

ルカはね、最後まで突然いなくなってしまったあなたのことを心配していたわ

コール

……

そしてあなたに“ありがとう”って……

 ルカの大人びた笑顔を思い出す。



 悔しくて、涙がでた。


 自分は、一体何をやっていたのだろう。




 ふらふらとよろめきながら、涙を流して歩いた。

 自分がどこに向かっているのか、よくわからなかった。

コール君

 ルカの母親の呼びかけも届かず、呆然としながらコールは体が動くまま、歩き続けた。


 いつの間にかルカの家から外にいて、鉱山のほうへ知らず向かっていた。



 やがて疲れて、どこかも分からぬ場所でしゃがみ込む。

コール

 ルカ……
 ルカがいなければ、私の人生なんて、意味はない
あなたがいたから、生きていたようなものなのに……

 声もなく泣くコールは、生気が抜けていた。

若すぎる生きた屍。

ミカド

……来るか?

 しばらくした頃、いつの間にか傍にいたミカドが、そう声をかけた。

 コールは、自分がどういう反応を示したのか覚えていない。

 多分、頷いたのだと思う。



 もう何も、考えていなかった。

 ルカがいなくなってしまったことをまだ受け止められていない。

 実際に、彼女の死を目の当たりにしていないのだから。

 だけど、間違いなく現実だと、嘘ではないと、分かる。




 コールの状態を見たミカドは悟った。

 現実を受け止めたときにはきっと、コールは狂ってしまう。

 そうならないためには、恨みを向ける場所が必要だ。

 そしてそれは、自分達が憎むレダ王にすればいい。



 ミカドが作ったシナリオをコールが受け取るかどうかは分からなかった。

 来ないのならばそれでもいい。

 結局、コールの心の問題なのだ。

 ミカドが手出しするようなことではない。



 しかし、出会ったときからコールとは近いものを感じていた。

 この直感が確かならば、コールは来るはずだ。




 コールはミカドを見上げた。

 現実を映していない瞳でミカド越しに暮れかけの空を見上げる。

 薄い月が浮かんでいた。



 そこには何もいないような気がした。

コール

もう、どうなったっていい
だから……

 コールは、静かに手を伸ばした。

 ミカドに向かって。

ミカド

居場所なら与えてやる
ただし、引き換えになるものは覚悟しておけよ

 その手を受け取り、コールを立たせて、ミカドは空を仰いだ。


 とても濁った空。

 今夜は満月。

 しかし、この空では満足に拝めることはできないだろう。



 コールは、ルカの墓に花を添えることもなく、ミカドに導かれるままエメラルドを後にした。






   

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