Wild Worldシリーズ

レダ暦21年
朧月夜

1.貴女

 

 

  春。

 夜は少し切なくて、同じくらい寂しい気持ちになる。

 ただでさえ、ここエメラルドの空は重く圧迫されているというのに、この季節は、そこに輪を掛けられるような気がしてならない。

コール

なんだろう、この気持ち……

 はっきりと形は分かるのに、上手く言い表せず曖昧で、だけどその正体を知るのが少し怖い。

ルカ

朧月よ

 窓辺から夜空を見ていたコールの視線を追って、ルカが呟いた。

 ルカの瞳は透明で、普段何を映しているのか分からない。



 その瞳に自分を映したい。

 それは、我がままだろうか。

ルカ

王都は、春の夜に、朧月と言って、とてもとても綺麗な月夜が見えるらしいわ

 この汚染された町では見ることは稀でしょうね、と、呟いてから、また本に目を落とした。


 ルカがいつも読んでいるのは、コールにはとても読めない分厚い古書。

 ルカにとっては読書のほうが大切で、稀に見える今日の朧月にはあまり興味はないようだ。


 そんなルカを見やってから、コールはまた夜空に視線を戻した。

コール

朧月……

 覚えたての言葉を、そっと呟く。


 朧月。

 それは、誰かの姿に似ていた。



 汚染された町の、たまに透き通る春の空、綺麗な月に霞がかる雲か何か。




 ……誰かに似ていた。

コール

こんな綺麗なものがたまにしか見られないのは残念だ
毎日でも見ていたいものだね
いっそのこと王都にでも移住しようか
空気もいいし

ルカ

大人になったら行けばいいわ

 おどけるようなコールに、ルカは静かに答えた。

 ベッドに座り本を読む姿は、見慣れたものだった。

 そしていつも違うタイトルの本を読んでいる。

 逆に言えば、本を読む姿しか見たことがない。


 ルカの髪は丁寧に切りそろえられていて、白く細い腕は小さな力で折れてしまいそうだった。

  攻撃的に見られがちだが、その実は繊細だということをコールは知っている。

 そして、長い睫の影が頬に落ちる様がとても美しいということも。



 彼女といつも一緒にいるせいだろうか、コールは早く大人になろうと必死だった。 


 どんどん大人になっていくルカを追いかけたいわけじゃない。

 追いかけていたのではダメだ。

 それでは間に合わない。


 彼女と釣り合いが取れる自分になりたい。

 ルカの隣を歩いて恥ずかしくない自分になりたいのだ。




 それは、恋かもしれなかった。

 しかし、本人に自覚はなかった。


 自分の未発達の心を認めたくなかった。

 この年頃だと、男の子よりも女の子のほうがずっと成長は早い。


 そういうことに薄々感づいてはいたが、早くルカの隣に行きたかった。

 傍にいるのに、対等でないような気がしてならなかった。

 だから、早く隣に。



 生き急ぐ理由などどこにもないというのに……




 ルカの部屋には、たくさんの本がある。

 異国から流れてきたものや、伝記、手記、絵本、とにかく、様々な種類のたくさんの本で溢れかえっていた。

 “本を読みたい”と口実に、コールは毎日のようにルカに会いに来た。



 そして今日も、いつの間にか夜が更け始める。

 そんな頃合いが、一番寂しい時間だった。
 

コール

もうこんな時間か……
そろそろ帰るよ

 時計を見て、名残惜しそうにコールが立ち上がった。

 同時に、借りていた本を机の上に置く。

ルカ

えぇ。また来るといいわ
ここには読みきれないほどの本があるから

 本から顔を上げると、ルカはコールに微笑んだ。


 ルカもまた、コールがここに来ることを楽しみにしていた。

 理由はどうあれ、自分と同じように本を読む人が好きなのだ。







  

 遠い空に、霞がかる月。


 コールはそれを見上げた。

コール

私は……

 無意識に呟いた言葉の先に戸惑った。




 私は、ルカと一緒にいたい。

 私は、ルカに認められたい。

 私は、ルカを守りたい。

 私は、ルカがいればそれだけでいい……




 コールは、いつしかルカのことしか考えられなくなっていた。



 それは少し怖いことだった。

 それでも、未発達の心は恋とは気付いてくれない。


 14歳。

 愛と呼ぶには、あまりにも幼すぎた。




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