【2037年、秋。1人の少女】
【2037年、秋。1人の少女】
『ホーム・ホルダー』に占領されたアフリカの旧首都、ここにわたしは住んでいる。お父さんから届いた手紙を持って救われる日を待っている。
【地球の民には理解しえない技術を私は遺した。
連動する時の合間を渡る技術『タイムウォーク』だ。
私はこの技術と管理を信頼できる『ノアの民』、法の執行者たる『導きの園』に委ねた。
そして私は『タイムウォーク』の技術を伝えた後、姿を隠した。
みんなは私を疑っているかもしれないね。色々噂しているんじゃないかな?
由香、私はココに真実を記すよ。
私は由香を、そしてお母さんを守るために、ノアを捨てたんだ。由香とお母さんだけを守るために生きようと決めたんだよ。
私は必ず帰ってくる。だからお願いだ。それまでお母さんを助けてあげてね】
手紙を捨てようと何度も思った。本当はお父さんを信じたかった。けれど救いの手は未だ無い。わたしは縋るようにこの手紙を持ち続けた。
わたしが悲しい時、お母さんはいつも1人の女の子の話をしてくれた。お母さんの『ヒーロー』なのだそうだ。
わたしの手には3つのキレイな石がある。お父さんから託されたわたしの宝物だった。
由香、なゆちゃん王国っていう国には1人の女の子が住んでいるの。母親を守れなくて泣いていた女の子が。
わたしは『赤い石』を手にお母さんへ問いかけた。
なんでその子は母親を守れなかったの?
母親を守れなかった理由、それが分からなくて何度も聞いた。お母さんが『青い石』を手におどけながら答える。
その女の子は世界を敵にまわしたの。世界を、正義を敵にまわしたから母親を守れなかったの。
けどね。その女の子は母親の意志を継いでお母さん達を守るために戦っているの! お母さんのヒーローなの! 1番強いの!
わたしは訊ねた。お母さんが信じたヒーローの名を知りたかった。
その、その女の子の名前は?
お母さんは祈るように空を見上げて、『黒い石』を握りしめる。
柊真紅(ひいらぎ まあか)。すごく可憐で、誰よりも、……誰よりも強い女の子よ。
わたしはその名前を反芻した。確かめるように呟く。
ひいらぎモカ?
お母さんは笑いながら3つの石を袋に詰めてわたしへ手渡す。この髪を指で梳いてくれた。
どうしてだろう。お母さんは祈るように瞳を閉じた。何故だろう。その腕が小刻みに震えている。
そうね、モカちゃんよ。お母さんも由香の為に、モカちゃんみたいに、強く、……強く生きてみるからね。
――その夜、お母さんは家に帰って来なかった。お隣に住むおじさんがわたしを家から連れ出そうとする。
わたしは拒んだ。ここに居ないとお母さんが心配する。
それに此処に居ればいつものようにお母さんがミルクを持って来てくれる。また明日から2人でお父さんを待つのだ。温めたミルクを飲みながらずっと待つのだ。
……3時間と少し時が経った頃、『ホーム・ホルダー』の施設に爆発が起こった。町の人は皆、この街から去っていた。
闇の中、わたしはカラのビンを抱いて、ただお母さんの無事を願った。
待って、待ち続けて、……夜が明けるのをひたすらに祈った。
【2037年? ルーク・バンデット】
――ボクを過去に送ってくだしゃい。
決まった時間を持たないこの『導きの園』へ彼女は『園のパス』であるコインを持って現れた。彼女の言葉に皆が当惑し、そして呆れた。犬耳の彼女は自らの犯罪に『加担しろ』と、我らへ言っていたのだから。
真紅の狩人、柊真紅(ひいらぎ まあか)さんですね?
私は目の前の少女を知っている。21世紀前期、世界の支配者たる『ホーム・ホルダー』の治世に反して、処分される生き物を、人々を救っている戦士だ。三種の神器が壱『紅狗フリーシー』の纏い手としても名を知っている。
あの時代を知るものであればその名前を知らぬモノは、1人として、1匹として居なかっただろう。
『ホーム・ホルダー』の管理下において『駆逐されるべき獣』とも報道されている。
真紅さん、何故過去に飛びたいのですか?
その瞳は私達へ必死に言い募った。
マァマを助けるんでしゅ。過去に渡ってマァマを救うんでしゅ。
彼女の言葉に、園の民は誰1人として答えることをしなかった。私とて同じ。しかし一蹴することも出来なかった。……目の前の少女は、あの時間軸における希望だ。『ホーム』に選ばれなかった生き物が望む、最後の可能性だったのかもしれない。
『導きの園』は『ノア』が地球へ遺した完全中立の機関である。時間軸、過去、未来における介入を妨げ、時の流れ、その平穏を保つための公的機関だ。
我が同胞『マイク・ミーシャ』が少女の言葉をはねのけた。
馬鹿なことを。ここは完全中立の園だ。……早々に帰りなさい。
『マイク』の言葉こそ我らにとって正しいモノだ。しかし広間に集った多くの瞳が私へ語っていた。
『助けよう!』『彼女を行かせよう!』訴えかける眼差しが私の前に数多く在った。
『マイク』は針のように逆立てた髪を揺らす事無く、真紅へ背を向けている。彼は『ホーム・ホルダー』の統治した世界に妻と子を残していた。彼の心中を思うと頭が痛い。
『導きの園』の構成員たる皆を前に、真紅少女の眼はただ前を見据えていた。
我等は此処に1つの決定を下した。交わし合った眼差しで分かり合った。想うことは、叶えてみたいと思ったことはつまるところ皆が同じだったのだ。身体震わすマイクの肩を軽く叩いた。
柊真紅。この地における夜半にもう1度来なさい。
時間を司る私達大人は幼い戦士を見送った。
涙流し頭下げるその子が地平の先へ消えていくまで、……私達は彼女を見守った。
【2037年、秋。由香】
……お母さん、まだかなぁ。
外は闇に染まりきっていた。
冷たさに体が強張る。ガラスの瓶はとても、とても重い。
……お母さん。まぁだ?
お母さんを想った。帰って来ることを信じている。
ミルクなんていいから、早く帰ってきて。
セーターの布地が刺さるように痛い。
真紅の狩人の馬鹿っ!! ……お母さん一人守れないのに、ヒーローなんて名乗るな! 偉そうにするな!
見たことも無い英雄(ヒーロー)を罵った。どうにもこうにも彼女が許せなかった。きっと、彼女のせいだった。みんなみんな『ひいらぎモカ』のせいだった。
両足に冷たい風が降り注ぐ。歯を食いしばって耐えた。今気を抜いたら、全てが終わってしまうと思った。
――どれくらいの時間が経っただろう。見渡す風景は何1つ変わらない。
体が思うように動かない。手足が痺れた。力が出ない。――膝から腕、そして頭が重力に抗えない。
それでも手紙とガラス瓶は放さなかった。この腕だけは世界に反抗した。
……お母さん、
目蓋を開けていられない。全てが空っぽになったような気分だった。
冷たい大地へ横たわる。
世界はみんな、みんな、わたしに冷たかった。
――何も見えないはずなのに、聞きたくないはずなのに、目蓋の隙間に光が流れ込んだ。霞むような光と、風の音を感じた。
……ただいま。
足に力が入らない。腕も動かない。
ぉ、……ぉかあさ、
ずれた視界、細く開けた世界にお母さんの足が見えたように思う。
……あさんね。頑張ってね。由香の牛乳を手に入れてきたの。
地に沈んだはずのわたしは空へ浮かんでいた。反転した視界で牛乳の白が輝いた。地平に顔を出した太陽がその白に赤を与えている。
キミのお母しゃん、キミのためにすごく頑張ったでしゅよ。キミだけの為に命を賭けたんでしゅよ?
閉じてしまいそうな視界に見知らぬ女の子が映る。その頭には赤茶の犬耳、腰にはわたしの宝物、赤い宝石が見える。
も、……モカ?
わたしの言葉にモカは笑った。はにかむ笑顔はどこか天使のようにも見えた。世界一のクズだと思ったのに、あんなに罵ったのに。
みんなみんな、モカっていうでしゅね。ボクの名前は真紅でしゅのに。
無かったはずの力が瞳の奥で溢れた。お母さんのようなこの星の重力(ちから)にさえ抗った。最後の、わたしの最後の力だった。私は空からモカへ飛びついた。
モカっ、モカお姉ちゃん! ありがとうっ!! 由香の、由香の一番大事なお母さんを助けてくれて、本当に、……本当にありがとうっ!!
わたしをお母さんへ預けると、モカお姉ちゃんはその腰の剣を掲げ呼びかけた。
ふぃーしぃ。脚部跳躍ユニットを用意してくだしゃい! 一気に飛ぶでしゅよ!
【Yes,master!】
――壊れた世界にモカお姉ちゃんの赤が駆ける。赤い陽と青黒い闇、その全てに抗うようにお姉ちゃんは空を奔った。わたしの持つ手紙へ暁の光が射しこんでいる。
わたしは可笑しくて笑った。涙が出た。だってモカお姉ちゃんはわたしにとっても世界で1番の、
『……とんでもないヒーローだったから』