【2033年、イバラキ。言霊みれい】
【2033年、イバラキ。言霊みれい】
クリスマスのその日タタミが私に頼んできた。真剣な表情で頭を下げる。
みれい。お願いがあるの!
創(つくる)の机に腕を預ける私へその瞳は言ってきた。
わたしの、卵細胞を取り出してほしいの。
……タタミ。私がそれをするなら、貴女の安全を保障出来ないよ? 貴女がハンディを背負う可能性だって否定できない。それなら、
……創に頼んだ方が……。思わず、そう言いそうになってしまう。それでも私の否定的な表情を見てもタタミの意思は頑なだった。
ごめんね、みれい。わたし、すぐに取り出してほしいの。早くしないと。早くしないといけない。間に合わない! なんかそんな予感がするの。
タタミの願いは強行された。朝を待つことなく事は始められた。
剛おじさんの補佐をしたのは何時の事だっただろうか? 久方ぶりに手を通す白衣は冷たくこの身を引き締めた。
手術は女性だけで行った。他のメンバーにはタタミの『盲腸手術』とだけ伝えてある。
始まってすぐ、卵巣へアクセスする最中にタタミが苦しみだした。もう後戻り出来ない。耐えてもらうしかなかった。苦しむタタミを、マスク越しに楽々が応援する。
私もさ! 実は子供欲しいんだよ! 相手居ないけど! タタミ! 私を導いてよ! 私に道しるべをお願い!
辺りは止血に用いた綿で溢れた。白衣は跳ねた血で赤く染まっている。
手術は奇跡的に完全な結果で終わった。取り出せた卵細胞は2つ。タタミに後遺症は残らないと思う。
ありがとう、みれい。実はみれいにもう1つお願いがあるの。
大手術を終えたばかり、なのにタタミの瞳は私を射た。この手はタタミの『あの細胞』の感触を覚えている。きっと一生忘れる事は無い。
取り出した卵細胞で、わたしのクローンを造って!
タタミ。それは本当に、本当に無理だよ。私の腕じゃドリー(2%)を越せない! せっかく取り出した可能性を無駄に捨てるようなものなんだよ!!
これだけは、本当に違う誰かに頼んだ方が! それこそ、創なら!
……創なら、100%(完璧)なのに……。
大丈夫!
その笑顔は恐ろしかった。恐ろしいほど私を信じた瞳だった。
みれいは、あの先生が信じた1人だもの。きっと大丈夫。みれいにだからわたしはお願いしたいの。
その笑顔に、私は人生の先輩として応えなければならなかった。
わたしは、みれいにお願いしちぃの。か、噛んじゃった。
滅菌しすぐに行う事となったその執刀にも、女性である『楽々』と『タタミ』本人が立ち会った。
楽々が言っていた。意外に優しい笑みを浮かべて彼女が語る。
私にもし、もし子供が産まれたら、素直な、単純な名前を付けてあげたいんだよね。
オペを執る私へ、電子ナイフを渡しながら自身の夢を語ってくれた。
私ってほら、昔で云う『キラキラ』な名前じゃん。だからさ、子供にはもっと気楽な名前あげたいのよ。
マスク越しでも解る優しい、女の子の顔をしていた。そう。楽々はこう見えてまだ16歳なのだ。
例えば、『直子(なおこ)』とか、『直道(なおみち)』とか。
そして最後はテヘペロだった。
まだ、楽々ちゃんの白馬の王子様、来てないけどね。
ううん。……大丈夫。
タタミが穏やかな笑みで楽々に応えた。自身の卵細胞をプレートの上に見、オペを続ける私の汗を拭ってくれる。
相手居なくても、みれいが、リーダーが創ってくれるよ。わたし達の子供。
そうだ。タタミは更に幼い。まだ13歳。本当に、まだ女の子になったばかりなのだ。脳が研ぎ澄まされる。脳、この腕、指に流れる血流が、多くの酸素を宿す。それは結果を伴うものだと自身の指先が話してくれた。
――出来た。……奇跡だ。私、ドリーを越えた。
本当に、それは本当に奇跡の手術だった。
タタミの『体細胞クローン』が私『言霊みれい』の手で誕生したのだ。
よく生まれてくれたね。
培養液の中に移され固定された細胞に、タタミ(オリジナル)が囁く。
貴女には、わたしのたった1つの宝物、わたしの名前をあげるから。
特設の白い建屋の中、私の手から移った奇跡の結晶をずっと見ている。タタミは自身の分身を眩しそうに眺めていた。
だから、だから元気に育ってね。
その緑色の瞳を薄め、タタミはいつまでもいつまでもその場所から離れる事は無かった。
『みぃちゃん』! 『しまちゃん』! ほら、頑張って! 『パブロフ』もふぁいと! だよ!
農場を延々と走るキメラを、タタミが愛用の鞭を振り回して追いかける。別に彼女がキメラ達を苛めているわけではない。これがタタミなりの教育法だった。
こいつらの名前、いったい誰が付けたんだ? 『パブロフ』とか、『しまちゃん』とか。かなり個性的だよな。
名前を付けたのはタタミ。
緋色の質問に答える。
名前無いとダメ、なんだって。個性なんだって。その生き様を表すもの、なんだって。
緋色の返事はいつも通りだった。
そっか。
って。
あいつ、らしいな。
って。緋色は兄のような笑みでその追いかけっこを見守っていた。その片腕が鍬を抱えたまま額を拭う。
タタミのクローン作製後数日を経て私達は『キメラメンバー』総員の強化を行った。緋色の美味しいご飯を糧に、体力を、力を、瞬発力を上げていく。
もう2度と、あいつに、
――『歯車フォーチュン』に負けない様に。
『コブタ』って名前、なんか可哀そう。
しょうがないじゃん。名前、俺には無いからな!
小太りの『コブタ』を前にタタミが眉をひそめる。不貞腐れる『コブタ』を前に手をぱちり、と打ち鳴らした。
な、ならわたしが『コブタ』に名前付けてあげようか?
ふ、ふん。どうせ大した名前じゃないだろうけどな。一応、き、聞いてやるよ。
タタミは悩んでいた。頭を押さえ懸命に悩んだ末に出した名前、だった。
す、『スズキコージ』とか、ど、どう!
ほ、本当に、どうでもいいようなネーミングだった。頭を抱える私を他所に、けれどその当事者である『コブタ』改め『スズキコージ』は、
……わ、悪くねぇじゃねぇか。す、少しだけ見直したぞ。す、少しだけ。
って、顔を真っ赤にしている。耳の先まで真っ赤だった。
冷えた夜、緋色とタタミはいつも空を見上げていた。
――この空には、いったい幾つの星があるんだろうなぁ?
う、う~ん、わ、わたしには分からないかも。
お前、キメラ達の先生だろ? そんくらい勉強しとけ。
は、はい! 先生!
それを見ている私は『泉農場(いずみのうじょう)』唯一の電源から引いた線でPCを打っている。私の唯一の娯楽、それが執筆だった。
主人公の名は『ジョーカス・オリファー』。片腕の戦士である本作の主人公。孤高に生きる独りの勇者。そしてそれに寄り添うのは1人の聖女。そしてその聖女、それはきっと私では無い。
あ、あの、みれいさん。た、タタミ、……タタミさんて、す、好きな奴居るんですかね? い、居ないなら、お、俺、
タタミの好きな人なんて、……そんなの決まってるじゃない。
藁の上、夜空を見上げる2人の声が聞こえる。
ひ、緋色先生、こ、今度、わたしと、で、デートして!
却下だ。
が、がーん!
2人を見る『コージ』は、鈍いのか? タタミを愛しそうに眺めている。膨らんだ頬を染めて
可愛い、なぁ。
って。
だから教えてあげた。
タタミに好きな人は居ないわよ。きっと、……一生ね。
って。
皆が鍛えに鍛えられ健やかに育っていく。
迎えた新年、その日を跨いだ頃にタタミ秘蔵のお茶が振舞われた。
宝物だから、大事に飲んでね。
と、ひどく真面目にタタミは訴えていた。
このお茶、何て銘柄なんだ?
『ヒユイマギイナ』って云うの。これは、運の授かる飲み物として、大事に、大事に、我が家に伝わってきたの。
タタミさんて、ジャンクじゃないんですか?
という『コージ』の問いを、顔を真っ赤にして、タタミが否定する。
ま、まぁ、そういう話もあったかなぁ、と。み、みんなぁ、美味しく飲んで、幸せにな~れ♪
小声で緋色が訊ねていた。私にはしっかり聞こえていたけれど。
父さん、どんな人だったんだ?
お父さんは、かなりの変人。嫁さんラブいの。『ななかちゃん』ラブなの♪
『ヒユイマギイナ』を口に運ぶタタミが、ちらちらと緋色に視線を送る。それは、かなり『ラブい』ものだ。
そっか。
って、緋色は優しく微笑んでいる。その目はやっぱり、悲しいかな、……妹を見るような眼差しだった。
あけまして、おめでとう!
おめでとう!
あけおめ!
おめでとう!
おめでとうございます!
防災無線からの鐘の音に円陣を組んだ皆が即席の畳へ膝を付く。頭を下げ……一様にお腹を鳴らした。
おい。タタミ、……俺、腹痛くなったんだが……、
ら、楽々ちゃんも! な、何でぇ!
それから朝日が生まれようとする中、皆が厠(かわや)へ走った。たった1つの厠は夜明けを前に行列だった。
『みぃちゃん』! 『パブロフ』! あ、あんたらデカいんだから、楽々ちゃんに先を譲りなさいよっ!
特に楽々の必死さは凄まじいものだった。ちなみに私は『ヒユイマギイナ』を嗜んでいない。
す、『スバリナ』! あ、あんた飛べるんだから、楽々ちゃんに先を譲りなさいよっと!
『スバリナ』とは伝令用の『インコ』キメラだ。
ワタシショセン『スバリナ』ダカラ。イワユル『スバリナ』ダカラ♪
と、知能の高い赤い尾羽のその子は厠(かわや)の前を譲らない。
結果、その日、本当に運(・)が付いたのは、スバリナだけだったと云う。だが、真実はそれぞれが推して知るべしだ。
ただタタミだけは、腹を壊す事無く酔ったようにのぼせていて、幸せそうに湯呑みを掲げている。あの白い培養室に入り浸り自身の分身へ話しかけていた。そのガラスの筒を愛しそうに撫でている。
真衣(まい)ちゃん。わたしのたった1人の妹。貴女は絶対、絶対わたしの手で、
撫でながらウットリとその肉塊を眺めていた。
幸せにしてあげる、……からね。
その緑の瞳は誰よりも優しい光を宿していた。タタミは私の書く『独りの戦士』の聖女、――きっとその人だったんだと思う。
【2034年、某国上空。グリーン・ブラザー】
年を越したその日、某国の統治者官邸はその色をとても醜い『ミドリ』へ変えた。
お前らが『スペード』のスートを持つ者なら、『ジョーカー』に勝てる札を持ちえたはずなんだ。
元が白だったそれは毒液に覆われボロボロと形を崩している。
3(それ)を引けなかったお前らが悪い。全て、何もかも、な。
ボクは遙か下方に流れていく緑へ唾を吐いた。大地のそこかしこに家族『ボーイ』の放った無人機が駆け巡っている。
辺りは炎と毒に塗(まみ)れていた。聖火掲げる女神も毒の緑で朽ち果てている。赤と緑に侵されるその姿は実に扇情的だ。
それが、この何十にも分かれた膨大な土地が、家族の色へと染まった瞬間だった。
ボクは背をのけ反らせて謳う。無人機『イースター』を駆り家族の歌を。ボクら『ホーム・ホルダー』による新たなる秩序を祝って。
ハッピーニューイヤー。……父さん(ダド)。