なゆた

……。

 桜の花びらが舞う中、町中央にあるゴミ捨て場で、私は1人の女の子を前に立ち尽くしていた。

 陽の暖かさと廃棄物の金属臭が混じる、日曜日午前9時のいつもの町のいつもの朝の香りがする。

 お手伝いとしてゴミ袋を運んでいた私、その前に居たのは全身に黒い跡を残した女の子だった。

 その女の子の頭には所々黒く染まった赤のリボンが座っていて、パッと見、黒く見えた部分は鎧を纏った胸から腰に集中していた。

 逃がさないように、それでいて慈しむように彼女は私、先日幼稚園に上がったばかりの『柊(ひいらぎ)なゆた』を見ていた。私も彼女の姿と、彼女のその壊れそうなほど歪んだ眼差しを見ていた。

 ……私の胸は高鳴っていた。

 不気味とか、そんな怖い想いじゃない。初めて手に取る絵本を開く、あの感じ。あのナニカが始まるような期待感を覚えていた。でも、……その期待がどういった意味を持つのか、私はまだ知らない。

 ただ、彼女の存在は私の『始まり』であるように思えた。

 黒に塗(まみ)れた彼女は背のバッグからソレを取り出し、こう口を開いた。

モカ

いつか、いつかキミが大きくなった時、ボクを、この絵本を覚えていてくだしゃいましたら、
 またここで会えますか? お話が出来ますか?

 彼女は胸を押さえ、苦しそうに眉をしかめて私へ笑いかける。

 彼女の声を聴いてそのとき初めて、自分が汗を掻いている事に気が付いた。足が震えてくる。けれど私は逃げ出さなかった。逃げだしたら、今から始まる物語が、この瞬間に終わってしまう! そんな気がした。

 震える足を無理やり抑え彼女から受け取ったモノに視線を落とす。

なゆた

……。

 それは『私の名前』が記された、色あせた1冊の絵日記だった。

 震える指を鎮めページをめくる。

 4月○日、晴れ。

 今日なゆちゃんは、ゴミ捨て場でとんでもないお宝を発見したの!

 それはね! ――


 顔を上げると女の子の姿は消えてしまっていた。

なゆた

……!

 左右を見渡すけど。何処にも彼女の姿が見えない! 必死に探したのに、彼女は何処にも居なかった!



 辺りにはただ、桜の花びらが何枚も何枚も舞っている。そして、いつもどこかで嗅いでいたような甘い香りが、……私の周りを漂っていた。

【第1話】出会い。

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