そう言えば、ことあるごとにそんなことを言っているような気がする。教師とはそんなものなのかもしれないが、同じことを何度言われても勉強へのモチベーションが上がらない生徒たちにも原因はあるのだろう。
近頃は私立大学に安易に推薦入学できるようになっており、そのため帰宅すると全く勉強しない生徒が増えている。それが巷で噂の学力低下の原因になっているのだろう。
千恵の家庭では受験生を抱えているが、もうすぐ本番を迎える焦燥感はなぜか生じていない。沙樹はセンター試験も受けないし、中堅私大を三校受けていずれかに入学するつもりだという。今の時代、高望みしなければ、そこそこの大学に入れるのだから、勉強に燃えないのもやむをえないのだろう。
考えてみれば、受験生という言葉はほとんどの外国語には訳せないだろうし、そんな概念がある方が特殊なのかもしれない。
では、一流大学を目指して勉強に励めば幸せになれるのだろうか。『ドラゴン桜』という漫画では、荒廃した学校を立て直すために招聘された指導者が東大への合格をあおり立てるが、少なくとも千恵の場合は隆との恋を犠牲にする結果に終わった。
それでも大人は若者を勉強に駆り立てる。安達のようにミュージシャンになりたいと言うと両親が引き止めるのに、東大に行きたいと言い出すと喜んで応援するのはなぜだろう。この社会は学校的な価値観が隅々まで浸透しているのだろうか。
いずれにしても生徒たちを一流大学への合格に鼓舞するのは煩悩をあおり立てることに等しい。千恵は自分が罪深いことをしているような気がしてきた。
そんなことを思いながら帰宅すると、リビングに沙樹ともう一人見覚えのある人物がいた。沙樹が通っているピアノ教室の教師、須藤和代だった。