篠原 紀伊

緋瀬、生成イメージが安定していない。
イメージ演算でノイズが多いと生成速度は上がらないぞ。

一般演習の授業で生徒たちがそれぞれ実習を行うのを見回っていた篠原先生が緋瀬の前に来て言った。


篠原先生に指導を受けた緋瀬は、形を結ぶことに失敗して霧散していく光の粒子を哀しげに見ながら、はい、とだけ返した。



緋瀬はその体質も相まって座学に関しては非常に優秀であるのだが、特に最近になって、生成が途中で中断してしまったり、MEが粒子形のままイメージ通りの形を取らずに散り散りになってしまったりと実際にMEによって何かを生成するということについてはあまり成績が芳しくないようにオレには見えていた。



かくいうオレは座学も演習も得意ではないので他人のことをとやかく言う権利など持ち合わせてはいないのだが、そんなオレもさすがに気づくという程度で「最近」の緋瀬は調子が悪いのだ。

正確に言うならば、同級生であり、同じチームである蘇芳怜という少女が巻き込まれた《分離実験(ディバインディング・プラン)》の後からだ。


そこで緋瀬の精神あるいは肉体に何か変化があったのだろうか。


もし関係があるとすればあの赤い光。






クロノスの水色の光を打ち消した謎の光。


それが緋瀬の体から発せられたというのは、緋瀬もクロノスに類する能力を持っているということなのだろうか。



緋瀬が実験のあと、オレと怜が補習を受けているのと同時に受けた検査では何も見つからなかったらしい。



しかし、そうだとしても緋瀬がクロノスに類する能力を持っているという線が完全に消えるわけじゃない。


なぜならオレの体に宿っているクロノスは蓼科医院での検査でも検出されていない。


だからこそ今でも内なる保護者《インナーガーディアン》である香子にも、クロノスのことは知らぬ存ぜぬで通せているのだ。


まぁそれでも苦しい言い訳ではあったが。



香子は保護者(ガーディアン)であるがゆえにオレのような生徒を傷つけるという権限までは持っていないようで、オレがしらを切った時点ですぐにオレの異常性、つまり怜のアパートで見られてしまった時を歪める指であったり、体から発生された水色の光なんかについての問うことは諦めてくれた。

話を戻すと、緋瀬が園立病院で受けた検査で何も検出されなかったとしても、オレが蓼科医院で検出されないのと同様に、


「検出されないだけで、何もないわけではない」



という状態はありうるということである。


そしてさらにこれを要約してしまえば、とどのつまり、何も分からない、ということなのだ。




柑野 怜

……。

ふとオレの右側に個人ポッドで浮遊している怜を見やると、黙々と演習に取り組んでいた。


補習の日に下の名前で呼ぶように言われてからオレに対する態度は軟化してきたようなのだが、相変わらず他人と積極的に話すのは敬遠しているようで、緋瀬や香子とはあまり話すこともないようだ。



というかD5班はオレ以外の三人が女の子なのだから、この三人が仲良くなったほうがいいと思うのだ。



そういう意味ではまだまだ改善の余地はある、といったところなのかもしれない。


そこでオレはあることを思いついた。柄にもないことだが、我ながら良い案だと思う。



授業の後にその案を実行しようと決心してから、オレは再び自分の実習に取り組み始めた。

* * * * *

緒多 悠十

なぁ、緋瀬。ちょっといいか?

一般演習のあと、個人ポットから降りて退席のために学生証を端末にかざしながらオレは背後からついて来ている緋瀬に声をかける。

緋瀬 未来

ひゃ、ひゃい! な、なんでしょうか!?

毎度毎度のことであるが、飛び上がって驚きながら返した。

緒多 悠十

今日の昼飯なんだけどな?
班のメンバーもやっと落ち着いてきたんだし、遅くなっちゃったけど結団会でもやったらどうかなって思ったんだけどどうだ?

緋瀬 未来

え、えっと……きょ、今日はふ、ふ――

葵 香子

なになに~?
なんか今さっき香子さんはいいことを聞いた気がするぞ~?
結団式?
よいではないか、よいではないか~。

緋瀬が何か言いかけたところで香子がオレの背中に飛び乗るなり、オレの髪をいじりながら言った。

緒多 悠十

ちょっと香子さん!
お、重いですってば!
オレの背中を公共交通機関みたいな扱いしないでください!

葵 香子

あ~。ゆうくん今重いって言ったね~?
レディになんてこと言うのさ~。
確かに香子さんはお胸がちょっと大きいからその分重いかもだけど~他に関しては十分痩せてるんだからね~?

そう言いながら何を思ったのか、あろうことにその自慢の「お胸」とやらをオレの頭の上に載せたのだ。

緒多 悠十

な!?

オレは今しがた起こったことに戸惑った末、慌てふためきながら香子の両脇腹に手を入れて、サッカーのフリースローよろしく前方に投げ放った。


しかし香子は投げられたにも関わらず、華麗に空中で一回転を決めたかと思うと、猫のように手足をついて軽やかに着地した。

葵 香子

いきなりにゃにをするんだよ~。
香子しゃんはレディととして当然の主張をしただけだにゃ~。

緒多 悠十

いつから猫属性を会得したんですか!
これはあれですか、文字通り『猫かぶり』とでも言えばいいんですか!?
それにこの場合、香子さんは婦人(レディ)ではあっても淑女(レディ)ではないですよ!
もう少し恥じらいを持ってください!

顔面が炎でも噴き出すのではないかというくらい顔を赤くしながらオレは香子に言葉を放り投げた。


猫のように毛づくろいをしながらそれを聞いていた香子は少し考えるようなジェスチャーをした後、四足歩行のままオレに背を向けた。

葵 香子

にゃ

その全く反省の色がない声とともに、香子はその小さいお尻を勢いよく持ち上げた。

そして慣性によってお尻が静止したのちも上方への運動を続けるスカートという、身を守るにはあまりにも脆弱な衣服は、その役目を全うすることなく、さらに下の布を露わにしてしまったのである。

緒多 悠十

!!!!!

オレは脳裏に焼き付いていしまった薄水色の布のイメージを懸命に掻き消しながら手で顔を覆った。

緒多 悠十

ぜ、ぜ、全然反省してないじゃないですか!
いいから早く普通に立ってください!

葵 香子

は~い

やっと香子が人間に戻ったところでオレは咳払いをして話を元に戻した。

緒多 悠十

まぁ結団式と言っても大したことをするわけじゃなくて、ただ昼飯を四人で食べようってだけなんだけどさ。
ほら、緋瀬、例のテラスなら四人で話すのには静かでちょうどいいと思うんだけど。

緋瀬 未来

そ、そ、そうだね……

なんとなく乗り気ではないような声音でそう返した緋瀬だったが、ひょいと体ねじって怜の方に向き直る。

緒多 悠十

か、柑野さんはそ、それでいいかな?

柑野 怜

……僕は、悠十が行くなら行く

静かにそう返した怜は、何を思ったのかオレに少し近寄ってきた。

緒多 悠十

よし、じゃあ香子さんと怜はオッケーと。
緋瀬はなんか用事とかあるのか?

緋瀬 未来

え、えっと、特にないよ?
じゃあ先に購買部でご飯買ってからでいいかな?

柑野 怜

……分かった。

葵 香子

は~い!

怜と香子は緋瀬の言葉に各々答えてから購買部の方へ向かっていく。

オレもその後に続いて歩き出そうとするが、おもむろに制服の袖が引っ張られる。

振り返ると、緋瀬がうつむき加減に立っていた。

緒多 悠十

どうした、緋瀬?

オレは緋瀬に正対して顔を覗き込むようにして問うた。

緋瀬 未来

き……

緒多 悠十

き?

緋瀬 未来

き、今日はね、そ、そのお弁当を作ってきたの……。

緒多 悠十

ああ、そうなのか。じゃあ二人はオレが連れて行くから、緋瀬は先に――

緋瀬 未来

あ、あのね!
お、お弁当は二人分なの……そ、その悠十くんに味見して欲しくて……。

緒多 悠十

お……おおお!
これっていわゆる手作りってやつか!?

オレは思わず声が大きくなってしまい、慌てて口を塞ぐ。

家にいる時にはヒサが手作りの料理を作ってくれているのだが、彼も毎朝それなりに忙しいわけで、二人分の弁当を作っている時間などない。


ただでさえ家事を増やしてしまっているオレがそれ以上を求めるというのもおこがましいというもので、学校がある日の昼食は購買部で買うということに落ち着いたのだった。

そういう経緯ゆえ、現存するオレの記憶の中では「手作り弁当」というものは食べたことがないのだ。

緒多 悠十

本当にいいのか?

緋瀬 未来

う、うん……そ、その悠十くんのお口に合うか分からないけど……。

緒多 悠十

じゃあ、二人が来るまで待ってるか。……そういえばなんで急に弁当を持ってこようなんて思ったんだ?

さっきは深く考えずに喜んでしまったが、特に弁当を頼んだ覚えもない。

緋瀬 未来

え、えっと、きょ、今日は二人で食べようと……。

緒多 悠十

え……。

別に緋瀬が二人で食べようと言ったことに驚いたわけではない。


今までに緋瀬と二人で昼食を取るなんてことは今や珍しいことではなくなっている。


オレの特殊な生い立ちに対して例外的な存在感である緋瀬と一緒に行動することはさほど不自然なことではなかろう。


記憶喪失であることを理解してくれている相手と話すのは、そうではない相手に比べて数倍楽だった。


かといって記憶喪失のことを全員に公表する気にもならなかった。


珍奇の目や同情の言葉というのはどうも気が進まない。

緋瀬は珍しがることも、同情することもなかった。


繰り返しになるが、そういう理由で緋瀬と二人で昼食を食べるということはさして驚くことではない。



しかし、いや、だからこそ彼女がわざわざ二人で食べようと弁当を作ってきたというのは、何か特別にオレに話さなくてはならないことがあるということではないだろうか。


もしそうだとしたら、今日オレが言い出した結団式というのは非常にタイミングが悪い。

緒多 悠十

えっと、なんか今日あったっけ?

我ながら良い案などと心中で嘯いたことを悔やみながら間の抜けた問いをする。

緋瀬 未来

あ、あのね、これの話をしたくて……。

緋瀬が取り出したのは二枚組のチケットだった。

緒多 悠十

あけぼの遊園地?

緋瀬 未来

そ、そう! こ、この前悠十くんの主治医の方にばったり会って……。

緒多 悠十

蓼科が?

病院=蓼科というイメージが出来上がっているオレにとって、あの男が緋瀬が出歩くような時間帯にその辺の街に徘徊しているというのは珍妙なことのように思えたが、そんなことはどうでもいい。



あの科学者まがいの医者が何を思ったか緋瀬にこのチケットを渡した、ということだろうか。

緋瀬 未来

そ、そうだよ。
そ、それでもし良ければい、い……

緒多 悠十

一緒に行く?

緋瀬 未来

そ、そう! わたしは悠十くんとあけぼの遊園地に行きたいなーって……

そこまで言って緋瀬はみるみる顔を赤くしてパンクした。

緒多 悠十

お、おい!

ふらついた緋瀬を支えて、チケットの有効期限に目を向ける。


来週の火曜日まで有効で、今週の土曜日は補習だが、日曜日なら時間がある。


週末に予定があることなどほとんどないオレに断る理由などありはしなかった。

緒多 悠十

今週の日曜日なら一日中空いてるし、その日でいいか?

緋瀬 未来

い、いいの!?

緒多 悠十

そりゃあもちろん。断る理由もないしな

そんなこんなで、オレと緋瀬は週末に遊園地へ行く運びとなった。






























そして、遊園地にはピエロがいるということを、その時のオレたちは気になどしていなかったのだった。

絶対論理―Absolute Logos―(4)

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