ラドは卵の形をした昇降機を用いて城の三二五階に向かった。
お気づきかもしれないが、ラドが住んでいるこの城は地上三〇〇〇階、地下八九五六階まである壮観なものである。
但し、今述べた階数はあくまで推定のもので、精密な数値は分からない。というより、当てにならない。
何故なら、日夜問わずラド達戦工による改修と増築が行われており、測ったところで意味がないのだ。
それでは地下はどうなのかというと、これもまた計測不可能である。地下は一種の巨大かつ危険極まりない迷宮と化しており、詳しい探索をすることが恐ろしく困難なのだ。

何故いつも改修増築が行われるかというと、それは城の闇におわす悪魔の命令だからだ。
悪魔の詳しいことはラドには分からない。
そもそも悪魔はラド達人間とは隔離された存在で、一部の腹心にのみ直接意見を伝えるが、その他の連中には小間使いを通じてしか連絡を取らない。
悪魔はいうなれば、この城の神々にして支配者だ。
人々は悪魔に労働力と供物を捧げて身の保身を図り、悪魔は人々の意見を汲み取って城を動かす。
これがこの城を動かす構図となっている。

ラド

その悪魔に、俺はこれから叱られようとしているのだ

ラドは昇降機の中で歯軋りをした。
建築を失敗させることは、重罪となる。
建築の妨げとなった戦工は裏切り者として仲間から追われ、始末されるのが慣例となっている。
ラドは長年、裏切り者を追いかける立場にあったが、今では裏切り者になろうとしていた。
今のラドの頭の中にあるのは、悪魔の機嫌を如何に取って裏切り者となるのを回避するか、ということだけだった。

ラド

建築の失敗だしな……美辞麗句を並べてもどうにもなるまい。それならば……

ちょうど、昇降機の扉が開く。
天井から「三二五階でございます、三二五階」という声が聞こえる。
三二五階、つまり三〇〇番台の階は貴族が住まう階層である。

三〇〇~三九九階までが吹き抜けとなったその空間の空は、天文学的な数のコバルト色の虫――この虫はもともと黒色をしているが、膨大な光を感知することでコバルトに変色する――と一匹の光を放つ巨大な天道虫で覆われてきらきらと輝き、上にも下にも存在している建物は天道虫の光を浴びて美しく輝いている。
道は丁寧に舗装され、埃一つとてない。
どこから吹くとも知れぬ風には、ラズベリーやマーガレットの匂いが含まれている。
昇降機を降りてすぐのところで、ラドは貴族の子供達が鬼ごっこをしているのに気づいた。

女の子

違うよ、あたしが鬼なの

男の子

いや、ぼくが鬼だ

男の子

ぼくはね、マーロウが鬼だと思うよ

女の子

ギーダ、あなたまでマーロウを鬼だと主張するの? 
あたしはちゃんと言ったのよ、ゲームが始まる前に。あたしが鬼だって

喚く少女を見て、ラドは一人ほくそ笑んだ。
ふと、憎たらしい小僧――アヴァニ・スルーターの姿が浮かぶ。
ラドはアヴァニを憎んでいた。
スルーターに対してはそれ以上憎悪していた。
幼い頃より「お前の曾祖父はスルーターに出世の座を奪われたのだ」と父親に言い聞かせ続けられていた。
曽祖父も祖父も父親もそしてラド自身も、出世欲の強い人間であり、自分の脇で立て続けに成功していくスルーター家の人間への妬みは、年を経るごとに、そして血を継ぐごとに増大していった。

ラド

卿は魔物に対しては無知だったのだな……

今こそスルーター家を終わらせるときなのだ。奴らにおいしいところはもう渡さん。
ラドは極めて邪悪な考えを胸に潜め、目的地である戦工の無知なるリーダー、バーモント卿の邸宅まで走っていった。

今日はどこの部屋に用がございますか?

ラド

五階の天蓋の部屋だ

秘書は軽く頷いて、ラドを昇降機に案内した。

バーモント卿宅の昇降機は別名を「不安定の間」という。
間と名づけられているのは、エレベーター内部が一種のロビーのようになっているからに他ならない。
悪魔の像をひっきりなしに取り付け、地震・飢餓・戦争などの荒廃の様子をひっきりなしに描いた狂った曲面天井は高く、普通の建築物の二階ほどはあり、城とその外にあるといわれる理想郷・ジャンビーユを模した複雑系構造のシャンデリアが吊り下がっている。
壁には三枚の絵がかかっているが、そのどれも教養のあまりないラドには分からない代物だった。
足元は一面、赤黒いカーペットで覆われている。

秘書はラドが不安定の間に入ったことを確認すると、扉を閉め、その脇にある上昇を指示するボタンを押した。

コールター

五階に到着するまではまだ時間があります。
お飲み物をお持ちいたしましょうか

ラド

ああ、頼む。何があるんだ?

ラドは黒く硬いピストン・ビーンを煎った甘い珈琲や、城上層にあるゲド山の斜面で栽培された炎茶草を用いた辛い紅茶を期待していたが、「ここには酒とジュースしかない」とすぐに聞かされて面食らってしまった。
仕方なく、ラドは血林檎のジュースを頼んだ。
本当なら度の強いウォトカを飲みたいのだが、頭に浮かんだ計画を酔いによって乱すのは避けたかった。

コールター

お味はいかがでしたか?

ラド

とても美味かった。糖蜜みたいに甘い癖に、あまりどろっとしていなかったな

コールター

そう言っていただけると何より

コールター

……ところで、今日は何の用で?

ラド

まずいな

建築の失敗についての尋問だとは、口が裂けても言えない。では、どうすれば良いのだろうか?

ラド

嘘をつくしかないのか? いや、その前に秘書は俺のことを知っているはず。何故、こんな質問をしたのか……?

少しばかり考えてから、ラドは口を開いた。

ラド

仕事の相談でして

コールター

仕事の相談? まあ、バーモント様お抱えの戦工なのですね。私、戦工はとても好きです。獰猛な魔物に勇敢に立ち向かって、この城をより良く建設していく……尊敬に値する職です

掌が湿りだす。
目の前に立っている秘書が、自分の心の漆黒を見据えているような気がしてならなかった。
自分の思い込みなのだと信じたいが、どうも秘書の鋭い瞳を見ていると何か恐るべきものが女の皮膚の中に隠されているのではないかと思ってしまう。

ラド

こいつ、何者なんだ?

恐れを抱き始めたそのとき、昇降機が止まった。五階に到着したのだ。

コールター

あなた、引き返したほうがいいわ

バーモント卿の服装は乱れていた。これはいつものことで、特にラドは気にしなかった。
バーモント卿は城の地下から狂王の薬を生成する生物・黄金蛾を発見してのし上がった貴族であり、戦工に関わっている貴族の中では最古参のオールバッド家と並んで権力を掌握している。
極端な話、バーモント卿が皆のもの行けと命じれば城内の戦工の内、少なくとも半数は動く。
それだけの力を有する彼ではあるが、半面、昼夜問わず快楽の本場たる都市デイスより高級な売春婦を邸宅に招き入れるほどの大変な好色家であり、本業に対しては無関心なところが目立つので戦工達からは「背徳のバーモント」だとか「好色のバーモント」だとかいうあまりうれしくない仇名で呼ばれることも少なくはない。

そんなバーモント卿はテーブルに置かれた書類を見ると、不機嫌そうにテーブルの右端にある箱をいじくり、部屋の両側に飾られた絵に映像を映し出した。
それは綺麗に撮れた、魔物襲撃の様子であった。
怖気ついて瓦礫の下に隠れているラドの姿も、映っていた。

バーモント

これを見てどう思うかな、え、ラドよ

バーモント卿は怒りというよりも不愉快さと相手をいたぶる暗い快感を滲ませて言った。

バーモント

……君は最前線にすら立っていなかった。
そのおかげで、戦工が何人も死に、建築予定だった部屋は大きく破壊された。
聞いたところによると、やってきた鳥を倒したのはアヴァニ・スルーターではないか

ラドは少し沈黙して、震える声で

ラド

……全ては……アヴァニ――アヴァニ・スルーターのせいです……

バーモント

なに、アヴァニだと

ラド

あいつが、裏切ったんです

バーモント卿は目を丸くして、こちらをじっと見た。いける。ラドは昂ぶりを抑えながら畳み掛ける。

ラド

何故彼が多くの魔物を討伐できたと思いますか? 
それは、あいつが魔物と取り決めしているからに他なりません。……私は見てしまいました。
あのアヴァニが、家にある珍妙な呪い道具を用いて魔物に語りかけているのを! 
訳の分からぬ言語を呟いているのを! 
アヴァニのいるところには常に魔物の影がちらついていました。
彼がよく通う酒場の付近で魔物を見たという人も多くいますし、それに戦工として働いているときも、いつも魔物が……。
きっと、あいつが全てやったんです

バーモント

管理しない君が悪い、と言いたいところだが、アヴァニが魔物を引き寄せているということを教えてくれたことを顧みて、あまり深く問わぬようにしよう

ラド

ご寛容な判断、ありがとうございます……!

バーモント

アヴァニの捜索は君が先頭に立ってやれ。そのくらいのことは出来るであろう?

ラド

はッ!

バーモント

それでは、任せた

バーモント卿はゆっくりと立ち上がると、寝室へと歩いていった。すぐに売春婦の嬌声が聞こえる。

ラド

俺は勝ったのだ!

そうラドが叫ぶのを、屋敷の柱に張り付いた金と黒の混ざったイモリが聞き逃さない訳がなかった。

2話 バーモント卿

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