誰が造ったのかわからない、どこまで造ったわからない、巨大な城。
その、キメラのように増築に増築を繰り返した歪な城の最上部。
沈みかけの太陽が、吊り下げられた死体にオレンジ色の光を投げかけていた。
誰が造ったのかわからない、どこまで造ったわからない、巨大な城。
その、キメラのように増築に増築を繰り返した歪な城の最上部。
沈みかけの太陽が、吊り下げられた死体にオレンジ色の光を投げかけていた。
その日、突如として虚空から舞い降りてきた三匹の魔物は、戦工達の建築している城の新しい部屋を悉く破壊し、迂闊にも逃げそびれた哀れな戦工を食らい尽くした。
おら、戦工ならば戦え! 戦って城を守り、城を造るのが我らの仕事だぞ!
壊れた建造物の影に隠れて攻撃用花火を飛ばすラド・カーミンという名の戦工長が声を張り上げ、部下に檄を飛ばした。
しかし、誰も彼も影から飛び出して魔物と戦おうとはせず、花火は虚しく宙に咲くだけだった。
まったくこれだから若い奴は……
自分が戦わないのにねえ
なんで影に隠れておきながら、わざわざ喚くんだよ。今は魔物が肉を喰っているからいいけど、すぐにバレるだろ
まったく、そろそろボケが始まったんじゃないのかね
そうだそうだ、と戦工が言いかけたそのとき、頭上でガラスやら木材やらが一斉に割れる音がした。慌てて上を見上げる。
七メートルほどの大きさの魔物達が頭上にいた。
「巨人鳥」と呼ばれている、巨人にカラスの翼が生えたような形状のその魔物は取り巻きを見つけると、黒板を爪でひっかくのに似た、鋭く背筋が凍る声で鳴き、手頃な者を一人ずつ選んで食らいついた。
べラン! ローグル!
生き残った戦工の男は絶叫したが、巨人鳥は決して獲物を離そうとしない。
魔物どもの貌には太く、長く、そしておぞましい黒色をした嘴がついており、今まさにそれで苦しみもだえる戦工を引きちぎって咀嚼を始めた。
しばらくして、人間の「不要物」が音を立てて奈落へ落ちていった。
それを見届けた巨人鳥は血したたる嘴で城のそで壁を突いて、いともたやすく破壊してしまった!
貌に血肉と壁の破片を付着させ、巨人鳥は会心の笑みを浮かべた。
まずい
戦工の男は武器と建築道具を兼用している巨大なハンマーに力を込め、立ち上がろうとする。
このままだと、城の中へ入っていってしまう
しかし、一人で突入していって勝てる見込みはどこにもない。
立ち向かうのを迷っている内にも魔物の破壊は進み、城内へあと少しで侵入してしまうところまで来ていた。
男は唾を飲み込み、隣にいる、恐怖でへたり込んでいる同僚のポケットから退魔の呪いを込めた弾丸を三個分奪い捕り、携帯していた銃の中に入れて巨人鳥の目の前まで向かった。
やい、巨人鳥。こいつが分かるか
男は、銃口を魔物達に向けた。巨人鳥はたちまち怒りの表情を浮かべ、鋭い血染めの嘴を男に向けてくる。男は攻撃を軽々とかわし、差し金を引いた。
放たれた弾丸は実に見事な軌道を描き、飛び回る巨人鳥どもを追跡したが、当たることはなかった――巨人鳥はその邪悪な羽ばたきで、弾丸を退けてしまったのだ!
し、しまった……全然効かない
三匹の巨人鳥は冷静に男を追い詰めた。どことなく狩りを楽しんでいるようにも思えた。
男の目が確かならば、狩りをしているときの鳥の眼は歓喜に湧いていたのだ。
巨人鳥は男をそのまま喰らうのではなく、吊り下がっている死体にすることを決めたようだった。
城から突き出た鉄のパイプにしがみ付いている男を、突いていく。
男は恐怖と苦痛、そして死を目前にした狂気に塗れ、破壊の宮殿と化した新しい部屋、そこに早贄の要領で吊り下げられた戦工の死体をじっと眺めた。
何故魔物が人間にこうも恐怖と絶望を与えるのかは不明である。
意図的に誰かが操っているのではないか、という説もあれば、異世界からやって来ている、という説もある。
とにかく、数多の魔物に関する情報は謎のヴェールに包まれているのは確かだ。
魔物の身体に触れることを誰もが厭うこの城、仕留めた魔物の解剖すらも出来ないのだ。
そもそも、魔物の死体の絶対数が少ない。
大抵の魔物はひとしきり破壊と捕食を済ませると、空高く飛び去ってしまう。
と、魔物の訪れる橙の空から一人の戦工がやってきた。まだ成人もしていないであろう少年だった。
彼は空を飛ぶ褐色の車に乗り、ハンドルを切って垂れ下がる死体の前までやって来た。
何故、俺を助けない?
てっきりこっちまで来ると思っていたのに。
男は少年に恨みの視線を向けた。
しかし、少年はそんなものは気にしていないようで、ただ早贄を支えている木を斧で切っている。
木が折れる音を聞くと、男の周囲に群れていた巨人鳥達は一斉に落下していく死体目がけて飛んでいった。
ようやく車が自分の近くへやってくる。
男は少年に支えられながら車に乗りこみ、下の様子を見た。建築に建築が重ねられ、歪な形をした城はどこまでも続いている。
霧が車のずっと下を覆っていて、底を見ることは決してできない。
城の下部から、新しい部屋の残骸の方向に目を向けて、男は愕然とした。さっき落とした死体を咥えた魔物がこちらに向かって飛んできている!
ちょっと、どうすんだ! 鳥はまだ死んでないが
あんた全然わかってないな、という視線を向け、少年が口を開き、ポケットから錠剤を一錠取り出して嚥下した。
おっさん、ちょっとばかし黙ってろ。あの化け物鳥はオレがなんとかすっから、隠れていな
少年の眼は土埃色、髪は黄金色をしていた。それで、男は思い出す。
あの少年は探求狂の戦工アヴァニ・スルーターだ。スルーターは昔の名門貴族で、土埃の瞳と黄金の髪は一族に特有のものだった。
厄介なことに巻き込まれたな
そして、スルーター家は呪われた一族でもあった。
スルーターの人間はその身を好奇心に焼き殺され、時としてそれは周囲にいる者さえ巻き込む――市井で騙られる真偽の怪しい噂話ではあるが。
車は素早く鳥の目前に進む。アヴァニが立ち上がり、巨大な鶏肉を差し出す。
すると、巨人鳥は喜んで近づき、黒い嘴をきらりと光らせ、アヴァニごと喰らおうとした。
アヴァニはこの瞬間を待っていたと言わんばかりに笑みを浮かべ、毒々しい外見の嘴からするりと逃れ、鳥の懐に潜って強烈なハンマーの一撃を喰らわせた。
巨人鳥はこれほどになく不愉快で冒涜的な鳴き声を発したが、アヴァニがもう一度ハンマーを振り下ろすと、あっけなく絶命した。
アヴァニはまた別の巨人鳥の懐に潜りこもうとしたが、今度は羽根に遮られて駄目だった。
鳥はでこぼこの城壁に移ったアヴァニを咥えると、勝ち鬨を挙げながら周囲を旋回飛行した。
少年は嘴に何度も何度もハンマーを撃ちつけるが、嘴は金剛石のごとく硬くて、遂にハンマーの方が壊れてしまった。
ハンマーの破壊を、もう一匹の鳥が確認すると、嬉々として男のいる車の元へ向かっていった。
ひいっ!
そこを男が呪いの入った袋をとっさに取り出して迎撃する。
袋から放出された赤色の靄はゆっくりと鳥を包囲し、最終的には羽根の間に絡まり、いずことも知らぬ霧の奈落へと墜落させていった。
鳥が仕留められると、アヴァニを咥えた巨人鳥は弔い合戦かと思うほどの勢いで男の元へ向かっていく。
男は黙って鳥を見据えている。
あれだけの量を目の前にして、男は恐怖ですくみあがり、ただただ迫る無表情な巨人のかんばせを見ていることしか出来なかった。
ああ俺はもう死ぬ――そう確信したそのとき、血しぶきが男の顔にかかった。
アヴァニが奇妙な形状をした白銀の剣を使って鳥の嘴を貫いたのだ。
しかし彼は力を込めて壊れた嘴をこじ開け、車のボンネットに飛び乗り、こちらに向かってにへらと笑った。
どうだ、すごかったろ?
そう語る彼の瞳は土埃色から透き通った青色に変化していた。さっき飲み込んだ錠剤――狂王の薬が効き始めたのだ。
さあ、残りを殲滅するぜ!
アヴァニは次々と飛来する巨人鳥を剣で叩き斬った。羽根を切り落とされた鳥は悲鳴を上げて降下して、それっきりだった。
とても常人には出来る芸当ではない――それを可能にしているのは狂王の薬であることは分かっている。分かっている、のだが、男にはどうもアヴァニのことが恐ろしく見えた。
一方的な殺戮を見つめながらその理由を考え、全ての鳥が死んだとき、ようやく
ああ、あいつは不安定なんだ