7/8/2012 8:58
神宮寺家
7/8/2012 8:58
神宮寺家
昔ながらの日本家屋と形容するにふさわしい平屋の建物。それに廊下で接続する形で新しい和風建築の建物がつながっている。その新しい建物が今の神宮寺家の主な居住スペースとなっている。
その玄関先に、二人組としてはかなり不釣り合いと言える少年と30代と思われる男が立っていた。チャイムを鳴らしたのは少年の方だ。
はーい!
戸の向こう側から女性の声が聞こえた。
あの…
なんだ?
お母さんを口説いちゃダメっすよ?
木の床板の上を軽やかに走ってくる音が聞こえる。
何をバカな…大学生の娘もいるん…
あら、昨日の!
うっす!今日は上司を連れてきたっす。
…
ん?先輩?
あ、す…すいません。
突然お邪魔いたしまして。
いえいえ。いいんですよ。娘も目を覚ましています。立ち話もあれですから、どうぞ中へ。
お邪魔しますっす。
失礼します。
二人は、新しく清潔感のある居間へと通された。長方形の座卓があり、長い二辺の側にそれぞれ二枚ずつ座布団が敷かれてある。二人ずつ向かい合う形だ。
娘を呼んできますので、しばらくここでお待ちください。
そう言うと、女性は居間を出て行った。
んと、この場合上座ってどっちっすか?
指示があったように、向こう側に座ればいいんだ。こういう時は。
それに、あまり上座下座を意識させないように家具の向きが決めてあるようだ。
了解っす!
二人は入り口から遠い側へ座る。床の間側に白衣の男、もう一方に少年が座る。
…それにしても娘二人の母にしては綺麗すぎるな…
娘さんもめっちゃ可愛いっすよ。
部屋の外に人がいても漏れない程度のひそひそ声で会話をしていると、部屋の外から声がかかる。
お待たせしました。
戸が開き、少女と先ほどの女性が部屋に入る。女性は手にはお盆を持ち、その上には4人分のお茶碗が乗っている。今戸を開けたのは少女のほうだった。
二人が入ると、男二人組はおもむろに立ち上がった。
初めまして。
少女が挨拶と一礼をする。
初めまして。私は昨晩お邪魔しました戸塚の上司の白井と申します。今から、しばしお時間を頂戴いたします。
男二人組は懐から名刺を取り出し、母のほうへ手渡す。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
こちらこそよろしくお願いします。
よろしくっす。
立ち話もあれですから、おかけになってください。
全員が座ると、母親は白衣の男から順にお茶を全員に配った。
お気遣いありがとうございます。
どうもっす。
あ、そういえば、名前も名乗っていませんでしたね。
奈緒の母の千賀と申します。旦那は今朝早くから地区の…情報局?でしたっけ。そちらに用があるとかで…
…それで…昨日から何かお変わりはありますか?
いえ、今さっき起きて、朝食を取り終えたところでした。
そうですか…。それではさっそく、神託の内容についてお伺いします。具体的にはどのような内容でしたか?
それが…
どうしました?
言葉ではないのですが…
というと?
映画を見ているような、自分がその場にいてその様子を見たような、そんな感覚でした。
すなわち、イメージ、あるいは映像としてその様子を見たわけですね。思い出せる範囲で構わないので、詳しく教えてください。
目の前には洞窟があるんですが、その前にとても大きな岩があるんです。でも、その岩と洞窟の入り口には隙間があって…
その隙間というのは、人が通れそうな隙間ですか?
いえ、とても人が通れるような隙間ではありませんでした。
続けて。
そこから、黒い霧?すごくどんよりしたものがこちらがわに流れてきていて、洞窟の奥からうめき声のような、人を呪うような声も聞こえました…すごく怖かったです。
なんか、確実に悪い託宣な気がするっす。
こら。余計な口を叩くな。
失礼しました。その先は?
外側から、その岩をどかそうと何人かの人がやってくるんです。でも、黒い霧に触れるとその人たちも死んでしまって…でも…
でも?
その人たちがやっとほんの少しだけ岩をずらすと、少しだけ広くなった隙間からすごい勢いで黒い霧が噴き出して…
その場面はそこで終わったんです。そのあとは私の夢です。多分関係ないと思います。
差し支えなければ、そちらのほうも教えていただけませんか?
でも、なんか笑っちゃうような話ですよ?
ぜひお願いするっす!
男の子がするゲームみたいな感じでした。モンスター?妖怪みたいなのが、目の前にいるんです。そこには知らない人もいるんですけど、私と私の幼馴染の男の子が一緒に戦ってるんです。私も魔法みたいなものを使ってました。それを後ろから眺めているようなそんな夢でした。
笑っちゃいますよね。でも、なんかすごくリアルっていうか、現実感があって…自分の後ろ姿ってあんな感じなんだなぁって…見たことがなかったので変な感覚でした。
おそらく、あなたが夢だと思っているその場面も神託の一部である可能性は考慮したほうがよさそうですね…
そうなんですか?
ええ…
話は変わりますが、あなたは「幽霊」を見たことがありますか?
幽霊…ですか?お姉ちゃんには見えたみたいですが…私には全然…
そうですか、わかりました。
男は、ポケットから白い短冊を取り出す。その白い紙には、なにも書かれていない。
さて、これには何と書いてありますか?
「いち」から「ご」までの漢字ですか?古い漢字ですけど…
マジっすか!?「伍」までいけちゃうんすか?
驚かないで聞いていただきたいのですが…先ほどあなたは「昨日から何も変わりはない」とおっしゃいましたが、とても大きな変化がありました。
あ、あの…先ほどから何をおっしゃっているのですか?その紙には何も…
え?
その紙には何も書かれていないのよ?
いえ、書かれているんです。実は。
いわゆる、霊力とか神通力といったように形容される「力」を持つ人だけがこの紙に書かれている文字が読めるのです。この紙で測れるのは、6段階です。
何も見えなければ、白紙。幽霊を靄(もや)のように見ることができれば、壱。幽霊をくっきり見ることができれば弐、幽霊に触ることができれば参。幽霊を声などで威圧できれば肆。幽霊以上のモノが見えてしまえば伍。こんな感じっす。
私には何も…奈緒には文字が見えるっていうの?
伍まで読める…
その…「幽霊以上のモノ」っ…なんですか?
不安そうに少女は尋ねた。白衣の男は、すこし考えてから重い口を開く。
ここで、説明しなくともじきにわかることですが、この場である程度のことはお伝えしたほうがいいでしょうね。
この世には、幽霊だけでなく鬼や怪物などといったような類(たぐい)の存在がいます。それらが見えるようになったということです。また、見えるようになっただけでなくそういったものからも影響を受けるようになりました。
その…影響って…
それらを視認できるということは、すなわちそういった存在も娘さんを意識するようになるということです。
チンピラと目が合うとチンピラのほうから、「あ?なに見てんだゴルァ!」っていう風に絡んでくるのと同じっす。
お前は余計な口を…
それも一部にはありますが、単純に「力」が強い人間の血はそういった存在にとっては贅沢な餌で、力をつけ強くなるためには非常に手っ取り早い手段なのです。
古代の日本の言い伝えには人魚の肉を食べて不老不…
豆知識はいいっす。別に雑学を増やしたいわけじゃないっす。
餌…それは、娘の身が危険にさらされるということですよね?
包み隠さず、率直に申し上げればそういうことになります。
ただ、この神社の神域内であれば妖の類は侵入できないようですので、この山の外へ出なければ大丈夫でしょう。ただ…
この山から出られないんですか?
いえ。山の外へ出れば危険かと言われれば必ずしもそうではありません。そういった危険な存在は、そうめったにいるものではないので。
じゃあ安全なんですか?
安全とは決して言えません。常に護衛がいるわけではないので、自己責任になります。
なんでこんなことに…
「神懸かり」によって体に神が入り込み、器であり、依り代であった奈緒さんの「力」が飛躍的に上昇したのでしょう。体に入り込んだ神が神だったもので…どれほどの「力」を授かったかさえ予想もつきません。
私は…どうすれば…
その「力」の使い方を学べば、自分で対処することは可能でしょう。神懸かりによって与えられた力ならば、一人で妖を退散させる力を身に着けられるかもしれません。
具体的にはどんな…
その「力」の養成施設に数年間通えば、「力」の使い方を学び、鍛えることができるっす。
数年間…
普通の学校とそんなに変わらないと思うっす。楽しいっすよ?似たような境遇の仲間もいっぱいいるっす。
そうなんですか?あなた方もそういった施設で?
戸塚はそうですが、私は父から受け継いで「祓い屋」のようなことをしていました。しかし、今時そんなことでまともに食っていけるわけもなく…今はこのように組織の仕事の下請けをしています。
あなたのお父さんも組織の関係者ではあると思うので、聞けばいろいろと教えてくれるはずっす。
でも、昨日の昨日まで全然そんなことは話してくれたことも…
四人の間にしばらくの沈黙が流れる。少女はうつむき、視線は机の何もない場所に向いている。その様子を女性は不安そうに見つめている。すると、おもむろに少女が口を開く。
私もすこし考えを整理しないと…今は決められないです…
無理もありません。昨晩まではこういったことに縁のなかったわけですから…ゆっくり考えてください。
マコちゃんのお見舞いにも行きたかったのに…
こんな状況なのに、あなたは…
この山の外へ出かけるのはちょっと…
そうですよね…
ちょっと主人とも話をしてから、今後については決めたいと思います。
何かありましたら、先ほどの名刺の番号までいつでもお電話ください。
わかりました。ありがとうございます。
それでは今日はこれで失礼いたします。
男二人は立ち上がり、暗い表情の二人に玄関まで案内されていく。廊下で少年が少女に話しかける。
養成所もそんな悪いところじゃないっすよ。
こら、戸塚!かえって悩むようなことを言うんじゃない!
すいません…本当に…
こいつも悪気があっていっているわけではないんですが…
いえいいんです。戸塚さんみたいな人たちと一緒の場所なら、そんなに嫌じゃないかなって思うし…
ほ、ほんとっすか!?
調子に乗るな戸塚!
そうですか…でも、急がずにゆっくり決めてください…
男二人が帰るの見届けると、不安そうな表情の母親に、少女が言葉をかける。
お母さん。私は大丈夫だよ。養成所に行くことになっても、寂しいだろうけど、うまくやっていけると思うから。
母親は、励ますどころか逆に勇気づけられてしまった自分を情けなく思うのと同時に、強く成長した我が娘の健気さを感じた。そして顔を両手で覆うと静かに涙をこぼした。その背中をさする娘の手は、余計に母の涙に拍車をかけた。