飛行機がキーンという音を響かせて、
青い空を西へと飛んでいく。

そんな空を眺めながら、
僕は高校への通学路、というか近道の公園でベンチに座っている。

僕は生まれついての後ろ向きな人間で、
生まれてこのかた、前なんて見たことないかもしれない。
赤ん坊の頃はいつも母に抱き付いて、母の後ろばかり見ていたし、
小学生の頃も、後ろばかり見ているものだから、
襟首掴まれて引きずられるように登校していたし、
中学生の頃なんて、後ろを向き過ぎるものだから授業中に後ろの席の子に
よく怒られたほどだ。

そんな年期の入った後ろ向きな僕だけど、なんの奇跡か幸運か、
なんと…彼女がいるんです!

小学生の頃に僕の襟首掴んで引っ張って、中学生の頃には後ろの席で怒ってた女の子、
それが実は今、僕の彼女だったりするんです。

そんな彼女が今、僕の隣に座って…。

一体全体どうしたんだい?いつもにもまして気持ち悪い顔になっているぞ?
顔の造詣は悪くないのに、表情一つでそこまで気持ち悪くできるものなのか。
また一つ君には感動させられたな。

ひどい!!人が幸せに浸っているのに!
そんな無慈悲な暴言で心を折りにこなくてもいいじゃんか!!

なんだ、私が悪いというのか?
それならば人の隣で気持ち悪い顔をしてるのは悪くないというのか?

とりあえず『気持ち悪い』って所から離れてよ!!

冷淡で、イヂワルで、その上自信家で前向きで。
僕の言うことには、なんでもかんでもイヂワルで返してくるし、しょげてる僕を見ると、すごい楽しそうに笑うし、僕となにもかもが真逆で、正反対で、

まったくこの人は…

可愛いなぁーーーー。

だけど、こんなに自分の主義主張がはっきりとしてて、我が道を突き進んでいくような、僕と正反対の可愛い彼女のことだ。
いつか他にもっと、もっといい男を見つけて、離れて行ってしまうんだろうなぁ。

まぁ、仕方ないことだけどさ。

僕にできることなんて、せいぜい愛想尽かされる時期を先延ばしにするよう頑張ることくらいなわけで…なんて思っていた。

ほんの数秒前まで「別れる」という言葉を聞くまではは…。

おい、君。人の話を聞いているのか?私は別れようと言っているのだが

…え?
ゴメン、何て言った?

いやいや、いくら君がバカだからと言って、日本語忘れては今後の人生大変だぞ?
おっと、これは失礼が過ぎたかな。
君がバカであることは間違いないが、今回のそれも君の脳みそが原因だと決めつけるのは、いささか早計であったかもしれない。反省しようじゃないか。

さしずめ耳に詰まり物でもあるせいで、単純に聞こえないから『なんて言った?』って言ったのだろう。
どれ、私が最後の思い出に耳掃除をしてやろうじゃないか。
いっそ脳みそごと掻きだしてやる!

いやいや!!突然『別れよう』なんて言われたら誰だってそうなるって!
聞こえてた!聞こえてたよ!!だけどその発言の意味がわらかないというか!!

日本語の意味もわからない脳みそならやっぱり掻きだしてしまって問題なかろう。
ほら、そろそろ諦めるんだ。
太くはないが丁度よい弾力の太腿に頭をそっとのせて、私に耳掃除をされろ。
彼女の膝枕で耳掃除、頭が空っぽになるほど心地のよいものらしいぞ。

いや、心地よいとかじゃないでしょ!物理的に頭空っぽにしようとしてるんでしょ?!

遠慮するな。私が人目を気にするような人間でないことは君もわかっているだろう?

無理矢理頭を掴んで力づくで膝に押さえつけようとする彼女に漏れるような声でなんとか反抗するけどピクリとも動かない!本当に彼女は女の子なのか!?前世はゴリラとか、なんかそういった業を背負っているんじゃないのか?!。

ちょっと待って!!ねえ!?どれだけ力込めてるの?!首が、首が痛いよ!?

おっと、考えてみれば耳かきなど持ち歩いてるわけがなかったな。
仕方がない…。

そうだよね!?よし、じゃあ仕方がない!
耳かきはまた今度ということで別れるという方の話をきちっと。

仕方がない、シャーペンで代用するしかないな。
0.3mmの…

細いよ痛いよ絶対刺さるよ!なんたら仕事人みたいになっちゃうよ!!

ぷっ、くくくく……。
相変わらず君はいいツッコミをしてくれるな。

いや、本当にやりそうでこっちはヒヤヒヤしてるんだから

失敬だな。私にだってそれくらいの常識はあるぞ。
いくら私でも、彼氏を『耳からシャーペン! 』みたいな面白人間にするわけないじゃないか!
ふん!

でも…。もう彼氏じゃなくなるって…そういう話なんだよね…?

…うん。
まぁ、そうだね。

はぁ……。
そっかぁ、もうちょっと頑張れると思ったんだけどなぁ。


なんとか笑おうと頑張ったけど、ボロボロと涙がこぼれて来た。
あー、こんなんじゃまた彼女に幻滅されちゃうよ。
さっきも言ったけれど、いつか別れるだろうって覚悟はできてたはずなんだけど。

まったく君は、大きくなっても泣き虫なんだから。

ごめんなさい…。

ほら、これで涙を拭くんだ。

ありがと。

あのさ、なんでって聞いてもいい?

当たり前じゃないか。男女が別れようとしてるのだから、当然当事者の君にもその理由を知る権利があるし、知るべきだと私は思う。
もし君が知ろうともせずに、あたかも全て理解したような顔を見せたら、思いっきり殴っているところだったよ。

まぁ、君がそんな男だったら、元より付き合ったりなんかはしなかっただろうけどね。

えーっとだな…。
君も私がずっとピアノをやってきたことは知っているだろう?

彼女はそう切り出して、順番に話してくれた。

先生からフランスで勉強してきたらどうかと勧められたこと。
丸2年後の高校卒業ギリギリまで戻ってこないこと。
そして、フランスでの新しい生活に集中したいから別れてほしいということ…。

僕なんかに音楽の良し悪しなんてものはわからないけれど、わかる人にはわかるという世界で、僕には想像もつかないような別世界に、彼女は身を置こうとしてる。


そんな、そんな彼女に僕がしてあげられることなんて、そんなもの一つしかないじゃないか!!

うん、よくわかった!

ど、どうしたの

本当にそれだけか? 他に何も言うことはないのか?

だって何を言っても、君は自分の選んだ道を変えないでしょ…?

勿論そうだ。人に何か言われて意見を変えるくらいなら先に相談している。
それに私はあまり好きではないのだ。
自分の道を、自分の意志を他人に決めてもらうような自意識に欠けた奴も、自分のアドバイス通りに動かないと怒りだすような独善的な奴も。
他人にはアドバイスを求めるべきであって、行動権を委ねるべきではない。
その辺をわかっていないやつが世間には多すぎるように思う。
君はそうは思わないか?

言いたいことはわかるし、まったくその通りだと僕も思うけど、じゃあやっぱり今の僕に言えることはないじゃんか

本当にないか…?

えーっと…君がいなくなるのは本当に寂しいよ。
今まで本当に楽しかった。あとは…頑張ってね。

君はこんな時まで後ろ向きなのだな

ご、ごめんなさい…。
でも、君が前向き過ぎるだけなんだよ。
突然海外に行っちゃうような君と比べられても困るというか。

別に私だって前向きってわけじゃないぞ。
不安もあれば迷ってだっている。
だけど、あれやこれや考えても、結局最後にはこれしかないと行き着いてしまうんだ。

それを前向きって言うんだよぉ。

まぁ、楽しみにしていてくれ。
私が帰ってきたら、音楽の素養がない君ですら思わず泣いてしまうような、そんな演奏をしてやるからな。

そう言って彼女は、とびっきりの笑顔を僕に向けた。
そんな彼女の笑顔を見ていたら、僕もほんの少しだけ前を向いてみたいと、そう思ったんだ。

あの、一つだけ言いたいことがあったんだった。

よかったら聞いて欲しいんだけど…いや、嫌だったら別に聞いてくれなくてもいいんだけど!

…いや、良くはないんけど、仕方がないっていうか、なんていうか…あのね……。

なんだ、まどろっこしいな。
ちゃんと聞いてやるから気にせずちゃんと続けて。

2年後、君が留学から帰ったあとに、もし万が一、奇跡みたいな確率だと思うけど、まだ僕を好きでいてくれたら、卒業式が終わった後にこの場所に来て貰いたいというかなんというか…!

もしだよ!万が一だからね!!別に強要してるわけじゃなくて!!


そして彼女はいつも通り、
イヂワルな笑顔を浮かべた。

ふふん♪
わかった、いいだろう。
2年後なんて随分未来の話だからね。
正直、この約束どころか、君のことすら覚えていられるかもわからないけど。
だけど、もし万が一、奇跡のような確率で私が君のことを好きだったとしたら、その時はここに来てあげようじゃないか。

本当に!?

というか、学校からだとこの公園は帰り道だ。
どのみちここには来ることにはなるわけだが、
私が約束を守りにきたのか、ただ家に帰るだけか、君はどうやって見極めるつもりなのだ?

それはその、どうって言われても。

ふふ、まぁその時はその時か。
どうなるか2年後が楽しみだな。

1998年3月4日18時20分、彼女を乗せた飛行機は1分のズレもなく、
この日本を飛び立った。
そしてその日、彼女は『彼女』じゃなくなった。

飛行機がキーンという音を響かせて、
青い空を東へと飛んでいく。
あの日と同じように空を眺めながら、僕はあの公園のベンチに座っている。

どうしよう、来てくれるかな…。卒業式終わって速攻で走って来ちゃったけど、
別に何時って決めたわけじゃないし…あーどうしよどうしよどうしよ

僕は居たたまれない気持ちを、卒業証書の入った筒のフタをキュポキュポすることでどうにかこうにか紛らわしていた。

そんなバカみたいな卒業証書の筒ソロ演奏会を開いていると、公園の入り口に彼女が立っているのが見えた。

み、見られたてた?

だけど彼女は僕の奇行に気づいていないのか、
それとも僕のことをもう…。

勿論期待なんてしてない!
2年間異国の地での彼女の努力を考えると、僕との約束を…いや、僕のことを忘れてたとしても、責めることなんてできない。

それに向こうには金髪碧眼の美青年や美少年がずらっといたりして、そんな男たちみんなが、魅力を押し固めてパスタマシーンで成形したような黒髪美少女の彼女に首ったけになって、毎日いろんな人から口説かれまくってたりしたって、そんな風になっていてもおかしくないわけで!それに彼女がなびいたとして、そして僕を忘れてしまったとしても、それを責めることもできないわけで…。

できないけど…。

そんな風に考えていたら、なんだかどんどん怖くなってきて、
僕は思わず目をつぶってしまった。

彼女は僕のことを覚えているだろうか。
僕のことをまだ好きでいてくれているだろうか。

いや!こんな平凡でどうしようもない僕なんかのことを覚えてるわけがない!僕のことをいまだに好きなんて、そんなことあるわけないよ!!

彼女がここに来たのは単なる帰り道ってだけだ!こんな風にいつまでも目を瞑って待っていたって、彼女は帰っていくだけだぞ!!

今こうして目を瞑っている間に、声をかけてもらえないってことは彼女は僕の横を通りすぎていってしまったと思う。
だけど、それでも、ダメかもしれないけど、きっとダメだけど、それでも久しぶりの挨拶くらいするのが礼儀ってものじゃないか!?

思い出してもらうくらいいいんじゃないか!?ほんの少しだけ追いかけてもいいんじゃないか!?



きっと彼女が立っていないだろう正面を見るのが怖くて、きっと通りすぎて後ろに行ってしまった彼女を追いかけようと思って。

僕は後ろを向いた。

ネガティブな中でようやく芽吹いた勇気の芽に突き動かされるように。
僕は目を開けた。

そしてその瞬間

僕は彼女からキスされた。

はははっ、やっぱり相変わらず後ろ向きだな、君は。
君が目を瞑ったのを見た時、君のことだから逃げようとするか、もしくは私を追いかけようとしてかはわからないが、絶対後ろを向くと確信したよ。

正面で私が目を開くのを待ってると信じてもらえなかったのはつらいものだ。
君と違って私には約束を覚えておくだけの脳みそがちゃんと詰まってるっていうのに。

おい、話しかけているんだkら返事のひとつでもしたらどうなんだい?

それにしても生まれて初めてのフレンチキスを日本ですることになるとはな。なんとも面白いと思わないか?

おい、どうしたんだ?何を呆けているんだ?
落ち着きなく卒業証書の筒で遊んでいるのを見て、てっきり私のことを待っているのかと思ったのだが…。

あれ、違った?もしかして別の女と待ち合わせでもしていたとか?
まぁ、それだとしたら申し訳ないが…。
まぁ、でも君のような男を選ぶ人間など私以外いないだろう。大丈夫大丈夫。

おーい、私は君に話しかけているんだぞ?聞いてるかー!?

起きてるかー?

…ふん!


という声とともに腹に重い一撃が飛んできた!

いっ…痛いよ!!

私のことを無視して呆けてる君が悪いんじゃないか!反省しなさい!!

そりゃいきなりキスされたら驚くって!

なんだ情けない。世界はいつだってなんだって突然起こるものだぞ。
一々呆けていたら一生気絶して生きていかないといけないよ。

だってー…だってさぁ

とりあえず挨拶がまだだったな…。
ただいま。

2年前より少しだけ身長は伸びてて、顔つきも大人っぽくなってて、だけど…だけど……
彼女は全然変わってなくて…。

うわぁー、おかえりー!

こらこら泣くな。

だって、だって嬉しくてー…

君も変わらないな。
今日で高校も卒業したという男がこんなところで泣くもんじゃない。
ほらハンカチ…。

うん、ありがとう…

ということで、もうわかっていると思うが、私はまだまだ君のことが大好きだ。
今日からまた私の彼氏になってくれないか?

それは!もちろんだよ!!

そうかそうか、またよろしくね。

ところで、急で悪いんだが、これから私のピアノを聞きに来てくれないか?

え、ピアノ?
それはいいけど…今から?

あぁ、今からだ。
なんてったって君のために修行してきたのだからな!

ん?…僕のため?

あぁ、そうだ

え?どういうこと?

実は、行く前には話していなかったんだが…。

君もわかっていると思うが、私は気持ちを口で伝えたり、感情を素直に表現するというのがあまり得意ではない。

そこで、音楽だったら、ピアノだったら、君に気持ちを伝えられるかもしれないと、当時の私は思ったんだ。

私がどれだけ君のことが好きかということを伝えられると思ったんだ。

彼女が何を言っているのか理解するのに、僕は結構な時間と脳みそを使った。

そしてようやく理解した。
気持ちを伝えるという目的のためだけに留学まで決意してしまうほど、僕のことをちゃんと好きでいてくれているのだと。
それに気づいた瞬間、僕はおもわず大きな声で笑ってしまった。

ぷ…はははははっ

私のことを笑うとは君も強くなったな。
いいだろう耳かきの続きと行こうじゃないか。

わぁ!ごめんなさい!!

もう笑わないか?

はい!もう笑いません!!
笑わないからシャーペンをしまって!

よし、ならば『耳からシャーペン面白彼氏』はやめてやろう。

でもさ、それなら別に留学までしなくても。
日本で練習するんじゃダメだったの?

当時の私がどれだけ気持ちを伝えようと心を込めて弾いても、君は眠そうな顔をするばかりだったじゃないか!

そ、そうだっけ…

というか寝ていたな

え、えへへ…

あーもう!思い出したら腹が立ってきたぞ!!
もうあの時は悔しくて悔しくて!絶対こいつに私の気持ちを伝えてやるんだって、そう決意したんだ!

でもさ、それなら…

ん、なんだ?

それなら別に別れなくたってよかったんじゃん。お互い好きだったんだから…。

何を言っている。別れなかったらこんな風に君をビックリさせられなかっただろ?
ふふん、私はこの一瞬のために2年を費やしたんだ。

イヂワルここに極まれり!!

ふっふっふ…

そんなイヂワルのために別れるなんて…。
僕が他の子を好きになってたらどうしてたのさ。

ん?そんなの決まってる…

君が私以外を好きになるわけないじゃないか。

前向きここに極まれり!!

まぁ…あともう一つ理由があってだな。
いいか、これは聞いたらすぐ忘れろ!いいな!!3秒で忘れるんだぞ!!

別れでもしないと…君に会いたくて帰ってきてしまいそうだったから。

へへへ

ヘラヘラ笑うな!…あ、こら!どさくさに紛れて抱きしめるな!
もう行くぞ!!早く君は私のピアノを聞け!

冷淡で、イヂワルで、その上自信家で前向きで。
僕の言うことにはなんでもかんでもイヂワルで返ってくるし、しょげている僕を見ると、すごい楽しそうに笑うし、

僕となにもかもが真逆で、正反対で、

そして少しだけ照れ屋で…

まったくこの人は…

可愛いなぁーーーー。

ネガティブラプソディ

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