――中央棟修練所。

 ハルとメナは同じ基礎体力訓練をしていた。
 夕方のエノクの剣術訓練までは、みっちり基礎体力訓練をする約束だ。

メナ

はぁ、はぁ……
ハルはほんと、凄いね。
私が一回する間に、
十回近く終わってる。

ハル

……

メナ

黙々とこなしていってる。
私も負けてられないわ。

 ――夕刻。

 ハルの30セットが終わった頃、メナがようやく3セット終わろうとしていた。

メナ

はぁあ!
はぁ、はぁ、はぁ……
これで……、お、わ……り!

ハル

…………

 ハルは神妙な顔付きで口数が少なかった。

 ユフィが夕方に出て行くと言った事が、頭から離れないのだ。このままエノクの訓練を受け続ければ、もう二度と会えないかもしれない。それを口外するなと言われた事も、ハルを苦しめていた。

 ユフィが求める妹の病を治す方法は、ディープスにはない。ならば、ユフィがここに留まる理由はないのも当然。しかし、別れを惜しむハル。その胸中は平静でいられるわけがなかった。

エノク

どうやらしかっりと
基礎体力訓練を
こなしたようですね。

メナ

エノクさん、こんにちわ。
わざわざお忙しいのに
ありがとうございます。

 修練場にやってきたエノクに、メナが挨拶をする。エノクも軽く会釈をして返礼していたが、ハルはまだユフィの事に頭を悩ませていた。

エノク

どうしましたハル?
訓練がハードで
へばってしまいましたか?

 エノクが時折見せる、おどけるような口ぶり。いつものハルなら、おどけ返したり、楽しい言葉を返すのだが、そんな雰囲気ではなかった。

ハル

もしもの話なんすけど、
目的が達成出来なくなって
ディープスを出るって
人がいたら、二人なら
どうするっすか?

メナ

どうしちゃったのハル?
今日ちょっと変じゃない?

ハル

メナならどうするっすか?

 ハルの真剣な目付きが、メナにその問いを応えさせた。

メナ

え!? え~と、
そ、それは近しい人、かな?

ハル

う、うう。
そ、そうっす。

 メナの質問に答えるハルの瞳が潤む。ユフィが故郷に戻る事を考えたら、自然にそうなった。

メナ

え!? 嘘っ!?
誰か出てっちゃうの?

 ハルの分かり易い言動に、メナが動揺する。そこでエノクが自身の意見を話し始めた。

エノク

仲間との別れは、
このディープスにおいて
日常と言えるものです。
人それぞれに事情があり
目的も違う。
さらに申し上げると
死別も珍しくありません。

エノク

現実は厳しいもの。
その厳しい現実で
私が思う大切な事は
前に進むという事です。

メナ

前に進む……、ですか。

エノク

そうです。
ここを離れる者も
ここに残る者も
前を見ずして
生きる事はできません。

ハル

前を向いて……、
生きる……。

エノク

これからのお二人には、
出会いや別れ、
そして、様々な障害が
行く手を遮るでしょう。

エノク

その時に目標を見失わず
前に進めるか。
それが重要と考えています。

ハル

…………

 エノクの言葉は、頭に入るのではなく、ハルの胸の奥深くに突き刺さるような感覚だった。そして今のハルに出せる答えが、一つ湧きあがった。

ハル

エノクごめん。
折角来てもらったけど
明日からで良いっすか?

エノク

ええ、モチロン♪
前を向いている人を
止めるような野暮な真似は
できませんから。

ハル

ありがとうエノク。
じゃあ、また明日!

 メナの手を引っ張るハル。その足取りはいつもと同じく元気そのものだった。ユフィに会い、例え袂を分かつ事があろうと、再会を約束しようと心に決めたのだ。



 二人が駆け出す後ろ姿を眺めるエノクは、眉を上げて夕日に負けぬ明るい表情を浮かべた。

ユフィ

今日の夕方に出るわ。

 朝食の後、ハルだけに言ったユフィのセリフは、ハルの脳裏にまだ残っている。まだ大丈夫、まだ間に合う。そんな気持ちでハルはメナの手を握っていた。

リア

お、ハル。
何々仲良く手ぇ繋いじゃって。
妬けるなぁ、デェト~?

メナ

ななな何言ってるんですか!
ミストラン教官。

ハル

あ、リア!
ユフィ見なかったっすか?

リア

んー、ユフィ?
ああ、
さっき一人で歩いてるの見たわよ。
なんか荷物沢山持ってたけど。

ハル

荷物を沢山っすか……。
一人で……。

メナ

まさかさっきの話って……。

 メナと視線を合わせるハルは、顔を一層曇らせた。

 間に合わない!

 そう思ったハルは駆け出す。この廊下の先に食堂があり、その先を抜けると、訓練場の出入り口があるからだ。

 食堂にダナンとリュウの姿が見えた。先も急ぐが何か知ってるかもしれない。ハルは立ち止まり、いきなり質問を浴びせかけた。

ハル

ユフィ!
ユフィ見なかったっすか!?

ダナン

おいおい何だよいきなり。
汗だくじゃねーか。

リュウ

麦酒冷えてるぞ~。

ハル

あ、アデル!
ユフィ知らないっすか!?

アデル

ハル、私、おなかが……

ハル

タラトはどこかでユフィを
見かけてないっすか!?

タラト

ハゲ……バカ……。

ハル

だ、誰も見てないっすか。

 「聞いても誰にも言わないで」――ユフィが今朝そう告げたのをハルは突然思い出した。やはり誰にも言わないで出て行くつもりだ。肩で息をするハルの体温がさらに上がった。

ジュピター

あれ!? ハル。
剣術の修行するんじゃ
なかったのか?

ハル

ジュピター!!
ユフィ見なかったっすか?

ジュピター

え?

ユフィの名を聞き顔を歪ませたジュピター。

ジュピター

し、知ってるけど……

ハル

おおーーーー!
流石ジュピター。
で、どこっすか?

ジュピター

そんな事よりこれ見てくれよ。
前に言ってた、隠しメニュー。
訓練場裏ルールの一つ。
リーベの誕生日のみに
作られる伝説のケーキ♪
限定一名にしか拝む事の出来ない
スペシャルホールケーキだ♪

ハル

そんなのどうでもいいっす。

 年に一度のスペシャルホールケーキは、ハルに払いのけられ、宙を飛んだ。





 そのケーキが着地した先。




 そこには足があった。

メナ

あっ!

ユフィ

…………

 ユフィだ。

 訓練場を出たと思われたユフィが入口の前で立っていた。思い詰めたような感情を隠そうともせず、ハルに真っ直ぐな視線を送っていた。

ハル

ユフィ……。
良かったっす……。
ほんと良かったっす。

 ユフィを探してやっと会えたのに、声が続かなかった。胸にこみ上げる思いが熱い固まりとなって蜷局(トグロ)を巻いている。

 何を話せばいいのか?
 何から話せばいいのか?

 兎に角もう一度会えた事に感謝の気持ちが湧いてくる。こんなにも一度の会話を大切に思ったのは初めてだった。

ハル

ユフィ…………

 目を静かに閉じてから、思いを整理するハル。心を落ち着かせ、その一言に万感を込める準備は出来た。そしてゆっくりと目を開けた。

私が苦労して入手したケーキが……

今朝あなたには
言ったわよね……
特別なケーキが
出るって。

 「夕方に出る」

とユフィが言ってたのは、
年に一度のケーキに
ついてだった.

 ~錬章~     41、届かぬ思い

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