──その晩。

リセルは一人、中庭の噴水に腰掛けていた。

今宵は満月だ。

10年前……母の帰りを待ちわびていた、あの夜によく似ている。

母がすでに絶命していたとは知らずに。

リセル

(母上……僕は明日で18歳になります。
母上が存命であれば、お喜びになってくださったでしょうか)

 満月の恐ろしいほどの美しさに、リセルの心はざわついた。

何か良くないことが起こるのではないだろうか──と。

ルディア

リセル様!

リセル

ルディア……

 そのルディアと呼ばれた少女は、後頭部で結わえた長く艶やかな黒髪を揺らし、リセルに駆け寄った。

アメジスト色の瞳は月の光を反射して、宝石のような煌めきを見せている。

ルディア

こんな夜更けにどうされたのですか?

リセル

明日の事を考えると眠れなくてね。
ルディアこそどうしたんだ?

ルディア

私も明日の御前試合を思うと眠りにつけず、夜空を見ようと窓を開けた所、リセル様のお姿があったもので……。
つい来てしまいました

 心なしか、ルディアの声は弾んでいるように思えた。

リセル

そうか、ルディアも眠れなかったのか

 それだけ言うと、リセルは悲しげにうつむいてしまった。

物憂げな表情が気にかかり、ルディアは声をかける。

リセル

ルディア、ごめん……

ルディア

急にどうしたのですか?

リセル

君を専属騎士にするという話さ。
父上に掛け合ったけど、無理だったんだ

ルディア

何をおっしゃるのですか!
私は実力でリセル様専属の護衛騎士になってみせます。
メーディア様にもそのよう誓いました

リセル

……そうだな。
ルディアの実力なら、きっと勝ち残れるよ

ルディア

ええ!
リセル様をお護りするのは子供の頃からの夢でした。
必ずや叶えてみせます

リセル

ありがとう、ルディア。
ところで……

 リセルは噴水の縁から立ち上がり、ルディアの髪飾りにそっと触れた。

距離が近くなり、ルディアは頬を赤らめる。

ルディア

ど、どうなされたのですか?

リセル

もしかしてその髪飾りは、僕が昔あげた物じゃないか?

ルディア

は……はい、そうです!
今まで大切にしまっておいたのですが、
兄様が『18になったのだから、髪飾りでも着けて少しは女らしくしろ』なんて言うものですから……

リセル

でも、これをあげたのは子供の頃じゃないか。
町に行けば今の君に似合う髪飾りが沢山有るんじゃないか?

ルディア

いいえ、私はこれがいいんです。
だって宝石の色が……

 何かを言いかけたかと思うと、ルディアは頬を赤らめて口をつぐんでしまった。

リセル

宝石の色が?
どうしたって?

ルディア

い、いえ!
なんでもありません!

ルディア

(宝石の色が、リセル様の瞳の色と同じだから、私はこの髪飾りが好き)

ルディア

(でもそれは、私の胸にしまっておくべきことだ。
私のような平民の子が、リセル様にそのような感情を抱くだけでもおこがましいのだから)

 王宮騎士になっていくらか身分が上がったとはいえ、生まれながら王族であるリセルとは天と地ほどの差がある。

その上リセルには子供の頃より許嫁がおり、ルディアにとっては到底手の届かない存在なのだ。

ルディア

(だからせめて専属騎士になり、誰よりもリセル様のお側に居たい。
それが叶うのならば、他には何も要らない)

 ルディアは強い意思を胸に秘め、夜空に輝く星を見つめた。

リセルもそれにつられて、夜空を見上げる。

リセル

綺麗な星空だね

ルディア

本当に、綺麗ですね。
この分だと明日の御前試合は晴れそうです

リセル

ああ。
こんなにも綺麗な星空を見ていると、母上と星を見ていた時の事を思い出すよ

ルディア

クロエ王妃様は、本当にお優しい方でしたね。
あんな良い御方が亡くなられてしまうなんて……

リセル

冥府の吹雪から生還した村の若者が、母上の最期を報告してくれたそうだ。
母上は吹雪の中にいた子供を助けようとしたのだと

ルディア

そうですか……。
村には子供が取り残されていたのですね。
可哀想に

リセル

それがおかしいんだ。
彼が言うには、村には子供などいないはずなのに……と

ルディア

若者が知らぬ間に、別の地から子供が来ていたという事ですか?

リセル

わからない……。
そうだとしても、もう一つ奇妙なことがあるんだ

ルディア

奇妙?

リセル

その子供は背格好といい顔つきといい、僕と瓜二つだったと言うんだ。
僕はその時、この城に居たと言うのに

ルディア

そんな、まさか……。
クロエ王妃は、リセル様の幻覚を追って絶命されたというのですか?

リセル

幻覚か……そうかもしれないな。
でも、村の若者も言ったんだ。
その子供は僕と同じ顔だった、と

ルディア

不思議な事もありますね。
クロエ王妃がリセル様を思うがあまりに作り出した、幻影なのかもしれません

リセル

幻影か、或いは集団催眠の一種だったのかも……。
そう考えれば合点は行く。
でも、どうも腑に落ちないんだ……

 その時、物陰から何者かが近づく音がした。

それを敏感に察知したルディアは、剣に手をかける。

ルディア

何奴!

 暗闇から姿を現したのは、黒いローブをまとった男だった。

深くまとったそれは、男の人相をも覆い隠している。

明らかに城の者ではない不審な出で立ちに、ルディアとリセルは顔を強張らせた。

ルディアが鞘から素早く剣を抜いて構えると、男はこう言った。

お前に用は無い。
そこを退け

ルディア

怪しい奴……。
どうやって城壁を越えた?

それに答える義務も無いな。
そこを退かぬと言うのなら、こちらにも考えがある

 男は懐から石を取り出し、それを空高く掲げた。

月光の下に晒されて黒光りする石を見て、リセルは目を見開いた。

リセル

それは……ダークネスオニキス!

 その言葉に驚いたルディアが、リセルの方へ振り向く。

ルディア

あの……闇属性の魔力を蓄えるという魔法石?!

リセル

ああ。
闇属性の魔法の使い手というのなら、あの守りが強固な城壁を越えてこられたのも納得できる

リセル

(闇属性をもつ人間の存在すは知っていたが、実物を見るのは初めてだ……)

 男は魔法石を掲げたまま、口元を“ニヤリ”と歪めた。

そんなことを話している余裕があるのか?
リセル、お前は光属性だ。
光属性の魔力は、日光の下でしか蓄えられないはず。
お前にとって圧倒的に不利な状況というのをわかっているのか?

 名を呼ばれ、リセルに更に緊張が走った。

リセル

なぜ僕の名前を知っている?
お前は何者だ?
名を名乗れ!

名を……?

リセル

お前にも名前くらいあるだろう?

名を聞かれるのは初めてだ。
そうだな、俺は……クロノス、とでも名乗っておこうか

 この世界では、魔物は名を持たぬという。

この男が名を持たぬのは、異形の者であるからに違いない。

ローブで顔を隠しているのがそれを物語っている。

ルディア

(恐らくは……)

 皆に忌み嫌われる闇属性を持つ魔物が、光属性を持つリセルを妬み、命を狙いに来たのであろう。

ルディア

(リセル様を護らねば!)

 そのように思考を巡らせたルディアは、剣を振りかざしてクロノスに斬りかかった。

やああああっ!!

 ルディアが剣を降り下ろすと同時に、閃光が放たれる。

一瞬にしてクロノスは闇の魔法陣を作り出し、それを盾として剣を弾き返したのだ。

その衝撃で後退しながらも、ルディアは驚愕していた。

ルディア

魔法の発動が速すぎる……!
しかも物理攻撃を防いだ!?

こんなもの取るに足らん。
お前は、確か……ルディアといったな。
痛い目を見たくなければそこを退け

ルディア

私の名前まで知っているだと……?
敵国のスパイか!?
貴様の正体を明かせ!

……わからない女だな

 クロノスは再び魔法陣を出し、そこに緑の光を宿らせた。

するとクロノスを中心として強風が吹き荒ぶ。

それにリセルは目を見開き、叫んだ。

リセル

あれはグリーンフローライトによる風の魔法!
危ない!!

 次の瞬間、ルディアの身体は遥か後方へと吹き飛ばされていた。

キャアアアッッ!!

 リセルは直ぐ様にルディアのもとへ駆け寄り、半身を抱え起こす。

リセル

ルディア!

ルディア

…………

 しかしルディアは目を閉じたまま、返事をしなかった。

第3章へ続く

第3章 月光より出ずる闇

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