今日は妻と義母と私の三人で墓参りだ。

 いつもと同じ道を車で上がり、いつもと同じ寺の駐車場に止める。いつもの自販機でお供えをする飲み物を二本買い、いつもと同じ坂を上る。

住職の奥さん

こんにちわ。

義母

こんにちわ。

こんにちわぁ。

ナンチャイ

こんにちわっす。

 この寺の住職の奥さん。とても爽やかで明るく清々しい。その若くて綺麗な奥さんとすれ違うのもいつもの風景だ。

今日は静かやなぁ。

義母

まぁ、お盆でも
お彼岸でもないどすから。

 なんでもない会話をしながら急な坂を上がる。

 この寺の一番上と言ってよい場所に墓はある。毎回坂を上がるのは良い運動になる。

 そしていつものように墓掃除を始める。和気あいあいとした雰囲気で掃除が終わり、後はお供えをして手を合わせるだけだ。

義母

あら?
お供えに買った
ミルクティがないどすえ?

えっ!?
お母ちゃんが取って
くれたんちゃうのん?

義母

お母はんは知らしまへん。

ナンチャイ

これは取り忘れたな。

アタシあの時、
取られへんかったやん。

義母

そんなん言うたかて
あんさんがいつも
取っとりまっしゃろ。

 不穏な空気が流れてくる。つまらない事で喧嘩になるのはよろしくない。

ナンチャイ

まぁまぁ、
もうしょうがないよ。
帰りに取りましょう。
流石に往復するのはキツイし……

 丸く収まってくれ。そんな思いが私の胸の内を占拠していた。

義母

勿体ないねぇ。

そんなん言うねんやったら
取りに行ってくるわ。

 おいおいおい、熱いな、熱すぎる。もういいじゃないか、ミルクティ一本くらいで。こんなクソ熱いのにこの坂道往復とかないでしょ。

ナンチャイ

まぁまぁそう熱くならずに。
戻っておいでよ。

ふ~。

 良かった。本当に坂道を下ろうと、ダッシュし掛けていた妻を止める事に成功した。まだ、怒りの火種は残っていそうだが、ここから収束させればよい。

義母

ほんなら、
手ぇ合わせましょか。

そうしよ。

 ほ。ピンチだったが、どうやら事なきを得たようだ。人生ピンチな時ほど冷静さを欠いてはいけない、と、どこかに書いてたのを読んだ記憶が、いや、誰かに言われたのか? 誰だ? ん? いや、もうどうでもいい。早く手を合わせよう。

義母

せやけど勿体ないなぁ。
折角買ったのに……

 手を合わす直前、義母が妻の怒りの火種に炎を焚きつけた。すぺぺぺぺぺぺぺぺ! 何故にぶり返すことをば!!

もう、ええわっ!!
取ってくる!!

 あっという間に坂の下に小さくなっていく妻を見て、私は想像してしまった。

 これだけの坂を往復して、万が一にもミルクティが無かったら……。

 恐ろしい……。多分私は関係ないけど、飛び火が降り注いできそう、いや降り注いでくる。オーマイゴッド。嫌だ。私は平和に墓参りがしたいだけだ。

ナンチャイ

あれでなくなってたら
まずいですねぇ。

義母

そうどすなぁ。

義母

せやけど、今日は人も
少ない事やしよし
多分大丈夫ちゃいますもす
どすかいな。

ナンチャイ

そうだといいですねぇ。

 娘を怒らせてしまった動揺から、口がもつれる義母だが、そんな事を突っ込んでいる場合ではない。

ナンチャイ

ん?

 いや待て、そんな事より恐ろしい事がある!


 私は終始この件に関してはノータッチだが、あの工程でミスをしていればとんでもない事になる。



 そう! 実は取り忘れたのでなく、カバンの中にある。これ! これが最悪の結果。既に怒りの権化と化した妻に、そんな事がしれたら……。クソ暑い中、修行のような坂道ダッシュがまるで無意味と知ったら……。

恐ろしい、想像するだけで身の毛が七三になる。

 まぁ、何にせよ、義母にカバンの中をもう一度改めて探してもらおう。

ナンチャイ

お義母さん、今思えば
カバンの中に実はあった、
なんて事はないですよね?

義母

もう一回見ときましょか?

ナンチャイ

最悪、
ここにあったら、
捨てましょう。

 ああっ!! 私は何という事を!! 妻の怒りを恐れるあまりお供えものとして買ったミルクティを捨てろだなんて! 罰当たりすぎる!!

 はっ!!!

義母

…………

 いやぁぁぁぁぁぁ!! じっとりとした視線が痛いぃぃ。二次災害、玉突き事故、早速巻き込まれた感満載のマイナス点。

 確かに私の失言だった。ご先祖様にと買ったお供え物を捨てろだなんて、あってはならぬ暴言。しかし落ち度は確かにあるが、巻き込まれた事も事実だ。

 いや、そんな事を言っても始まらない。今はミルクティの真実(←大層なw)を暴くのが先決だ。

義母

やっぱりあらしまへんなぁ。

ナンチャイ

そ、そうですかぁ……。

 うむ、それなら自販機の中にあるかもしれない。自爆を誘引した危惧だったが、最悪の事態は免れた。ならば、あとはミルクティが残っているのを祈るばかりだ。

ナンチャイ

おっ!

 坂の下の遠景に、妻のダッシュする姿が見えてきた。一か月後に試合を控えた格闘選手がトレーニングしているのかと見まがうばかりのダッシュ。見ているだけで暑くなるその姿は、段々と大きくなって想像以上の速さで戻ってきたのだ。

手には……















ミルクティが…………




























ない!

ヤバスペ、
スペペペぺぺぺぺぺ!

妻の機嫌が

マキシマムボルテージ!

ホットでヒートで

地獄の底でデスメタル!

ナンチャイ

投了です。

 あっさり敗北宣言する私の魂。そもそも魂とは一体何なのか? 量子脳理論と素領域理論の観点や、霊視力と人間の未知なる力から考察すると、我々が魂と呼んでいる存在の正体が……

 はっ!!

 危うく現実逃避してしまうところだった。ん?

なかったわ。
もうしゃあないな。

 爽やか。健康的な汗は身体を快活にして心まで健やかにしたんだ。素晴らしい。いや、素っ晴らしい(スッパラシイ)。

 無事に終わった。墓場で無事って、B級ゾンビ映画かよって頭によぎったが、兎に角終わった。

 寺の事務所の前にある鐘を鳴らすのもいつもの事だ。あんまり鳴らすのも迷惑なんで、妻が代表で鳴らす。鐘の音に心地良いものを覚え、帰路に着く。

ナンチャイ

ん?

住職の奥さん

ゴキュ!
ゴキュン!
ゴキュッ!!

 事務所の奥の方で、住職の奥さんがミルクティ飲んでました。

第一話 『忘れ去られたミルクティ』

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