何てことはない。



 この世界に不要な人間が消えたって、大したことではない。




 山本賢誠……ーー両親に、誠に賢い子供になってほしいと願ってつけられたその名前の通り、リスの頬袋に食べ物を詰めるかごとく知識をむさぼる子供に育った。


 天才という訳じゃないが、本が友達、もしくは本の虫という名前がぴったりの人間に育った。




 しかも、本というのは……ーー残念なことに、ヲタク系統のものが大半だった。




 漫画本やライトノベルといった類いを読みふける毎日。時には読みたいからという理由で学校を休むことさえ、ちょっとあった。


 加えてオカルトにも興味があり、気になる本があれば買う始末。誠に賢い人間に育ってほしいと願いはしたが、さすがに大量の蔵書を見れば両親も呆れて売るようにいうぐらいだった。





 そんなヲタクに友達がいるかといえばその数は、ほんの一握り。


 それでも、友達が数人居れば十分だった賢誠は、高校時代に分岐点を迎える。



 友達と一緒に通おうと決めていた高校に落ちたのだ……――友達の方が。

 それから二次募集に受かった友人はそっちに行ってしまい、賢誠は一人ポツリと入学。



 そこで遺憾なく付き合いベタを発揮した賢誠は瞬く間に花の高校時代を漫画とライトノベル、そしてオカルトに加えて、図書室の本を手に握り駆け抜けていった。



 そんな賢誠も大学受験を控えることになった高校三年の春……――桜の並木道の下が通学路だった賢誠は押しボタンを押して横断歩道を青に変えた。








 いつも通りだったはずのその日。


 毎日のように、規則正しいほどに、ボタンを押して横断歩道の信号を青に変えて渡っていた賢誠の元に……――トラックが、賢誠と信号を無視。




































けたたましく、甲高く。

トラックのブレーキは嘶きをあげた。











































 真っ黒い世界だ。辺りには何もない……ーー。






 そうかと思っていたら、視界の先に白い小さな穴が見えた。身体は、その穴に向かって落ちているみたいだ。どちらかというと、長い滑り台をひたすら滑っているような気がする。



 どんどん穴は大きくなる。


 それは、黒い紙に穴を開けたら二枚目がしろだったかのような。その穴から光が差し込んでいるようには見えなかった。




 すすす、と穴の目の前で身体が止まった。


 座っている状態から、賢誠は何が何だかよくわからないまま這って顔をそぉっと出してみた。
































本……ーー?








 まるで、本が空中に納品されているかのように、浮いている。


 辺りに散らばって、自由に飛んでいる本もある。


 中には開いたページから、文章がこぼれ落ちていた。紙に印字された文章が、張り付いたそのページから逃げ出そうとしているように。文字列が反り返っていた。




 何となく、その奇っ怪な本に触れてみた。
 ページから抜け出たように浮いていて文章。文章が抜けてしまった部分は、案の定というべきか空白になっていた。




 反り返っている、文字は。

……『想像』して『創造』する。『思考』して『施行』する……





































『想像』して『創造』する。


『思考』して『施行』する。




魂が具現化したもの……ーー


それは、『人具』と呼ぶ。



 

























 何のことだか、サッパリだ。



 インクで印字されているはずの文字は固形物と化している感触を指で触れながら、その文章をページに押し付けてみた。



 じわ、と指先で溶けた。まるで指先にバターがついたみたいに。そんな感覚で、文章が戻った。


 不可思議な現象を証明するかのように指先を外してみれば、文字はページに戻っていた。





お前、私を知っているのか?






 はた、と穏やかの男の声がして賢誠は振り向いた。


 そこには、黒髪美人の中性的な顔立ちをしている人間だ。



 髪の毛は綺麗に真っ直ぐ切り揃えられていて、腰を越えても尻を覆うぐらいに長い。




 彼か彼女か表現に困るその人間が纏っている着物は下方になるにつれて深い青のグラデーションは夕闇を見事に演出しているような逸品だった。下方は星を縫い込んだかのように黄金がキラキラと光っていた。その輝きは、金糸や銀糸とは違う。何かが反射して光っているというより、自ら発光しているような光だった。



 そんな変わった着物をそれをだらしなく着崩している。はだけた胸元はちなみにしっかり筋肉がついていた。浮きだった鎖骨が細身の彼をさらに痩身に見せていた。





 この姿、見たことがある。


 随分前に嵌まったソーシャルネットゲームに出てきた『天之御中主神』と全く造形も何もかもが同じように思える。何せ、もう最近はやっていないから完全に覚えている訳じゃない。




 そんな人間は、不思議そうに自分の手を見たり、着物をひっくり返したり、くるりとその場で身を回転させた。


 髪の毛や着物が、円を描いてフワリと踊った。





 天之御中主神とそっくりな人間は、パタパタと賢誠の元へやって来た。







お前、私のことを知っているのか?

いえ、知りません









 似ているキャラクターは知ってるけど、と言葉を飲み込んだが、人間の方は「そんなはずはない」と、何故か断言した。



私は、天之御中主神だ。

お前、天之御中主神を知っているだろう?

確かに、知ってますけど……ーー











 日本神話の宇宙を創造せし、日本神の至高神。



 元より文献もあまり残されておらず影は薄いが、日本創成神として名高い伊耶那岐(いざなぎ)や伊耶那美(いざなみ)の親でもある神だ。


 高御産巣日神(たかみむすびのかみ)と神産巣日神(かみむすびのかみ)が同じ造化三神、他にもあと二人を加えて別天津神(ことあまつかみ)と呼ばれる特別な神様達だ。




 彼らは現れて世界を作ると、すぐに隠れてしまった。







ほら。お前はやっぱり、私を知っている!







 コスプレイヤーか。成りきってる最中か……ーーて、そんな覚えはない。


 賢誠の記憶は登校中のトラックに跳ねられて終わった。決してコミックマーケットに行く途中ではない。嬉々として出掛ける部類ではあるが。




 もしかして、まだ生きているのか……?



 と、今さら賢誠は天之御中主神になりきっているコスプレイヤーを見上げているということに気づいた。





 視界が、異様に低い。



 ふっと手を見下ろして賢誠は驚愕した。自分の手が子供のように小さかった。今度は賢誠が自分の姿に驚く番だった。



 足は小さい。靴なんかキッズサイズのものを履いてそうな小ささだ。くるりと回ってみても、なんだか地面が近いような気がする。




 今、鏡を用意する、天之御中主神は姿見をどこからともなく出してきた。そこに写し出された自分の姿に賢誠は、この三分以内で二度目の驚愕を体験する。





ちっちゃい! 子供になってる!?

? 四歳児だろう?

ボクは十八です!







 本当に四歳児ぐらいの小ささだ。


 天之御中主神の膝丈ぐらいの身長しかなさそうなほどに小さかった。


 姿見が、なんの前触れもなしに消えた。それは、瞬間移動でもしたようにパッと消えてしまったのだが、賢誠はそれどころじゃなかった。






え、えっと……あれ?

おかしいな。さっきまで、兄さんと……――て、違う!

ボク一人っ子……――あ、あれ!? どうなってるの!?








 なんだか記憶がゴチャゴチャだ。



 さっきまで兄の赤石刀弥と河原で剣術に励んでいた……――というか、無理矢理連れていかれたのだ。



 でも、賢誠には兄がいない……――十八の自分には、兄がいないはずなのだ。兄弟は居なかった。






あぁ、落ち着きなさい。お前の『魄(ぱく)』からまだ記憶が消えてないんだ……――そうか、四歳だから……







 神妙な面持ちになる天之御中主神に「四歳四歳って言わないでくれますか!?」と賢誠は怒鳴り付けた。



 普段であれば小心者の賢誠は言い返すなどなんとなく怖くてできない……ーー。



 怒らせてしまっただろうか。瞬時に過った不安は目を見開いて賢誠を凝視している天之御中主神と名乗った男の前で掻き消えてしまった。


 星空を閉じ込めたかのようなラピスラズリの瞳が、あまりにも喫驚の光を爛々と放っていたからだ。


 賢誠の前で膝を折った。






お前に頼みたいことがある。どうか私の願いを聞いてくれ……――お前の記憶がまだ魄(ぱく)』に残っているうちに!






 切羽詰まったように声を張り上げた。
 


































 魂(たましい)は、二つで構成されている。


 それが『魂(こん)』と『魄』だ。



 魂(こん)の方は、主に魔力を生成する力を担う。丸い魂(たましい)の、三分の二ぐらいの量だ。とくに肉体と直接的な関係のあるモノだ。

 肉体から魔力を得て補填する、また魂(こん)から魔力を放出する。それを繰り返す役割を担っている。



 一方で魄は魂(たましい)の残り三分の一。人間の肉体に深く根付いている。死ぬ以外で剥がれることはまず無い。
 魄は魂(こん)からとくに、記憶を受けとる。肉体が得た経験の中でも強烈なモノや思い出深いモノは魄に刻まれる。

 時折、魂だけが飛んでいく幽体離脱という現象がある。その時、身体に戻るための道標ともなるのが魄だ。






お前、輪廻転生を知っているな?

はい。魂が生まれ変わるって感じの








 行ったことも、見たことも、会ったこともないはずの人間のことをとても細かく知っている子供がいる。



 それは前世の記憶があって、それが残ってしまっている状態だ。だから言い当てられることがある。それは生まれ変わりだと言われる輪廻転生だ。






その通りだが、もう少し詳しく話そう









 死ぬということは生まれ変わるための旅立ちだとも言われている。


 死するとあの世に魂(たましい)は昇り、人によっては罪過を改めるべく地獄へ落ち、輪廻転生への道を辿る天国で魂(たましい)が持つ記憶を浄化する。



 浄化するというのは俗世で溜まったモノを綺麗サッパリ払ってしまうということだ。


 それは主に、魂(たましい)に刻まれた記憶を消していくこと。






 特に魄は記憶を溜める。その魄から記憶を消すのが天国で行うこと。長い年月をかけてその知識を消していく。ほんの数十年で浄化させることが出来る者もいれば、深い記憶で消すことに百年を越える時間を有する人間もいる。





なんで、そんなことをするんですか?

記憶を残したままでも良いんじゃないですか?

いや、良くないよ。それは新たな肉体に転生しているだけで不老不死と同じだ。

知らねば良いことも知ったままでは、生きることが億劫になっていく。

そしていずれは絶望するだろう。

それに記憶は消しておかないとね、転生した時に自身という存在に矛盾が生じるんだ。

それはもちろん、消えてなくなってしまうであろう記憶なら残してあげられるけれども、あまりにも色濃い記憶は『我』の分裂を産み出す。


それは苦悩となる……ーーあるいは前世が今世の魂の記憶を侵食して奪い取ることもある……ーーお前だって今、自分の存在に矛盾が生じて困惑しただろう?







 全くその通りだった。十八からいきなり四歳になった感じだ。


 だが今は、四歳だ、と天之御中主に改めて教えられると、それに首を縦に振った。





じゃあ、もしかして。今のボクの記憶って、いずれは……ーー

あぁ。いずれは成長するにつれて消えてしまうだろうが、異世界でお前が生きていた頃の記憶がまだ魄に残っているようだ……ーーだから、この世界では存在していないはずの私がここに在れる。お前が、魄に私のことを残してくれていたからだ……ーー感謝する








 天之御中主は微笑みながら賢誠の頭を撫でた。


 やめろ、という意味を込めてやんわりとその手を賢誠は剥がした。





意味が分からないですよ。

どうして、覚えている人がいないと存在できないんですか?

神様は、神様でしょう?






 白い世界に飛び交う本の蝶々達。


 本の虫、というのは嫌な表現ではないのかもしれない。本がパタパタと飛んでいる様を見ていると、その本を読んでいる人間は虫と呼ばれてもおかしくないように思えてくる。




いや。神とて完全無欠ではない。人間と神は、存在の仕方が違う……――








 天之御中主神がはっとしたように顔を上げた。



 じーっと白いだけの天井を見上げて、数秒後、賢誠に向き合う。





お前の兄が呼んでいる。お前の意識が覚めてしまう……――お前に、頼みたいことがある







 神妙な面持ちで詰め寄ってきた天之御中主神と名乗る人間に、賢誠はなんでしょうか、と気迫に押されて答えた。



 天之御中主神は、そっと手を握る。





私と契約してほしい

なんの契約ですか……

何でも良い。
とにかく、私の存在をお前の中から消さないための契約だ。

お前がいなくては、今の私はこうやって在ることすら叶わない

……何がなんだかサッパリです……――

この世界に、天之御中主神はいないのだ。

文献すら残っていない……――信仰の要たる神社さえないのだ

え?

天之御中主神の神社がないんですか?

天之御中主神を奉ってる神社が一つも?

それは何で……――







 結局、意味が分からない。賢誠が生きていた世界には十ヶ所ぐらいあったように朧気ながら記憶している。


 何より、天之御中主神の紋章は他のモノと違って、格好良い紋章なのだ。


 その真摯な眼差しからもすごく真剣なのは分かるが、賢誠には意味が分からない。




 賢誠の肩を掴むと、額に接吻を落とす。
 柔らかい感触の後、額がキラリと輝いた。それだけは分かった。




魂の契約だ……――縁を結ぶ契約。今の私にできるのはここまでのようだ







 フワリと身体が浮かび上がる。


 すーっと、掃除機にでも吸い込まれているかのように背中から天井へどんどん上昇していった。その体には体重という概念が存在しないように、フワリと浮いていた。


 絶叫マシーンに乗って足をブラブラさせていても人間の持つ重さを感じるが、それさえもなかった。



あ、あの! 天之御中主さん? ボク、このあと何すれば良いんですか!?







 大声で訴えると、顔をただ上向けて見送っていただけの天之御中主は何故だかみるみるうちにその瞳を大きく見開いて、凛と輝かせた。




川の中に河童がいる!

はい!?

河童がいる! とにかく、河童がいるからついていきなさい!

河童ぁ!?







 途端、世界が真っ黒に染まった。


 否。黒いところに吸い込まれた。賢誠の眼前に突如出現した白い穴が、どんどん遠ざかっていく……ーー。 























大事なのは、想像力だ


























 必死極まる天之御中主の声が、賢誠の耳に届く。

















『想像』して『創造』する。


『思考』して『施行』する。





魂が具現化したもの。

それを『人具』と呼ぶ。





その魂の前世に深い縁のあったものが、
その姿を取って具現する。





人具……ーー
それは、神でいう『神具』に同じである。











人具は、己の分身。



己の人具を信頼せよ。




それは
己を信ずることと
同意義である



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