03 心のあり方 それで変わることもある
03 心のあり方 それで変わることもある
どこへ行かれるのですか恵さん。
あたしがどこ行こうが勝手でしょ……
玄関先。靴を履くあたしに、背中から声。あさってを向きながら答える。
(あれからいろいろ試したけど、全然出ていってくれないんだから……あたしの方が根負けするわ。)
とりあえず追い出すのは諦めたけど、だからって心まで許せたわけじゃない。
(出ていってくれないなら、あたしがどこかに行くしかないジャン……)
夜のお散歩は危険ですよ……エイミは心配です。
大きなお世話よ。心配なんかいらない。
この家の世話が役目ってんなら勝手にしてくれたらいいけど、あたしには関わらないで。あたしに、踏み込んで来ないで。
夜の公園の、滑り台の一番上。そっと腰をおろす。滑り落ちるか落ちないかの絶妙な位置。誰かに押されたら、滑り落ちちゃうかも。
ゆらゆら。ゆらゆら。
不安定なあたしには、不安定な場所がちょうどいいのよ。ゆらーー
お嬢ちゃん。
心臓が止まるかと思った……
夜の一人歩きは感心しねえな。どんな変人と遭遇するかわからねえぜ?
それだと、おじさんだってその一人になっちゃうよ。
おじさんは紳士だからいいの! でも他の人はそんなことないの! 騙されちゃだめ!
このおじさんはこの公園を根城にしてるホームレスさん。何回か会って話したことがある。
(どうしてかな。あたしの場合、全然関係ない人の方が自然に話せるみたい。)
今日はどうした? 眉間に人が殺せるくらいのシワが寄ってんぜ。 それを見たおじちゃん、ショックのあまり死亡! ヤバい!
人が殺せるシワって何よ。
フン、どうせあたしは……
色々起きて、単に不機嫌になってるだけだよ。気にしないで。
か~んじょ~おに揺り動かされるなら~
た~だ委ね 従っていき~ろ~♪
うーい、ノッてきた! 2番、行きます!
あーてーのない~♪
あたし帰るわ……
あばよおじさん。美声は滑り台に聞かせてやってくれ。
とぼとぼと路地を歩く。自分の足音が、闇に響く。夕方まで降っていた雨が残る地面の上をコツコツと。時折、ピシャリと水をはねる音が交じる。
(帰らなきゃ……居場所なんて無いけど。)
どこにもいけない。あたしは――
できることと言ったら、こうやって拗ねたフリして出歩くことくらい。
……ちっちゃな子供みたい。おばか。
(でも、このままずっと暗闇の中を歩いてたら……どこか知らない所に紛れ込んで、フッと見えなくなって。誰にも気づかれずいなくなったりして。なんてね。)
コツコツ コツコツ コツココツツ
……?
聞えるのは、あたしの足音。でも、今なにか違和感があった。
コツコツ ココツツコツコツ ココツツ
……!
(足音、もう一つ聞える!)
つけられてる!?
(……いや、待てよ待てよ。方向が同じってだけかもしれないし。ちょっと立ち止まって、先に行ってもらおうか。)
・・・・・・ ・・・・・・
……!
(動かない!?)
あたしは怖くなって、走りだした。カッカッカッ ガッガッガッ 足音もついてくる!! やだ、助けて……!
(あたし、何でこんな時間に外を歩いてるんだろう。何で、家から少し離れた公園なんて選んだんだろう……!)
ピシャッ 水たまりを踏んで、泥が跳ね上がる。スカートにかかった感触。ああきっと洗濯大変だな――
その時、前方から人影……!
(ひっ……! まわりこまれたの? 違う、別の人。挟まれた!)
もうダメ!
恵さ~ん、あまり遠くまで出回られると迷子になってしまいますよぉ。
あんたかよ! 驚かさないでよ。こっちが、どれだけ大変な目にあったと……!
人影の正体に、そっと胸をなでおろした。悔しいけど、今はこいつに会えて安心してしまった。
これで怪しげな足音も――
(嘘でしょ……!?)
立ち止まったのは一瞬のこと。むしろスピードを上げて突っ込んでくる足音。そして、ああ、もう暗闇の中でも見える。刃物を振り回すそいつは、紛れもない変質者。
ううおおおおおお!
包丁を掲げてあの方はどうしたのですか。屋外での刃物持ち出しは銃刀法に触れる可能性がありますよ。
のんきか! そんな事言ってる間に傷つけられる! 逃げなきゃ……!
恵さんを傷つける? それは――認められない。そして、今更逃げる時間もない――ならば、エイミは動かなければならない。
人形は、あたしの前に身を差し入れた。危ない……! どうするつもり!? 彼女は、手を精一杯突き出すと、
うおおおおおあああ!
――――――
――――――!?
包丁は、確かに刺さった。人形の手を貫通し。切っ先が手の甲でピィィンと震える。だが、肉とは違うその感触に、変質者の動きが一瞬止まり、包丁は地面に落ちた。カランカラン、包丁の転がる音がする。
エイミには戦う機能はございません。このまま押し切られたら壊されてしまう。でも、あなたを退けることなら―――
ミュージック・スタート――
エナメル・ベルベルド「反逆の食卓」
バリバリのデスメタル が、大音声で流れ出す。
音の出処は、人形の頭部に2つ備わる、猫の耳のような形状をしたスピーカーから。とても大きな音が出そうにないそれは、コンサートもかくやという音量で音楽を流していた。
――――
おい! やかましいぞ! 何時だと思ってんだ! ……あっ 事件!?
近所の家々の窓から次々と住人が顔を出す。
まずい……!
最近世間を騒がせてる通り魔ってのはテメーか! おまわりさーん!
変質者は駆け出す。だけど住人の連携は大したもの。右と左、退路を塞ぎ、二人が腕を、一人が体を押さえ、変質者を取り押さえた。
やったぜー! これで安心して眠れる!
恵さん、今のうちに退避しましょう。
あっ……
警察が来ると色々と調書が大変ですよ。
あたしの手を取って、そっとかけ出す。穴の空いた手。表面の薄い金属の中に、よくわからない配線や管が見えて。そのうち幾つかは、切れてしまっている。
(あたしのせいで傷つけてしまった、手――)
…………
やっと、ついた……ううう、うう、うっ……
(震えとまんない。何で……!)
一歩間違えたら路地で殺されてた……! 今になって、急に――
怖い……怖い怖い……!
――――――
寒い、寒い、寒―――!?
あっ――
静かな抱擁。背中から胸に腕が回される。
怖い目にあわせてしまいました。ごめんなさい。あの時、エイミが強引にでも引き止めていれば。
……なんであんたが。何で、エイミさんが謝るのよ。悪いのはあたしじゃない……
そう、何で。ずっと喧嘩腰で、言うことも聞かないあたしを、何で。
(こんなの、真似事ジャン。人間じゃない。人形に抱きしめられたって……)
体温は感じない。匂いだって、電子機器みたいな変な匂い。その言葉も、全部プログラム。
なのに。
なのに、何で、暖かいんだろう――
心が、鎮まっていくんだろう――
理解が、出来ない――
(あたしが、ぬくもりを求めたから……
あたしの、あたしが……?)
ああ、そうか。
(あたしの、心の持ちようなんだ……)
エイミさん……突っかかって、ごめんさい。その、助けてくれてありがとう……
……どういたしまして。
言えた。感謝の気持ち。表情は、まだこわばってたけど。
そんなあたしを、エイミさんは笑うでもなく受け止めてくれた。
(あたしが受け入れれば、エイミさんはこんなにもあたしを助けてくれる。)
ううん、エイミさんだけじゃない。きっと他のヘルパーさんもみんなそうだった。あたしが閉じこもってただけ。
(これからはもう少しうまくやれるよね……? 母さん、あたしもう少し頑張ってみるよ。)
続く……