緒多 悠十

なんだ……これ……。

先ほどまで監禁されていた暗い空間を抜け出し、刺すような光の痛みが消えたオレの眼前には。



異様としか形容しようがない光景が広がっていた。







それは「鍵」であった。
確かに「鍵」の形を成しているように見えた。

しかし。


その大きさは3メートルをゆうに超えており、到底、それはまっとうな鍵であるようには思えなかった。


さらに不可思議なのは鍵のアイデンティティといえるブレードの形が目まぐるしく変形しているのだ。


まるで金属質の生き物のように。



カシャン、カシャン



と、音を立てながらその“型”を遷移させている姿はまさに不可思議としか表現しようがないし、驚きを禁じ得ない。

そしてもう一つの異様さというのは、その周辺に設置されている装置のようなものたちだった。

縦2メートル、横1メートルほどのカプセルのような物が12個、鍵を取り囲むように配置されている。



さながら、怪しげなカルト宗教の儀式のように。




オレは一番近い位置にあったカプセルを覗き込んで凍りついた。





裸の男、いや、オレとそんなに年齢の変わらない少年が薄ピンクの液体の中で眠るように目を閉じていた。



衝撃のあまり脚の力が抜け、その場で崩れ落ちる。






これはなんだ。



オレはもう一度声に出さず、誰にでもなく、問うた。だが、もう本当は答えが出ているようなものだと気づく。



実態は何か分からないが、それがどのような能力を持っているかも分からないが、その鍵がどのような名で呼ばれているのかは察しが付いていた。






 

《世界樹(ユグドラシル)の鍵》

ということは、このカプセルに入っている少年は“適合者”ということなのだろうか。


もしそうだとすれば、このカプセルのうちのどれかに……。


オレは衝撃で脱力した脚を奮い立たせ体を起こすと、カプセルの中を次々と覗き込んだ。


そこには様々な人々が収納されていた。


ある者は男性であり、
ある者は女性であり、
ある者は若者であり、
ある者は中年であった。


しかしその全てが例外なく、裸で謎の液体の中で眠るように沈んでいる。




そして最後に確認したカプセルに“その者”はいた。

蘇芳 怜
緒多 悠十

蘇芳……怜……。

蘇芳が今や一糸纏わぬ姿で眠っていた。


その姿は確かに女性であった。




オレは思わず拳を握りしめた。


能見は蘇芳の意思を尊重するでなく。
あるいは蘇芳の心を救うでもなく。

ただ実験のため、私利私欲のために蘇芳の中に心を二つ作り上げようとしたのだ。


それも彼女の母親を利用して。
母親が子どもに愛を与えられない。
そんな悲しい現実は到底快諾できない。

自分の性別をどちらでもないと一人の少女が言う。
そんな悲しい現状など決して了解などできはしない。



ならば、そんな現実や現状などぶち壊してしまおう。オレの記憶がどうなろうと構わない。
オレの周りの人間の記憶がもし今よりもう少しだけましになるなら。



それだけが刻(とき)の罪を犯した咎人ができるせめてもの贖いのはず。

緒多 悠十

クロ。

オレは小さく、だが確かに声を発する。

気づけばまたあの白い空間にオレとクロノスは向かいあって立っていた。

クロノス

はいよ。次は何の用だい、ユウ?

緒多 悠十

これはオレの独り善がりだ。
だからなんの正当性も求めてない。
偽善者と言われたらそれまでもかもしれない。
それでもオレは……。

クロノス

あぁ、分かっているよ。
ワタシにはユウの心の中がそれこそはっきり分かっているさ。
けれど一度は確認する機会を与えるためにいつも聞き返しているんだよ。

本当に刻の代償を払う気があるのか、ってさ。

緒多 悠十

払うよ。
後戻りはできないところまで来ているしな。

クロノス

そうかい。
まぁそう言うだろうとは思っていたけどね?

クロは跪いてオレの左手の人差し指を手に取る。




クロノス

――汝の贖罪の意と偽善の義を貴び、時を歪める指を与えん――

そっとクロノスの唇が触れる。


それとともに元の世界に引き戻される。

眼前には強化ガラスと薄ピンクの液体に隔てられた蘇芳が眠っている。


オレはもっと彼女のことを知りたいと思った。
本心はそれだけなのかもしれない。
ただオレは独りが寂しいのかもしれない。






オレは確かに力が宿ったように思える左手の人差し指をカプセルのカラス部分にあてがう。

突然に、不意に、急に、その奇妙な音が鼓膜を不快に振動させた。


意味が分からなかった。

これは一体なんの音なのだ?



そして何か液体が床に滴るような音が続く。


視界にはガラスに広がる赤い液体が映った。

この液体をなんと言うのか、
忘れていた自分が恐ろしい。







これは――血だ。




血液だった。


そしてその体内循環する液体を、体外に垂れ流しているのは他でもないオレだった。


左肩甲骨あたりから左鎖骨を貫通したらしい銃弾はどこにも見当たらないが、その銃弾が通過した部分からまるで蛇口のように血が流れ出している。





そうか、オレ、撃たれたのか。





そう実感して初めて“痛み”を思い出した。

緒多 悠十

うあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

あぁ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

左鎖骨あたりを押さえながらオレは冷たい床に倒れると、絶叫しながらのたうちまわった。


オレは痛みで汗が身体中から吹き出すのを感じながら眼球を必死に動かして、その銃弾の出処をにらんだ。





そこには先ほど不快な言葉を告げ、オレの前から姿を消した能見だった。

緒多 悠十

て、てめぇ……。

能見 秀星

いや困るんだヨネ、勝手に装置に触れられちゃうとサ。

オレはあの不快な口調と体を貫く痛みで吐きそうになりながら立ち上がろうと足を踏みしめた途端、今度はふくらはぎあたりを銃弾が貫いた。

緒多 悠十

ぐ――あ゛ぁぁぁ!!

喉が裂けるかと思うほどの悲鳴をあげたオレは、また無様にのたうちまわる。

能見 秀星

だから困るんだっていってるじゃないカ。
動かないで欲しいんだヨネ。
君がもし、僕たちに協力してくれるって言ってくれていればこんなことにはならなかったんだけどネ?

つかつかと床を鳴らしながら能見が近づいてくる。

そしてすぐそばまで来ると、オレを見下ろしながら、銃口を頭部に向けた。

緒多 悠十

言ったろ……てめぇらには絶対協力はしねぇってよ。

オレは睨みつけたまま言い返す。



すると能見は固い革靴の底でうつ伏せになったオレの左肩甲骨あたりを思い切り踏みつけた。

能見 秀星

本当に君みたいな馬鹿は何を考えてるか分かんないから嫌いなんダヨ。

馬鹿は馬鹿みたいな顔しながら僕みたいな有能な人間に利用されていればそれでいいのにサ。

オレは痛みのあまり声が出ない。


それをよく思ったのか、能見は楽しそうに踏みつけた足をぐりぐりと捻った。

能見 秀星

おっと、いけないネ。
このままだと殺してしまいそうダヨ。

ふざけた口調でそう言うと能見は足をどけ、気障ったらしく指を二回鳴らした。


するとぞろぞろと暗部の男たちが現れ、オレを十字架のような物にくくり付けた。

能見 秀星

いやぁ、そうするとあたかも贖罪のために処刑されたイエスのようにも見えるネ。

オレは力が入らず、うなだれたように動かない頭の中で思いつく限りの呪いを念じながら、眼球だけを動かして能見を睨んだ。

能見 秀星

そんな怖い顔するなヨ。
じゃあそろそろ彼女を起こそうカナ。

能見は蘇芳が入っている血まみれのカプセルに近づく。


やめろ、と叫ぼうとするが、声帯は思うように動かず、ただ掠れたような音が漏れただけだった。

能見 秀星

しかしまぁあれダネ。
高校生にしては発育の悪い方だとは思っていたけど、これはこれで一興といったところカナ?
こちらも研究に追われていて若い女の裸体を拝める機会というのもそうそうないからネ。

その言葉に動かなかったはずのオレの体が痙攣に近い形で暴れ出した。


オレを十字架に縛っている鎖がガチャガチャと騒ぐ。



こいつは――!!


人の人格をモノか何かと勘違いあいた挙句、実験に参加した蘇芳を視線で犯しているのだ。



そんな男が実験という名のもと彼女の体に指一本でも触れているのが許せなかった。


別にオレが蘇芳のなんであるわけでもない。


それでもこいつのやっている事はオレの最大の憎悪を持って応えずにはいられなかった。

能見 秀星

うるさいナ。
君もすぐに実験に参加させてあげるから静かにしててヨ。

能見がカプセルの操作盤をいじると、カプセル内の液体が排出され、自動で開く。


そして蘇芳を載せたワゴンのような物が自動でオレの目の前まで動いてきた。蘇芳は未だなお眠ったままだ。





起きてくれ、蘇芳。
起きて、走って、そして逃げてくれ。


この鎖を断ち切って、そう叫びたいのに、やはり体は少し痙攣するだけで、声帯も震えてはくれなかった。

能見 秀星

じゃあ実験を始めるヨ。

能見がそう言って、空間の中央にある《世界樹(ユグドラシル)の鍵》に触れる。


すると先ほどまで巨大だった鍵が、小さなブロック状に砕けたかと思うと、それが空中で集合し、小さな、銀色の鍵になった。


チャランという軽やかな音を立てて床に落ちたそれを拾うと能見はオレに近づいてきた。

これはネ。
万物を開く事ができる、そういう物なんダヨ。例えば――。

鍵がオレの右眼にあてがわれる。


痛みはないが柔らかい眼球に鍵が刺さっていくのが分かった。そしてくるりと鍵が180度回転させられ、脳の奥でかちゃりという音がしたような気がした。

能見 秀星

君の中に隠れている、刻の力、とかネ。


 

分離実験―Dividing Plan―(4)

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