雲雀さんが案内してくれたのは五星神社。



 というか、昼休みの途中に学校から引っ張り出されてしまった。


 これでは学校をサボってしまう形になる。
 学校をサボってバイトなんてやっていたら周りから言われてしまう。

 最初は抗議して、別の日まで伸ばしてもらおうと思ったが有無を言わさず連行されてしまった。



 長い石畳の階段を登り切り、古ぼけた鳥居を潜った。

 その先に、社が堂々たる佇まいで鎮座していた。
 こうやって神社にやってくると妙な緊張感が胸に宿る。

 神様が居る所だからかな。



 雲雀さんに連れられるまま、社の傍を通り抜ける。
すぐ横はしっかり剪定されている生垣が覆っていた。ずっと奥へ進んでいくと、木製の門。
 急に、変な緊張感が胸に靄を描いた。もうすぐ家にお邪することになると思うと、すごく逃げ出したい気分になった。


 自分なんかが邪魔して大丈夫なんだろうか。

 その先に、白亜の一戸建てがあった。屋根は藍の瓦で覆われ、縁側まである。



 その奥には家主の趣味なのか庭園があった。花が咲き誇り、青々とした蓮の葉が浮かぶ池には鯉が泳いでいる。

 インターホンは最新式のものらしく、画面とマイク付の黒いものだった。インターホンを除けばいかにも日本建築の家だった。



 雲雀さんはずんずんその家に近づいていくと、インターフォンも押さず、何の躊躇い無しにドアを開け放った。

穂村 繁

家宅侵入になるんじゃ…

雲雀暁夜

入れ

あっ



 開け放たれた玄関の入り口。真っ直ぐ伸びている廊下からひょっこりと顔が出て来た。一瞬見ると生首が傾いてるように見える。


 整った顔をした若い男性だ。

ひょっこりでた顔は穏やかで、あの電話越しに聞いた声の主であると一目で見て分かるほどに優しそうな人だ。



 この人が、あの電話の『神谷』さんだ。



 身体まで姿を現せば、さすが、袴の神官服を纏っていて神々しい。だが、そんな彼はあの穏やかな表情を顰めると足早に玄関までやってきた。

神谷 忍

お帰り、暁夜。この子かい?

雲雀暁夜

家に上がる予定はない。
そして一学年下だ


 雲雀さんは不機嫌を隠そうともせずに言い放つ。
 神谷さんの表情はますます険しくなる。

神谷 忍

暁夜。大丈夫なの?

雲雀暁夜

無事じゃ無いならもんどりうってる。

コイツに道具を貸せ。
それで数倍マシになる

ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ、

雲雀暁夜

優美子様がな

 雲雀さんは結局、神谷さんの家に入ってきた。


 畳が床を覆っている。襖が部屋を仕切るように閉じられ、台所は直接繋がっているようだった。

 居間の中心には木目調の座卓が置かれて、昼食をとっていた途中らしく和食が並んでいた。

神谷 忍

今、片付けるね

穂村 繁

いえ、そんなお気遣いなく……

雲雀暁夜

さっさとしろ



 雲雀さん、格好良いけど何だかヒドイ人だ。


 しかし神谷はさして気にする風もなく、てきぱきと食器を下げていく。台所に姿を消すと陶器のぶつかり合う音が響いたかと思うと、すぐに神谷は煎餅などの菓子手にやってきた。

神谷 忍

今からお茶持ってくるから……

雲雀暁夜

要らない。俺はすぐにでも家に帰る

神谷 忍

ここが、君の家だろ

雲雀暁夜

此処じゃない。学校だ

穂村 繁

生徒会長さん、学校が家だってハッキリ言っちゃった


 手に持った菓子をテーブルに置くと、少し眉を寄せた。

ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ、
ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ、


 さっきから騒いでいる優美子様の存在が見えているように顔を上げた。

神谷 忍

暁夜、優美子さんは、穂村君の傍でずっとこんな感じなの?

雲雀暁夜

邪魔だ消えろって言ってる

 どうやら怨霊様からは心底、俺の存在が居なくなってほしいと思われているようだ。


 しかし、俺が一体何をした?


 俺は正直言えば、今日、あのパワースポットに訪れて暴行を受けただけなんだが、一体何が嫌われる要素になったのか……心当たりは、男らしくないという泣き出しそうな事実だけだ。

雲雀暁夜

クラスメイトらしき学生に邪気を当てて、排除しようとしてた

穂村 繁

神谷 忍

……そうか

 雲雀さんの言葉に、神谷さんはますます綺麗な顔をしかめた。

 いったい、何の話をしているのか知りたいような、知りたくないような。

神谷 忍

で、その子は?
一緒に来てないみたいだけど

雲雀暁夜

どうなっても良いから放っておいた

神谷 忍

こら。優美子さんの霊力は対象者に害を招くんだよ。

怪我でもしたらどうするの?

雲雀暁夜

片恋相手をコイツに取られそうになってるのに、それでも応援している阿呆なんだから怪我で同情誘ってもらえ

 全くもう……。

 そう呆れるように呟く神谷さん。
 俺は、たまらなく不安になって尋ねる。

穂村 繁

あの……聖丘さん、大丈夫なんですか?

その……

 今の会話の流れから察するに、彼に良くないことが起きるのだけは想像がついた。


 殴られて蹴られもしたが、怨霊が絡むことも把握した。そう思うと、なんとなく聖丘さんが何か災難に遭うような状況であることも。

穂村 繁

優美子さんに、何か悪さされるんじゃ……

雲雀暁夜

少なくとも、お前のせいだ

穂村 繁

え?

神谷 忍

こら、暁夜


 雲雀さんは俺を見ることも無く続ける。

雲雀暁夜

そんなふざけた『呪い』に今まで『その程度しか施さないで』生きてきたとか信じられないぐらいに強力だぞ、その呪い

穂村 繁

? 何のことですか……?

雲雀暁夜

殺したくなるぐらい能天気だな。

あるいはとっとと死ねって言いたくなるぐらいの能天気だ。



お前自身は、結局運が良かったってことだろう。

そんなふざけた『呪い』貰って生きてるんだから、『被害に遭ってたのは親戚の方』だな間違いなく

神谷 忍

暁夜!!


 雲雀さんは言うだけ言って、神谷さんを一瞥する。
 そうして、再び口を開く。

雲雀暁夜

『最悪の』『スペシャリスト』だ

 スタスタと居間を出ていってしまった雲雀さん。その後姿を、神谷さんは止めることはしなかった。


 さっきまで、雲雀さんがこの家に帰ってきたことを喜んでいたのに。


 ごめんね、と謝罪して、神谷さんは困ったように眉尻を垂れた。

神谷 忍

──……『呪い』、見せてもらっていいかな?

左腕の

 びくっと体が震えた。


 胸に何かを叩きつけられたように身体が重くなる。



 まだ見せていないし、電話でも、今でもその話はしていない。それにも関わらず、ピンポイントで左腕にあると神谷さんは見抜いた。


 その事実が怖く思えて表情にありありと出てしまったからだろう、神谷はすぐに微笑んだ。

神谷 忍

大丈夫。

私はそれなりに耐性があるからね。
何か害が及ぶとかそういうことはないよ。

まぁ、優美子さんが大騒ぎするかもしれないけど

 ぎしぎしぎしぎしぎし。
 ぎしぎしぎしぎしぎし。

神谷 忍

これから貸してあげる道具が何か良いか判断するのに、やっぱり目視は必要なんだ。

これは、解けない限り、ずっと君とその周囲に害を呼び寄せてしまうだろうから

穂村 繁


 神谷さんは困ったように眉尻を下げた。

神谷 忍

あんまり傷つけないように言葉を選ぼうとしても、結局は暁夜の言うとおりだと思うと歯がゆいね。

これはたぶん『目印』の類だから

 目印……?


 その単語を聞いただけでも、嫌な予感しかしない。

穂村 繁

目印って……

何ですか?

否、

穂村 繁

『何の』目印ですか……?


 俺は、尋ねる。

神谷 忍

『怪異』が君につけた『目印』だよ……――犬で言うと、マーキングかな?

 必ず取って食うと、宣言するような。



 遠くに居ても分かるように、と発信機のような。 




 これほど強力なのは、初めてだ。

 神谷さんは苦々しげに呟く。

神谷 忍

大変だったと思うんだ。

この『呪い』で普通の人と同じ生活は難しかったと思う。

誰かと、一緒にいるのも難しかったと思う


 そんな言葉が、胸の奥にじんわりと染み込んできた。

 今まで、誰かと一緒に居たことなんて無かった。
 学校ではずっと独りだった。クラスメイトの笑い声を、遠くから羨ましいと聞いているだけだった。




 上手く喋れないのと、喋ろうとしている時に幽霊とかから邪魔が入ったりと、今まで友達と話すなんて、あんまりしたことが無かった。




 学期末に渡される通信簿でも、先生の評価は『大人しく真面目で責任感が有る。でも、もう少し友達と一緒に遊んだほうが良い』。









 親戚とも、同じテーブルについてご飯を食べるなんてしたこと無かった。どっちも共働きとか、実子の世話で忙しそうだった。



 食事するなと、言われたこともあったけれど『働かざるもの食うべからず』という格言があるからそれはむしろ当然と言えよう。俺なりに働いた。といっても、家事と朝の新聞配達ぐらいだ。料理はそこそこ出来る。



 カカオ生産のために子供は学校にも行かずにタダ働きだって聞かされた時、自分に出来ないわけがないと思ったのだ。

誰かと、一緒にいるのも難しかったと思う

 
 
 この言葉を聴いた途端、俺の中のつっかえが取れたように、誰が聞いたってどうでも良いことを、神谷さんに喋っていた。わけも分からず嬉しく思えて、ずっとだ。


 クラスメイトが友達と一緒に楽しんでるのを見てて羨ましいと思っていたけど。
 漫画やアニメで見る家族団欒の光景を、羨望の眼差しで見つめていたけど。

 ずっと苦痛だった。




 自分だけ、
どこか仲間外れにされてるみたいで。



 自分だけ、
世界から外れて生きているみたいで。









 ずっと。

 すっきり話し込んでしまって、俺はいよいよ決心がついた。



 左腕を捲り上げていた。相変わらず、青あざと怪我が腕の表面に纏わりついている。



 生傷が絶えないのだ。今日みたいなことは、よくあることだし、学校だけじゃなくて道端で年上の目についてしまったとか。



 神谷さんはほんの一瞬だけ、眉間に皺を寄せた。

神谷 忍

ちゃんと、怪我の手当てが出来てるんだね。

本当にしっかりしてる

穂村 繁

ちゃんとしないと、通院代かかりますから

神谷 忍

暁夜も見習ってほしい。
あの子は、怪我しても放っておくし、どれだけ酷くても病院にさえ行こうとしないから

穂村 繁

酷いって、どれくらいなんだろうか

 そう思っても、聞くのは憚られた。



 その少し辛そうで悲しそうな表情から、何となく察した。





 神谷さんは、本当に雲雀さんのことを大事に思っているんだろう。でも、雲雀さんは自分の怪我のことなんかどうでも良いのだ。


 誰かが心配してくれていることなんて、どうでも良いのだ。






 俺には、あまり向けられたことのない感情。


 向けられても、受け取ってはいけない感情のような気がしてならない。




 この先、一人で生きていかないといけないのに、その感情を受け取ったら……──優しくて暖かくて、それにずっと甘えてしまいそうだ。

そう



一人で

生きていくためにも

 よくよく自分の腕を捲ってみて気づく。
 なんだか緩い。



 生傷の耐えない自分のモヤシ腕を覆っている白い包帯は、乱雑に巻かれてユルユルだ。あと、肌に貼りついているはずの粘着物の張った感じというか、それも何となく落ちているような気がする。





 俺は、包帯を緩めていく。包帯はとぐろを巻く蛇のように床へ落ちていった。



 完全に剥き終れば、見えてきたのはガムテープとセロテープが貼られている腕。

神谷 忍

……

 ガムテープを上からみっちり張りつけて、その上から大きいセロテープで密封するように防護していたけど、綺麗に貼ってあるはずのそれはやはり、少し皺が寄っていた。



 雲雀さんは、少しがさつらしい。

神谷 忍

それ、ソレを貼ってるのかい?

穂村 繁

はい。ガーゼとか医療用のテープだと、何だか繊維の隙間から漂ってきそうですし……

穂村 繁

でも、ガムテープとセロテープなら安価で済みます。

ゆっくり剥がさないと痛いんですけど、その分、密封されてる感じがするので、こっちの方が安心っていうか……


 いつものようにゆっくり剥がしていく。やっぱりセロテープの粘着力はご健在で剥がすとやっぱり痛かった。

神谷 忍

……痛くないの?

穂村 繁

痛いけど、慣れてますから

 中学に上がってからは、もうずっと貼り続けているので皮膚の薄皮がなく、肉に直接貼ることになっているけど。

穂村 繁

『こっち』の方が怖いから、痛くても平気なんです

 肉を覆うように張り付いていたテープが、引っ張り上げられて剥がれる。その度に皮膚の表面から静電気のようなビリビリとした痛みが全身を這ってくる。



 べたりとしていたものが失って、剥けている肉が舐める空気の方が少し痛い。



 神谷さんが神妙な面持ちで見つめていることに気づかないまま、俺は剥がしていく。後ろで煩さを増している優美子さんのせいで大事な緊張感がじょりじょり削られるけど、今日は先に剥がされているのでいつもよりスムーズだ。

でも、いつ剥がしても。


自分の腕から漂ってくる
『腐臭と鉄錆の匂い』には慣れない。




いや、コレに慣れてしまったら、
本当に人間として終わっているように思える。

ぺり、   

ぺり、      

ぺり。

   ぺり、
ぺり、      

        ぺり。

ぺり、   

ぺり、      

ぺり。

   ぺり、
ぺり、      

        ぺり。





セロテープを
周囲からゆっくり外して、
ガムテープに取り掛かる。



嫌な匂いが強くなって、
眉間に皺を寄せる。





あと、もう少し。

ガムテープが、剥がれる。

穂村 繁

あ、開けます!

神谷 忍

うん。お願い

 神谷さんに促されて、俺は開ける。



 一瞬で、鼻腔の奥を侵食する肉の腐った臭い。それに絡みつく鉄錆の香り。

 腕に開いている、間違いなくぽっかりと開いている黒い『穴』。


 なぜか、昔からあった。
 左腕にぽっかりと、なぜか『開いて』いる。
 『穴』の向こうは深淵の闇が広がっているかのように真っ黒だ。


 でも、この『穴』からなのだ。


 この『穴』から、吐き気がするほどの腐臭と鉄錆の匂いが噴き上がってくる……――まるで、毎日のように誰かを殺して、その血を塗りたくって、腐るまでその死体と一緒に寝ているかのような。



そんな匂いが、

俺の腕に開いている『穴』から

漂ってくる。



 昔は、今ほど気にならなかった。でも匂いのせいでご飯は美味しくなかったし、美味しく作れなかった。成長するにつれて匂いが強くなっていくようで、中学の頃ついに耐え切れなくなった。

 それからだ。
 ずっと、こうしてきた。







神谷 忍

……。



 やっぱり、神谷さんも顔を蒼白させて口元を覆いながら、手際よく俺手製のガムテープ蓋を閉めた。



 血の気が失せるほどに、顔を歪めている神谷さんは、今までずっと息を止めていたかのように上下に肩を揺らした。


神谷 忍

ビックリした……

穂村 繁

ご……ごめんなさい……

神谷 忍

いや、それよりも……ガムテープの裏についてたのって……

穂村 繁


 うん? 見て分からなかったのだろうか?

穂村 繁

粘土ですけど、どうかしましたか?

神谷 忍

粘土……そうか、『土』……

 気持ち悪そうに口元を覆っている神谷さん。



 やっぱり、この『穴』、相当ヤバイものだったらしい……。

神谷 忍

その土、どこから拾ってきてるの?
有名な霊山?

穂村 繁

え? 拾ってません。

買ってます。市販です

神谷 忍

市販!?

 え? すっごくビックリされた。
 何でだろう?

穂村 繁

陶芸用の粘土ですけど……
ホームセンターで売ってる奴です……

神谷 忍

陶芸用……!?

 神谷さんの開いた口が塞がらないご様子だった。

 もっとビックリされているけれど、一体何でだろうか?


 あぁそうか、と俺は目を輝かせる。

穂村 繁

最近新しく買った粘土なんですよ。

ガムテープとセロテープだけじゃなくて、粘土で覆うと匂いがスッゴク抑えられるんです。

何でも新鮮なうちが良いみたいなんですよね。

一回封を開けた粘土だと乾燥させないように密封しても長く持たなくて、すぐ匂いが上がってきちゃうんですよ

神谷 忍

……陰陽五行とか、知ってる?

穂村 繁

安部清明ですか?

詳しくは分からないんですけど……――

雲雀暁夜

どうだ、神谷。
ガムテープの蓋を開けた瞬間の驚愕は


 いつの間にか戻ってきた雲雀さんは居間と廊下の境である戸口に立って俺を睨む。

雲雀暁夜

そして目視で陶芸用の粘土程度で『こんなふざけた呪い』に『封』をしていたコイツのバカさと強運に驚愕した。

さすがの俺でも見た瞬間に顎が本気で外れた

市販ごときの粘土が『封』という作用を発揮するとは現代社会の流通力に心の底から感謝してしまいそうだ

穂村 繁

と、陶芸用でもオーブン用じゃないですよ

穂村 繁

ちょ、ちょっと高い奴です……

雲雀暁夜

色々突っ込みたいことはあるが、まずは優美子が逃げた。

今のうちにこのドアホから完全に剥がしておけ

穂村 繁

な、なんかスゴくけなされてる……

雲雀暁夜

ソレと……――

 雲雀さんはそう言いながら、また居間から姿を消した。


 廊下から、彼の低い声が響く。

雲雀暁夜

病院へ連れてって、そのセロテープに負けた重度の肌荒れを見てもらえ

穂村 繁

それは大丈夫です。
毎日洗って消毒してるので

お気使い無く

 数秒の間だけだけど、雲雀さんの足音が止まった。


 そのあと、俺の耳を微かに打ち付けてきたのは舌打ちだった。

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