緋瀬はもう一度同じ言葉を繰り返した。



オレは何を言い返せばいいのか分からない。


舌が口の中に張り付いたかのように言葉が出ない。




もう嘘をつき通すのは限界なのだ。


そんなこと頭では分かってる。


合理的に考えれば分かることだ。


なのに。
心というやつが、駄々をこねる。


自分が誰かとの繋がりに飢えているのだと――

――今更に悟った。


ずっと孤独を感じていた。

オレに居場所を与えてくれたヒサには感謝をしている。

確かにそれは本当のことだ。それでもヒサは記憶を失う前の“俺”を知らない。

けど、緋瀬は。



初めてを“俺”を知っていると言ってくれた。


人間というのは、欲張りなもので、繋がりを際限なく求めてしまう。

白々しいセリフが口をついた。

自分でも吐き気がするような、そんな罪深い言葉が軽々しく自分の口から出たことに不快感だけが募る。

オレはそのことが分からない。


当たり前だ。

オレと緋瀬の間には何も無いのだから。


もし仮にあったとしてそれは。

“俺”と緋瀬の間のことなのだから。

出てくるはずもない言い訳を探してなんの重みもない言葉が口から漏れた。

覚えていない。
オレは何も覚えていない。


何も。何も。何も。何も。何も。

オレはただ俯いて黙するだけしかできなかった。


ただ緋瀬の瞳に大粒の涙が溜まるのを身動き一つせずにただ見つめることしかできなかった。

そのたった一人の女の子の涙を拭うことも出来ないオレはただただ自分が情けなかった。

緋瀬は残り一口のパンを食べて席を立った。

大量の食べ物が入ったビニール袋をテーブルに残したまま。





オレに緋瀬を止める権利なんてない。
オレに緋瀬に掛ける言葉なんてない。



テラスから出ていく緋瀬の背中がドアの向こうへと消えて行く。

オレにできるのは、それをただ眺めることだけだった。

* * * * *

緋瀬とテラスで別れてから15分後。


オレはCスタジアムの男子更衣室に向かっていた。


正直これから執行演習を楽しくできるような心持ちでもなかったが、だからと言ってどうすることもできないオレは決められた通りに行動するしかない。



彼女には謝らなくてはならない。

きっと、彼女との縁はこれで終わってしまうけれど、しかし、だからと言って謝らなくていいというわけにはいかないだろう。

更衣室に入ると、オレは瑠璃色の学生証を取り出して、「衣服呼出」と書かれた端末にかざした。


すると、端末の下部が開き、中からスーツケースが出てきた。


オレの名前が刻まれているネームプレート付きのそれをロッカーへと持って行って開くと、中には黒いブーツと深紫色の《執行服》が入っていた。

篠原先生が講義中話していたには、「ＭＥＲが戦闘行為を執行する際に着用が義務付けられ、着用者の身体を保護する服装」なんだそうだ。


長袖長ズボンの執行服を纏い、丈夫な黒いブーツに履き替えると、アタッシュケースからＭＩＮＥを取り出した。


パーソナライズを終えてから、もともと銀色で工業的だったＭＩＮＥには黒いデザインが付加され、銀色もより鋭い光を放つほど洗練されていた。



パーソナライズでユーザーのパーソナリティー情報を基にしてデザインがリモデルされるらしい。


最初は無骨で工業製品的なヴィジュアルだったＭＩＮＥは今や一種の芸術品のようにも見える。

ロッカーの向こう側で着替えているらしい2人の男子生徒の会話。



余計に自分の孤独がはっきり感じられてしまう。


オレはやりきれない気持ちを抱えたままロッカーに荷物を押し込んだ。



そういえば蘇芳はまだ来ていないんだろうか。


さっきはろくに話せなかったし、これからチームとして関わっていく以上、仲良くするに越したことはないだろう。


そう思ったのもまた自分の孤独感から逃れようとする心の本音の表れなのかもしれないが。


そんなことを思いながらぼんやりと更衣室のベンチに座っているうちに大分時間が経ち、時計は授業開始7分前を指していた。


オレは憂鬱な気分のままベンチから立ち上がるとCスタジアムへ向かった。

* * * * *

ちょうど授業開始のチャイムがなるとともに篠原先生の一声で500人近くの生徒がCスタジアムの中央付近に整列した。


全員が深紫色の執行服に身を包み、耳にはＭＩＮＥを装着している。


オレのＭＩＮＥがコードを反映して黒いデザインに変わったように、各々のＭＩＮＥのデザインカラーはそれぞれ異なる。


ビビッドピンクの奴もいれば、
ペールトーンの水色のデザインの奴もいる。

同じような色を持っている奴が複数いることだってあるし、誰とも被らない奴もいる。


それは生徒達がそれぞれの様々な精神世界を持つということを意味する一方で、類型化のパターンには限界があるということでもある。


16777216パターンに人間の精神を類型化するということがどういう理屈で行われているのか分からないが、自分の中身を見られているようで少し怖いことのような気もする。

模擬演習という言葉に一瞬生徒たちがざわめくが、篠原先生が咳払いをすると共に静まった。

生徒達の顔が引き締まり、静かになったのを確認した篠原先生は話を続けた。

ベール。

ＭＩＮＥの執行システムが起動されるとともに展開されるユーザーの体を保護する不可視の保護膜。


これによりユーザーに与えられた物理的・熱的・化学的・光学的エネルギーは全てキャンセルされる。

ベールはどんな銃弾も通さず、どんな鋭いナイフでも裂けない。

つまり、ベールに包まれている間、原則的には安全ということになる。


もちろん、例外はある、ということだが。

篠原先生が手元の端末をいじると、空中に様々な武器が投影された。

装備の設計図はマーケットから呼び出すことが可能で、戦闘中に呼び出すか、あらかじめＭＩＮＥのローカルメモリーに保存して置くことができるらしい。


もちろん、ローカルメモリーから呼び出せば、戦闘中にマーケットに接続する手間が省けるので有利だが、キャパ制限があるため、保存しておく武器は慎重に選択する必要があるということになる。

誰も声をあげない。篠原先生は誰も質問する様子がないのを見て投影されていた装備の映像を閉じた。

篠原先生が再び端末を操作すると、大量の名前が空中に投影される。


おそらくオレたちのクラスメートの名前だろう。


赤と青の二つのカーソルがその名前たちを行ったり来たりする。


そのスピードはどんどん遅くなっていき――。













そして。

「緒多 悠十」と「蘇芳 怜」の上で止まったのだった。