走っているだけなのに風が大翔たちの方まで吹いているようだった。止まらないのかと錯覚するようなカベサーダの群れが走り抜けて消えた後も、大翔たちは呆然としてその場に座り込んだままだった。
走っているだけなのに風が大翔たちの方まで吹いているようだった。止まらないのかと錯覚するようなカベサーダの群れが走り抜けて消えた後も、大翔たちは呆然としてその場に座り込んだままだった。
奴ら、一階から出てきたのか?
待ち伏せされとったっちゅうわけか。敵わんわ
だが、それも追い払った。行くぞ
はっとしてそれぞれに声を出す。金縛りのように固まった体を言葉の力を借りて奮い立たせた。
時間がない。さぁ、日常を取り戻そう
なんじゃ、一番ノっとるやないか
眼鏡の位置を直し、一番に立ち上がった光を見て、尊臣は少しだけ頬を膨らませた。
一階へ続く階段を塞いでいたバリケードは跡形もなく消えていた。あの数のカベサーダの蹂躙を受けては残骸すらまともに残っていない。爪で角が削れた階段を一段一段、ゆっくりと降りていく。
夢の中にも関わらず、明るい光がどこでも差し込んでいた教室とは違い、一階の廊下は窓が白いもので覆われて光がほとんど入っていなかった。大翔は武器の先端で窓を覆う白い何かを削り取るように擦ってみるが、高い密度で固まっているのか少し削れただけで薄く光を通している様子は変わらない。
これ、なんだろ?
今さら不思議なことが一つ増えたところで変わりはしないさ
光は大翔の疑問に触れることなく、見えない周囲を見ようと目を凝らしている。
光は気にならないと言ったが、大翔にはこの白く細い何かを新しい変化だと思った。この夢の世界において、現実に存在しないものはカベサーダだけだった。他のものは異質な置かれ方、使われ方をしているものはあっても、現実にも見たことのあるものだったから。
白い何かを大翔はポケットに入れて、目を闇に慣らす。そして足元に注意しながら四人は廊下を進んで校長室を目指した。
部屋の役割を現すネームプレートはそのまま貼られていて、校長室を探し当てるのは簡単だった。その前で同時に立ち止まる。この向こう側に敵の、カベサーダの親玉がいる。それを倒して平穏な夜を取り戻す。四人は顔を見合わせて、互いに頷いた。
行くぞ!
ああ!
尊臣と大翔の二人が鍵のかかった扉に体当たりを仕掛ける。一度、二度。確かな手応えとともに少しずつ扉が緩んでいるのがわかる。そして三度目の挑戦で蝶つがいが根負けして、扉とともに校長室に押し入った。
おら、覚悟せい!
気勢を上げた尊臣にまだ校長室に残っていたカベサーダが二匹、飛びかかってくる。
くそ! まだ残っとったんか!
一匹は持っていた武器で抑えたものの、隙になった左肩にもう一匹カベサーダの爪が刺さった。学生服から赤く滲んだ痛みに尊臣は気取られることなく、拳をカベサーダに打ち付けた。
ナメとったらおえんぞ!
もう一声。それとともに赤みがかった拳をもう一撃打ち付ける。ひるんだカベサーダの頭から垂れた触角を大翔が掴み、すぐにへし折った。
さぁ、かかるぞ
扉のなくなった校長室の入り口から今度は光と乃愛が室内へ駆け込んでくる。尊臣が武器で押さえ込んだカベサーダに乃愛が膝蹴りとともに触角を折りとった。
貴様の命運は尽きた。観念しろ
乃愛の言葉は校長室の一番奥、ゆったりとした大きな椅子にもたれかかって座っている人影に向けられていた。連れていた二匹のカベサーダが目の前で倒れたのを見てもまったく動じない姿に、薄暗さも相まって大翔には幻のようにさえ思える。
貴様、ずいぶんと余裕があるな
痺れを切らして椅子に座ったままの指導者に乃愛が足を向ける。
待って。俺が行きます
それを大翔が制した。あそこに座っているのが指導者であると同時に大翔の知っている人物の可能性は高い。この中学校を知っていてこの四人のうちの誰か、きっと大翔に恨みを持っているかもしれないのだから。
おっしゃ、やったらんかい。神代
うるさい
囃したてる尊臣は勝利を確信しているようだった。それでも不安が拭いきれない大翔は武器を両手でしっかりと握り、一歩ずつ足元の安定を確かめるように進んでいく。
校長室の椅子。卵を割ったような深い座面と背もたれに沈み込むように座っている指導者の姿がようやく大翔にも見えてくる。
黒のセーラーに赤のタイを正面で結んでいる。編んだ髪を肩から胸元に流れて先端を無地のゴムでまとめていた。これは大翔の中学の制服だ。この夢の中にいて、この夢を支配している少女。
瞳を閉じて少しも動かない。大翔が目を凝らして近付いても何の反応も示さない。もう死んでいるのではないかという考えも浮かんでくる。
あ、れ?
その顔を大翔は知っている。
堂、本?
今より少し幼い顔をしているが、間違いなく目の前に座っているのは千早だ。まだ中学を卒業して半年も経たないというのに、こんなに雰囲気が変わったかと思うほど千早は成長している。血の気が引いた顔は白く、薄暗さの中にあって空間に浮かんでいるように見えた。
どうしたんじゃ?
尊臣が大翔に近付こうとして、少し前に聞いた豪雨のような足音が外の廊下に響き始める。
時間切れか。奴らが来るぞ!
扉を立てて抑えるんだ。神代はそいつをどうにかしてくれ
倒れた扉を起こして、外れた外枠に引っ掛ける。三人でカベサーダの軍勢にどのくらい堪えられるかは誰にも予想はつかなかった。