篠原 紀伊

では、講義はここまでだ。
続いて一般演習に移る。

こう言って、「ME濃度指数分析」なるものの説明を終えた篠原先生が電子端末を操作するとオレたちの電子端末に「一般演習」という文字が表示された。

篠原 紀伊

最初にMINEのセッティングを行ってもらう。
これからポッドに設置されている収納ボックスを解錠するので速やかに取り出し、中に本体が一対、パーソナライズシステムが保存されているチップが一枚入っていることを確認するように。

そう言って再び篠原先生が電子端末を操作する。


すると、ポッドの右の部分からプシュ、プシュ、プシュと三回エアー音がし、静かに引き出しのようなものが自動で開いた。


そこに入っていたのは小さい銀色のアタッシュケースだった。


開けてみれば、直径二センチメートルの円盤型の装置が丁寧に収まっている。


取り出して手に持ってみると厚さが3ミリメートル程度しかない割に意外とずっしりとしており、縁には小さくMINEと刻まれている。

篠原 紀伊

これから皆にはパーソナライズをしてもらう。
手順をとしてはチップをMINEに読み込ませ、装着する。
その後、パーソナライズシステムを呼び出せば自動でMINEがオリエンテーションを開始する。
パーソナライズ中は無意識状態になるので、安全のため座って行うように注意しろ。
難しいことではないが、重要な作業だ。
慎重に行うように。
では、各自始めろ。

篠原先生の合図でクラス中の生徒が一斉に作業を始めた。


MINEの中心あたりを軽くタッチすると縁に白い光が灯り、MINEが起動した。


チップをかざすとチップの表面に電子回路のような模様が一瞬浮かび消える。


さっきの講義によるとこれでチップの読み込みができているらしい。


それを耳にあてがうと、MINEの表面の形状がオレの耳の形に合うよう変形していき、完全に密閉・固定された。

【MINE起動――完了】

【インターフェース接続――完了】

【パーソナリティー情報――エラー】

【一部の機能が制限されています。全ての機能を利用するためにはパーソナライズを完了してください】

【チップデータにパーソナライズシステムを検出。実行ウィザードを起動してパーソナライズを行いますか?】

MINEから流れる音声ガイダンス。


最後の質問に対し、オレが頭の中でYESと答えると、視界にロード率やダウンロード中のデータ情報などが一斉に現れた。


篠原先生によれば視覚信号が直接脳内に送り込まれることで見えているように感じているだけらしいが。


3秒ほどで必要なデータのダウンロードが終了すると視界から表示が消え、再び音声ガイダンスが始まる。

【パーソナライズの際、一時的にユーザーは無意識状態となります。安全な環境であることを確認したのち、開始命令を入力してください】

オレは自分が安全なポッドの中に座っていることを今一度確認すると、頭の中で「開始」と命じた。

すると、

体の末端から少しずつ麻痺していき、

体の中心に無感覚が広がるにつれて視界は狭まり、


耳は遠くなっていっていく。


そして


全身の感覚が全て無くなった時、







は――。
















* * * * *

あたりを見渡すとそこは白い世界だった。



しかし、いつものクロノスがいる精神世界ではない。
何もない、ただただ真っ白で無機質な空間ではない。


雪に覆われたどこかの道。


曇った空からは雪がしんしんと振り、
街路樹は雪のセーターをまとい、
左側には雪の絨毯が敷かれた土手、
そのさらに下には黒く見える小さな川が流れている。


雪が全ての音を飲み込んでしまったのか、自分の呼吸音だけがやけにはっきりと聞こえた。



ここがどこなのか、なぜこんなところにいるのか。全く見当もつかない。





――オレが記憶を失う前に訪れたことがある場所……だったりするのだろうか。

悠十。

突然、後ろから名前を呼ばれた。


知らない男の声だ。


それでも確かにオレの名前を呼んでいた。


しかし、振り返って見てもそこには誰もいない。
辺りを見回しても人っ子一人いない。


オレは声の主を探すのを早々に諦めると、土手を下り、流れることを止めないその黒い川を眺めた。

クロノス

ユウ。

今度はよく聞きなれた声がオレを呼んだ。


オレは川から目を離さず、話し始めた。

緒多 悠十

クロか。
お前って、精神世界から出られるのか?
それともここも精神世界とか?

クロノス

どちらかといえば後者の方が近いが、半分正解で半分不正解だな。
ここはお前たち人間が作った箱、MINEとか言ったかな、その中に作られた精神世界の複製品、いや、模造品と言った方がいいかな。

人間が人工的に作り上げられる精神世界のパターンは非常に少ないからな。
オリジナルとは大分違う。
人間の精神世界というのは一人一人違うけれど、それを忠実に再現できるほど緻密なパーソナリティー情報はこの箱の機能に支障がないんだろう。

緒多 悠十

よく分からないな。
なんだってそんなものがMINEの中に作られるっていうんだ?

クロノス

人間が使っている言葉でいうMEってのにもさ、精神みたいなのがあるんだよ。
人間が精神持っているようにね。
明確な精神によって不明確な精神が束ねられ、形を作り上げられるのさ。
人間の精神も時に不安定だ。それを人工的なパターンに類型化してより明確な精神構造を手に入れようとしてるんだろう。

緒多 悠十

やっぱりよく分からないよ。
話が抽象的すぎる。

クロノス

まぁ今はいいさ。時が経てば分かる。

緒多 悠十

《時》を司るお前が言うと嫌味に聞こえるけどな。

オレが屈んで流れる川に手を差し入れると、川の流れが歪められた。

まるで時の流れが歪む様のように。

クロノス

ユウもその一端を担ってるんだから人のことは言えないだろ。

緒多 悠十

別に好き好んで能力を使ってるわけじゃないよ。

クロノス

ユウが望もうが望まなかろうが、能力を使わなきゃならない時が必ず来るよ。

クロの声にはどこか面白がっているような、それでいてどこか悲しげな不思議な音色があった。

クロノス

そろそろ現実世界に戻るぞ。
まぁ、せいぜい頑張ることさ。

緒多 悠十

他のクラスメートたちも精神世界に入ってるのか?

クロノス

そうだろうな。

けど、それを本人たちがそれを覚えてることはないと思うが。

ユウは精神世界に入ることに免疫があるけれど、他の人間はそうじゃない。

人間が夢を忘れてしまうように、それぞれの世界のことも忘れてしまうだろうな。

緒多 悠十

そういうものか。
他のやつがどんな世界だったのか聞きたかったんだけどな。

クロノス

ユウが他人に興味持つなんて意外だな。

緒多 悠十

別に悪いことでもないだろ。

クロノス

違いない。
……あの緋瀬とかいう女。嘘をついたままでいいのか?

緒多 悠十

よくはない、かな。
早いうちに打ち明けて謝るよ。

クロノス

それがいいだろうな。

オレはやけに素直に話してしまったことが急に恥ずかしくなり、皮肉の一つでも言ってやろうと後ろを振り返ると、そこには誰もいなかった。



もしかしたら、クロノスも最初からいなくて、独り言を話していただけだったのかもしれない。



もっとも、それを確かめる術はないけれど。


オレはゆっくりと立ち上がり、もう一度景色に目を移ろわす。


白い雪。
黒い川。


精神世界の複製品を。
精神世界の模造品を。


眺める。長める。


……そういえば、最初にオレに声をかけた少年は何者だったのだろうか。


それもまた、知る由もないことか。




そんなことを考えながら、オレは。


現実世界の不良品は。
現実世界の欠陥品は。


目を、瞑った。

* * * * *

【パーソナライズが終了しました。ユーザーのパーソナリティー情報はカラーコード#000000に類型化されました】

【MINEを再起動してパーソナライズを完了します】

音声ガイダンスに続いてキィンという高周波な音がしたかと思うと、視界にディスプレイが表示され、MINEとオレの基本情報が表示された。



オレはカラーコードという欄を眺めた。


オレのカラーコードは16進数で#000000。


すなわち。

オレの精神を表すのは、どんな光をも吸収する色。


「黒」


ということになる。


美しくも不穏な色だ、と少々自嘲気味に笑ったオレの脳裏には先ほどの世界に流れていた、黒い川の光景がよぎっていた。

万能元素―Multi Element―(6)

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