オレは目の前の少女に向かって言う。
すると少女は水色のリボンとともに編み込まれた白い髪の毛先をくるくると指先で弄びながらため息をついた。
いいか、絶対に余計なことをするなよ。
オレはお前の能力なんてこれっぽっちだって使いたくないし、使わなくたって生きていけるんだからな。
オレは目の前の少女に向かって言う。
すると少女は水色のリボンとともに編み込まれた白い髪の毛先をくるくると指先で弄びながらため息をついた。
そんなにきつい言い方をしなくたっていいじゃないか、ユウ。ワタシだってお前に死なれたりしたら困るんだし。
日常生活でどうしたら死にそうな事態になるんだよ?
そりゃあまぁ、色々あるだろうさ……。
少女は弄んでいた髪から手を離してニヤリと笑った。
それを見たオレは先ほど少女がついたため息より倍は深いため息をついて頭をがしがしと掻く。
そしてあたりを見渡して、はいはい、と適当な返事を返すのだった。
オレと少女しかいない、その真っ白な空間の中で。
* * * * *
目覚まし時計の不快な音に目を覚ます。
そして、寝癖のついた頭を掻きながら布団から這い出た。
悠十さーん、朝ご飯できてますよー。
一階から中学三年生にしてはあどけない少年の声が聞こえた。
ああ、今行く。
オレはそう返答してから今日から通うことになる学園の制服の袖に腕を通し、寝癖を手早く直したあと一階へと駆け降りた。
リビングに入るとトーストの香ばしい匂いと、コーンポタージュの甘い匂い、そしてコーヒーの香りがした。
悪いな、ヒサも今日始業式なのに。
オレは席に座ってトーストにマーマレードを塗りながら言った。
いいですよ。
この前みたいに悠十さんが下手に料理してフライパンを焦がされるよりはマシですから。
う……そりゃそうだな……。
オレは決まり悪く、渋々トーストをかじった。
そういえば、ヒサはなんて中学行ってんだっけ?
なんか結構頭いいところだったよな?
京成中学ですよ。
その質問、前も聞きませんでした?
あ、あれ、そうだっけか……。
あのバカ、この前はその《記憶》を使いやがったのか……。
何か言いました?
い、いや、なんでもない。
オレは食べ終わった皿をまとめてカウンターに置き、歯磨きを済ませると、黒い革のカバンを手に取った。
じゃあ、そろそろオレ出かけるよ。
あ、悠十さん、僕ももう出ます!
そうか?
じゃあ途中まで一緒に行くか。
オレとヒサは大きくもなく小さくもない一軒家、緒多家から出ると、アスファルトの一本道を歩き出した。
緊張、してますか?
ヒサが心配そうな顔でオレに問いかける。
そりゃあ、まぁな。
色々厄介な事情があるし。
うまくやれる自信は……正直ないな。
そう、ですか……。
あ、でもお前が落ち込む必要はねーよ、別に。
どれもこれも仕方ないことなんだしさ。
それは、そうですけど……。
そんなことより、お前今年受験なんだろ?
大丈夫なのか……ってお前なら大丈夫か。この前クラスで一位だったとか言ってたしな。
でも本番で取れなかったら意味ないですし。
もう少し点数を安定させないといけませんね。
ちょうど、ヒサが謙虚な言葉を述べたところでオレが乗る予定のバス停に着いた。
じゃあオレはここで。
はい。学校、楽しんでくださいね。
ヒサがひらりと手を振りオレを置いて歩いていく。
その後ろ姿をしばらく見つめていると、バスが静かにオレの横に停車した。
オレはバスに乗り込み、学生で溢れかえるなか、やっとのことで立ち位置を定めると、吊革にぶら下がりながら外の景色を眺めた。
ここは全国に20ヶ所存在する《学区》のうちの一つ。
第12学区。
一つの《学区》にはヒサが通っている京成中学のような普通(と呼ぶにはこの場合、いささか偏差値が高すぎるが)の小・中学校や、高校、大学が存在する。
しかし、《学区》自体はある一つの“特殊”な学園を中心として設定されている。
基本的にその学園には15歳から18歳、すなわち高校生にあたる者たちが通っている。
そしてさらに付け加えるならば。
かくいうこのオレも、今日をもってその学園の生徒の一人になるのであった。
バスに揺られること約四〇分。
オレはその学園に到着すると、気づかれない程度の深呼吸を二、三度繰り返すと、近代的な印象の正門をくぐった。
桜の木々が誇らしげに立つなかで、もともと同じ中学から来たのであろう者たち。
これからの生活に少し興奮しながらそれぞれ塊となって談笑しているのがいたるところで目に入る。
そもそも、この学園には1学年約10000人という膨大な数の学生が在籍しているわけだが、入学に必要なファクターはたった一つ。
先天的なある資質の有無のみ。
つまり“普通の学校”とは違い、“特殊な学校”同士には優劣の差がない。
そういう事情もあって、一般的に、あえて自分の出身校があるのとは別の《学区》の学園に進もうなどと考えるのは少数派となり、したがってこの学園において同中なる文化が非常に顕著となるのは必然のことなのである。
――オレのような例外を除いては。
オレにはこの学園内に友人はおろか知人すら存在しない。
別に中学で友人ができないほどコミュニケーション力がなかったとか、他の学区から引っ越してきたとか、そういった類の問題ではない。
この世にオレの名前をオレの顔だけを見て呼ぶことができるのはたった二人。
ヒサこと緒多幹久。
そして、オレが最近まで入院していた病院の医者。
まぁ、だから何だという話だが。
オレは人混みを掻き分け、掻き分け、やっとのことでクラス分けが発表されている電子掲示板の前までたどり着く。
掲示板にはずらりと知らない名前が羅列され、所々に桜の花びらが散るエフェクトが施されている。
せっかく本物の桜があるのだから、そちらを見ればいいのでは、という疑問はさておき。
五分ほど掲示板とにらめっこしてようやく10組の欄に自分の名前を見つけた。
参集教室が1310教室であることを確認すると、オレは再び人混みを掻き分けて、第一校舎なる建物に入ると地面に映し出された映像にしたがって1310教室を目指す。
比較対象など持たないけれど、かなりの予算がつぎ込まれているであろう各施設を見渡しながら歩く。
そして、オレが二階と三階の間の踊り場まであと三段というところまで行った瞬間。
視界が水色を帯びた。
『オレが踊り場まであと一段となったとき。上の方で少女が小さく悲鳴をあげたかと思うと、長い黒髪を先の方で赤いリボンで結んだ少女が階段から転がり落ちてきた』
そしてまた次の刹那、視界が元通りになる。
踊り場まであと二段のところに足を踏み出していたオレは少し無理矢理に一段飛ばしで踊り場へ駆け上り、振り返って“身構える。”
するとそこに。
予定調和のように。因果逆転のように。
“先ほどの”少女がすっぽりと飛び込んできた。
否、転がり込んできた。
大丈夫?
少女を抱きかかえたまま、顔を覗き込んで尋ねる。
え、えっと、だ、だいびょうふです……。
つっかえながら答える少女の瞳は、ルビーを想起させるような鮮やかな赤色。
髪の色が真っ当な黒であることを考えると、アルビノというわけでもなさそうだが。
薄化粧で比較的色白な肌は今しがた階段から落ちたという恥ずかしさのためか、若干桃色に染まっている。
そっか。気をつけて歩きなよ?
よっ、とちょっとした掛け声をかけながら少女を抱き起こす。
あ、あの!
そのまま通り過ぎようとするオレに対し、少女が俯いたまま、いささかか細過ぎる声で言った。
そ、その、あ、ありがとうございました!
少女は階段を一段下り、思い出したようにちょこんとお辞儀をしたあと、慎重度最大で下りていった。
少女がこけずに下りていくのを見送ると、ふうっ、と安堵のため息をつく。
そして、階段を一段上がったところで立ち止まる。
えっと……どこ行こうとしていたんだっけか……。
人差し指でトントンとこめかみあたりを叩いてみたが、何も思い出せなかった。
さっきより深度二倍のため息をつく。ただし、安堵ではなく悔恨と呆れからなるため息である。
オレは静かに目を閉じて、独り言には聞こえない独り言を呟いた。
おい、クロ、余計なことすんじゃねぇっつっただろうが。
目を開くとそこは学園の校舎などではなく、真っ白な何もない空間だった。
いや、正確にはオレともう一人、水色のリボンと白い髪の少女だけが存在する空間であった。
まぁいいじゃないか、ユウ。
情けは人の為ならずと言うだろう?
それが人様の記憶を盗んだこそ泥の吐くセリフかよ。
盗んだとは失礼だな。正統な取引だ
ビシッという効果音が聞こえるかと思うほど堂々とオレを指差したその少女はお得意のニヤリ顔をして見せた。
どこが正統なんだよ。
双方の同意あってこその取引だろ。
オレはそんな取引に応じた覚えはない。
ほぼ神に等しい力を持ち合わせておいて、そんなの僕はいりません、と抜かすとは……何もかも忘れてビクビクしていた誰かさんと同一人物とは思えないな。
……うるせぇよ
そう毒づいてから、もう一度深いため息をついた。