在りし日の元気な師匠がそこにいる。
もう二度と見ることの出来ない光景に、思わず足を止めていた。
この先を進むことが躊躇われる。
だけど、
進むしかないだろう。
アークは息を飲んで一歩踏み出した。
在りし日の元気な師匠がそこにいる。
もう二度と見ることの出来ない光景に、思わず足を止めていた。
この先を進むことが躊躇われる。
だけど、
進むしかないだろう。
アークは息を飲んで一歩踏み出した。
チクタク
チクタク
秒針の音が聞こえる。
ユラリ、
ユラリ、
振り子が静かに揺れている。
それを老魔法使いはぼんやりと見ている。トーマス師匠は歳だった。年々弱っていく姿を見るのが辛かった。
最終試験、合格してきたよっ
明るい声でノアが部屋に入ってきて、その後ろを無表情でミランダがついてきた。この二人は特別仲が良いわけではないのに、行動を共にすることが多かった。
…………おお、良かった
穏やかに微笑むトーマス師匠は長くない。もう数年前から寝たきり状態だった。
私も、余裕だった
良かった、良かった。弟子が全員、魔法使いになれるとは
トーマス師匠の弟子は、この三人だけだった。
これは、盛大なパーティーを開かなければなりませんね
そうじゃな
そう言っているのに、トーマス師匠は身体を動かすことが出来ない。その力がなかった。
ボク、美味しいケーキ買ってくるよ
アークが明るい声を上げている。
あいつなりに、場を和ませようと必死なのだ。
トーマス師匠を元気づけようとしている。
チクタク
チクタク
時計の秒針の音がやたらに大きい。
ノア、ケーキでしたら。私が注文してあります。お店に取りに行ってもらえますか?
さすが、アークだな。
よし、ボクが行ってくる!
場所わかるのかしら?
心配なので着いて行きます
お願いします、ミランダ
走り出したノアを追って、ミランダも部屋から出ていく。
チクタク
チクタク
残されたのはアークとトーマスの二人きり。
お前たちが正式な魔法使いとなったこと。儂は嬉しいよ
それは、光栄です
儂は弟子に残せるものが何もない
師匠?
……あの時計の針を与えるよ。アレは儂が生まれたときに、祝いとして父親からプレゼントされたもの。
父親から何かを貰ったのは、後にも先にも、あれだけじゃ。儂が生まれた日から、ずっと時を刻んでおる。だから……な、儂が死ねばきっと止まるだろう
何を言い出すのですか
師匠は縋るような目でアークを見る。嫌な予感しかしない。
師匠は長くない、それぐらい全員が気づいていた。だけど、何だろう、別れの瞬間が目の前に感じる。そんなことはない、明日も師匠に朝の挨拶をするのだから。
だけど、師匠の目が否定する。
…………だから、あの時計を止めてくれ
何を……
儂が死ねば時計は止まる。逆を言えば……時計が止まれば、儂も死ねる
!!
このままでは、儂は足枷にしかならない。契約していた獣たちは解放してある。だから、残りは「儂」だけ
足枷なんかじゃありません。師匠は私たちにとっての標(しるべ)なのですよ
標(しるべ)を失くしたくないお主たちが禁呪に手を染める可能性を否定できない。
…………っ
お主たちの力なら、儂を生かすことは容易いだろう。
…………
その通りだ。三人が協力し合えば、師匠の命を延ばすことは可能だ。それを躊躇なく出来るだろう。
だけど、そうして生かされた師匠は……
禁呪で生かされた儂など、もはや、儂ではない
師匠は死にたいのですか?
生きていたいさ………
お主たちの心の中で、儂は永遠に標として存在し続けたい
永遠に君臨しないでください
そう言うな
…………あの時計を壊すだけで良いのじゃ。そうすれば、儂の時間も止まる。
あの二人には何も言うな。
時計を止めたことは言ってはならぬぞ。儂の我儘の為に、アークが悪人になる必要はないのだ。
……………わかりました
良かった。あの時、お主を見つけたのは奇跡だった
褒め言葉、ですか?
ああ、父は高位の魔法使いだった。
その父が作った時計を壊すことが出来るのは、同じぐらいの才能を持つ者……
この時計、強い魔力が施されています。確かに………私にしか壊せませんね
そうであろう?
私は時計を壊し、貴方の息の根を止める為に弟子になったのですか?
偶然だ。
お前の魔力に惚れこんだのは事実だし。自分は老衰して、この命を全うするものだと、そう思っていた。さぁ、時を止めてくれ………っっっ
………っ
師匠が苦し気な表情を浮かべる。
まだ生きている、明日まで生きられるかどうか……このまま衰弱して息を引き取ることが師匠の理想だった。
命を無理に伸ばす魔法は禁じられた魔法…………儂は、弟子が手を穢す姿を見たくはない
師匠殺しをする……私の手は穢れますよ
お前は儂の願いを叶えるだけだ。少しも穢れていないさ
勝手だと思った。
だけど二人が来る前にやらなければならない。
わかりました。
私も苦しむ師匠の姿は見たくありません。病気で苦しむ姿も、生かされて苦しむ姿も………
ありが……とう
師匠………どうか、達者で。貴方を父として尊敬しております
ああ
アークは振り子時計の前に立つ。
杖を取り出して、その先端を秒針に向ける。
……time Break……機能停止
さっきまで耳に響いていた秒針の音も、振り子の音も消えて。
静寂が訪れる。
振り返ると、横たわったままの師匠が安らかに眠っていた。
もう、二度と目覚めることのはないだろう。
この手で、奪ったのだから。
しばらくして、戻って来たノアとミランダ。
師匠が長くないことは、二人とも知っていた。
だから、心の準備は出来ていたのだろう。
取り乱すことなく、冷静にアークの話を聞いていた。
二人の成長を喜んでいました。突然でしたが、静かで安らかな最期でした
アークは嘘をついた。
彼の息の根を止めたのは自分のこの手だ。
だけど、最後に交わした師匠との約束だから……二人に真実は言えない。
このケーキは師匠に捧げるよ
ボクたちが合格するまでは頑張って生きていてくれたんだね。師匠
……師匠の契約獣たちは、どうなったの?
解放されているみたいだよ
そう……じゃあ、探して私が契約しないと
ミランダ?
私、師匠の意思を継ごうと思う。この世界に生きる獣たちと契約を交わすこと
そうですか、ミランダなら出来ますよ
先輩に褒められるとキモチワルイ
そう、立ち上がると荷造りを始める。
もう準備するのか? 気が早いだろ
ノア、私たちは正式に魔法使いになったのよ。いつまでも、ここには居られないわ
でも
ここは、師匠の家よ
そうですね。我々は同じ師を持っただけで……進む道は別です。ノアも出ていきなさい。片付けが済んだら、私もここを出ますから
……そうだよな。ボクたちって、師匠がいなきゃ、一緒にいる理由がないからな
そして、ノアも荷造りを始めた。
アークは時計の前に立って、ジッと見上げる。
二人とも、これをどうぞ
何ですか
ミランダは受け取ったそれを見つめる。
師匠の振り子時計の秒針です
ボクのは短針?
ああ、そして私は長針……師匠の形見分けです。師匠から頼まれていました。それが、偉大なるトーマスの弟子である証になる。我々は別の道を歩くことになります。たまに思い出してください。トーマス師匠と過ごした、我らの日々を