五日町がその屋敷を訪れたのは、偶然だった。

五日町

……?

たまたま近くを通りかかったとき、猛犬が飛びかかってきたのだ。

飼い主がうっかりリードを外してしまったようだった。動物管理条例を鑑みる必要はあるが、それは今重要ではない。


普段ならその程度、すぐに対処するのだが、タイミングが悪かった。

視界の悪い場所で、夜目。

五日町にしては珍しく注意散漫だったこともある。


捕獲まではできず、とっさに避けた。



すると、標的を見失った犬は屋敷の庭へ続く門扉を押し開け、走って行ってしまったのだ。

五日町

! 待て



すぐに追いかけ捕獲したが、花屋敷自慢の庭は踏み荒らされていた。


不可避だったとはいえ、敷地内に立ち入ったこと、庭の植物に被害があったことなどを伝えなければならない。


五日町がインターホンを押すと、出たのは老人の声。
遠巻満だった。

立ち話もなんですから、お入りください

声の指示通りに二階へ行く途中、同居しているはずの夫婦、眺と仁四郎の気配はなかった。

遠巻 満

娘らはこんな夜中に出かけておりまして。それで、警察の方が何の御用で?

寝間着姿の老人は見た目の年齢の割にはっきりとした口調だった。
手短に用件を伝えると、一つ一つに頷き、答える。

遠巻 満

はい、はい……そのようなことが。

……庭のことは気にしないでください。あんなもの、どうにでもなります

花屋敷の主人とは思えないあっさりとした言葉だった。
だが、弁償を要求されるよりも有難いことだ。

五日町

それと、庭までとはいえ、敷地に続く門が夜間に開いているのは危険です。お気を付けください

遠巻 満

え? 門扉が開いていた?

……有難うございます。家族に、以後気を付けるように言っておきます

用件は滞りなく済んだ。

五日町

それでは、これで失礼します

五日町が去ろうとした時だった。

老人が、それを引き留めるように言った。

遠巻 満

今夜は月が綺麗ですね

なんの前触れもない、唐突な言葉だった。

‡0.1 「好き」には程遠い ーⅲ

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