マスター

…寝れなかったな。結局。

昨日の悪夢が何なのか結局分かるわけもなく。
恐怖で眠れず、朝を迎えた。
黴臭い布団に横たえた重い体を起こし、コーヒーを入れ、煙草をくわえる。

こうしてまた一日が始まるのか。
何事もなかったように。

開店は夕方。
まだ身体を休めたい気もしたが、今日は少し散歩でもしてみようか…そう思った。
無理矢理苦いコーヒーを飲み干し、いつものシャツに着替えて外に出る。

マスター

はぁ…平和だねぇ。

風は冷たく、空は晴天。
だがぼんやり朝見つめていたテレビの天気予報では天候は崩れるらしいとの事だった。

目的地も決めず、ぼんやりと歩く。
近所の静かな裏通り。
朝食の匂い。
変わらない風景。
のんびりとした老人達や野良猫がマイペースに我が道を歩いている。
俺も同じように、我が道を歩く。

顔見知りの老人に軽く一礼し、ふと考えた。
俺も歳を取り、こうして散歩をするのだろうか?
今と変わらない生活を続け
一人ゆっくりと死を迎えるのだろうか…?

またそんな事を考えてため息を吐いた。
簡単に言えば寂しいのだろう。
孤独が冷たい風と共に俺の横を通り過ぎてゆく。

「ケン?…ケンだよね?」

マスター

…あ?

突然名前を呼ばれ振り返ると子供を抱えた女性が立っていた。
少し笑みを浮かべ俺の方へと近づいてくる。

マスター

すみれ…

すみれ

やっぱ、うちの事覚えててくれたんや。うちもすぐ分かったし…元気してるの?

マスター

まあ…ね。

すみれ

今何してるん?小説家になれたん…?

マスター

なれるもんか。そんな夢どっかにいったよ…今はバーのマスターやってる。すみれは…幸せそうだな。

別れてどのくらいの年月が経ったのだろう…小説家になる夢を捨てきれず、普通の生活を望んだ彼女と意見が合わなかった。
結局夢は破れ、今に至る。
…あの時夢を捨てていたらどうなっていたんだろうとくだらない想像をした。

すみれ

うちは…別に…

???

スクエ

マスター

!!?

不意にあの男の声が頭の中で響いた。
気のせいだと思い込みながら平然を装う。

すみれ

うちはこの子と二人なん…主人、亡くなって…

???

スクエ

マスター

…?

すみれ

びっくりするよね、いきなりこんな事言うて。
…なんか顔色悪いけど大丈夫なん?

マスター

あ?あぁ…大丈夫…。
旦那さん、亡くなったのか。

すみれ

うん。三日前…俺は悪い事をしたから死にますってメールがあって…次の日に…

???

救え!!

男の声は、絶えず頭の中で鳴り響く。

すみれの精一杯の笑顔は今はもうない。
母親の悲しみが分かるのか、赤ん坊は小さく泣き声をあげた。

俺の身に何が起きている?
すみれに何があった?

疑問がうねりを上げ、心をまさぐった。

To be continued…

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