大翔

ここは?

うちの学校ではないみたいだね

 学校などどこも同じような鉄筋コンクリートの無骨で飾り気のない建物ばかりでありながら毎日通っているおかげか見間違えることはない。ここは大翔たちの通っている高校ではない。それだというのに、大翔には強く見覚えのある廊下だった。

 教室の窓ガラスがところどころ割れているのはカベサーダのせいだろうか。くもりガラスの割れた部分から中の様子を覗き込んでみるが、やはり荒れ放題で人の気配はない。廊下から外に繋がる窓は割れてはいないが、外はホテルの三階で見たのと同じ蜃気楼のように揺らめいていて判然としない。

 校舎の中だけの夢。いったいどこまでが夢の中に含まれているのか。

大翔

そうだ、グラウンドは?

おい、走るなよ!

 音を立てればカベサーダに気付かれる。大翔が廊下を蹴って走り出したのを見て、光は思わず強く諌めた。だが、その言葉は大翔には届いていない。様々な物が散らばった廊下の上を大翔は構わずに全力で走っていく。真っ直ぐな廊下でも見逃してしまいそうなほどに大翔の背はぐんぐんと小さくなっていく。

速いな、神代。中学は陸上部だったらしいが

 光は大翔を見失わないように辺りを見回してから、大翔が消えていった方へと走り出した。

大翔

ここが二年の教室のはずだから渡り廊下を渡れば見えるはずだ

 あまり広くない中学校の校舎の中でも大翔が一番見慣れているのは毎日嫌になるほど走り続けたグラウンドだ。他の場所ならもしかすると似ているだけの場所かもしれないが、グラウンドを見れば自分の中学校かどうかわかるという確信があった。

 渡り廊下はどこにもない。その代わりに目の前に広がるのは新しい廊下だった。

大翔

なんだ、これ

 今まで散々と変な構造の建物を見てきたが、それでも知らない場所ならそういう建物があるのだと強引に納得させてきた。しかし、自分の知っているはずの建物とこうも構造が違ってくるとまるで乗り物に酔っているような気持ち悪さを感じてしまう。

 何度曲がっても変わらない廊下を走り、ようやく見つけた少しだけ開いている教室の扉を掴む。やや歪んでいた扉を強引に引き開けて、大翔は中に転がり込んだ。

 息を整えながら窓に向かって歩いていく。もはやここが何階で誰もために用意された教室かはわからない。ただ必要な情報は得られそうだった。

 教室と外を隔てる窓の先は揺らめくことなく鮮明にその姿を大翔の目に映す。

大翔

やっぱりここ、うちの学校だ

 グラウンドを見下ろしながら、大翔は近くにあった机の上に腰かける。友人の机にこうして座って、行儀が悪い、とよく千早に怒られたものだが、今はそれを口うるさく言う人間もいない。

はぁ、追いついた。急に走るな。奴がいつ飛び出してくるかわからないんだぞ

大翔

光さん。ここ、俺の中学だ

何?

 息も絶え絶えの光は歪んだ教室の扉をなんとか閉めて、そのままその扉にもたれかかる。

大翔

じゃあ、ここは俺の夢? それとも俺の中学の奴が他にも巻き込まれている?

わからない

 光の答えは短くもはっきりとしている。不機嫌なわけではない。ただ上がった息を簡単に抑える方法を知らないだけだ。

 大翔は光が話せるようになるのを待ちながら窓の外のグラウンドをぼんやりと見つめていた。

 白土に混じった石英が太陽の光を受けてキラキラと輝いている。そういえば今までは照明の少ないモールに窓一つないホテルと太陽とは無縁の世界だったが、ここは外で燦然と照らす太陽の光でどこも明るい。カベサーダのことを一瞬でも忘れて大翔が駆け出したのはこの明るさのせいもあっただろうか。

 まるで現実のような窓の外と見比べると、教室の中は大地震でもあったかのように悲惨だった。まともに立っている机の方が少ない。黒板にはヒビが入り、何色ものチョークで描かれた何なのかもわからない落書きで埋め尽くされている。床には何本も亀裂が走り、コンクリートには半分に折れた陸上のハードルが刺さっている。

 この夢の主が大翔だとしたら、きっと中学校が嫌いで仕方がなかったのだろう、とでも分析されるのだろうか。だとしたらあのきれいなグラウンドを見れば、自分はあれほど嫌になってやめてしまったと思っていた陸上はやはり嫌いではなかったということなんだろう、と大翔は思う。

 きれいに整地されたグラウンドはすぐにでも出て行って走ってみたいと思えるほどに魅力的に見えた。

何か思い出したかい?

 ようやく落ち着いたらしい光が大翔の背後から切り出した。

大翔

いや、なんでもないです。とにかく構造がめちゃくちゃになっている以外は今のところ俺の中学みたいですね

それじゃ、彼を探してみようか。僕ら二人じゃ不安が残る

 何か手がかりはないか、と荒れた教室の中を探ってみるが、特に変わったところはない、というよりも変わり果てていて何が普通と違うのか少しもわからなかった。尊臣といえども怪獣ではない。物をわざわざ踏み荒らしたり、我が道の行く先にあるものを蹴り飛ばしたりするわけでもない。

 何か印になるものを残すにしても取り決めがあったわけでもないので、簡単には見つかりそうもなかった。

大翔

これをやったのがカベサーダの可能性もあるってことですよね

あるいは彼がやったか

 本人がいないのをいいことに光はにやりと笑って付け加えた。尊臣が聞いていればまたあの固いげんこつが光の、それからついでといわんばかりに大翔の頭にも降ってくることだろう。

大翔

できそうなのが、怖いとこですけど

 大翔は初めて会った時に尊臣が消火器でカベサーダの頭を殴り飛ばしたことを思い出す。あんな一撃をもらえば大翔なら一瞬で天国の階段を駆け上がれる自信がある。

聡明な人間なら無意味なことはしないだろうね

 よく忘れるがあれでも賢いんだった、と大翔が光に合わせてこの場にいない尊臣の嫌味を言おうとしたとき、それを諌めるように廊下に足音が鳴った。

大翔

まさか

彼だと思うのは少し楽観的過ぎるだろうね

 廊下と爪がぶつかり合う音がする。その正体は覗き込まずとも明らかだった。

pagetop