馬から降りたフィレイグを狙い、一足に間を詰めた手練れは、物言わず剣を唸らした。胸の急所の寸前で受け流したフィレイグ。父であるフィガロとの訓練がなければ、護衛兵達と同様に勝負はついていただろう。

フィレイグ

速いっ!

 父・フィガロの剣を受けてきたフィレイグにとっては、経験済と言える剣速だった。だが、訓練と命を狙われる実践では、その迫力に違いがあるのは明白だ。

手練れ

ッッシュ!!

フィレイグ

くっ!

 ひと際大きな火花を散らした一撃は、フィレイグをほんの僅かだがよろけさせた。多人数との戦闘を二度繰り返した後の、息をつかせぬ決闘。それはフィレイグの戦闘力を目に見えて落としていた。

手練れ

シャーッ!

 隙を見逃さず、手練れの攻撃は激化した。

フィレイグ

く、卑劣な!?

 手練れが使用したのは煙玉。しかも目くらましになるだけでなく、喉の奥に刺激を与える薬物が入った代物だった。

フィレイグ

うぐっ!!

 次の瞬間には逆方向からの連撃が繰り出されていた。フィレイグは、第六感としか表現出来ぬ感覚で致命傷を避けた。だが、右肩と右広背筋付近から、無視出来ぬ出血を感じる。妹のフィリオーネからプレゼントに貰った髪留めの青いリボンも、空に舞っていた。

……スゥーーー……

フィレイグ

ゴ、ゴホッ……

 薬物入りの煙玉は、フィレイグの喉に深手を与えていた。

 煙の中で、鮮血の花が散った。

 ――致命傷。助からぬ傷。それを察知した手練れは、初めてその瞳に色を宿した。

手練れ

ふふふ……。終わりだ。

 そう口にして大地に引き込まれるように倒れた。

手練れ

なぜ、だ……ゴフ

フィレイグ

私が煙に囲まれていれば、
貴様も私が見えぬはず。

手練れ

…………

フィレイグ

煙の中でそれらしい咳をすれば
察知しそこを攻撃するはず。
しかも幾ばくかの気配を
感じた直後の咳。
その軌道を読むのは容易だ。

手練れ

ゴホッ、ググ。

フィレイグ

そして最大の理由は……

 フィレイグは遠くの空を見通して言った。

フィレイグ

昔から私は、
偉大な父上の容赦ない
手ほどきを受けていた。
それだけだ。

 王族の血脈を、人が言う高潔さを否定する言葉。生まれ持ってのものなどではなく、生きてきたその過程をもって今がある。当然の事だが、高貴な身分の者に対する一般人の偏見をよく知る一言だ。

フィリオーネ

兄様!
酷い怪我です。

フィレイグ

フィリ、オーネ……。
無用な、心労を……。
惰弱な兄を許しておくれ。

フィリオーネ

兄様がお強い事は
存じ上げております。

 笑顔を取り戻したフィリオーネは、傷だらけの兄の身体をそっと支えた。

レスティオーネ

失われた命に、
永遠の安らぎと
神の加護を。

 レスティオーネは、命を落とした者に対し、粛々と祈りを捧げていた。両の膝を地につけ、ぎゅっと組まれた両手まで、頭を垂れている。その姿は、人間の最も崇高な内面が現れているようだ。
 しかも、味方の護衛兵だけでなく、自分達を狙ってきた手練れにまで、その祈りは捧げられていた。

フィレイグ

皆、忠実な騎士だった。

護衛兵A

彼等も覚悟の上です。
お気を落としのないよう。

フィレイグ

…………

フィレイグ

まだ、この馬車周辺に
誰にも接近されていないか?

護衛兵A

誰もいません。

フィレイグ

ならば、馬車をっ!!

護衛兵A

私以外はな。

 護衛兵の剣が、フィレイグの肉と骨を切り裂いていた。
 裏切りの不意の一撃に、気付いたのは切られる直前。満身創痍の身体では、身を捻る事が精一杯だった。フィレイグの左腕は、見るも無残に、繋がっている部分の方が少なかった。

フィリオーネ

兄様っ!!
腕が!! 腕が!!
ああああああぁぁ!

護衛兵A

うるさいぞ、小娘が。

 不気味なまでの笑み。護衛兵だったこの裏切り者は、フィリオーネに凄まじい平手打ちをくらわせ、饒舌に語り出した。

護衛兵A

誰もいないから、
お前らを始末するのに
調度良いのだ。
今のお前なら
赤子の手を捻るより簡単に、
始末出来るぞ。
そしてお前の父である詠弦公も、
そろそろ始末されている頃だ。

フィレイグ

…………

フィレイグ

気高き心に惹かれ
気高き獅子が起つ。

護衛兵A

はぁ?
あまりの激痛に
頭がおかしくなったか?

 そう吐き捨て、血で真っ赤に染まった剣を振り上げる護衛兵。フィレイグは、護衛兵と会話をしている風ではない。

 容赦なく振り下ろされた剣は、再度、血を招いた。馬車から離れた所まで飛ばされていたフィリオーネは、ようやく片目を開き状況を認識する。

フィリオーネ

母上っ!!

 息子に振り下ろされた剣を受け止めたのは、母・レスティオーネだった。胸の中心に大きく深い切り傷が刻まれ、押し止めようのない血液が飛び散っている。

護衛兵A

邪魔をするな!

 もう倒れるしかないレスティオーネを、足の裏側で押すように蹴りつける護衛兵。馬車の中に飛ばされたレスティオーネは、そのまま動かなくなった。

フィリオーネ

ううぅぅぁ……

フィリオーネ

酷い、酷すぎます。

 つい先刻、仮にも守られた形になった者に対してこの仕打ち。裏切る予定だったにしろ、フィリオーネの言葉は決して言い過ぎではない。

護衛兵A

安心しろ。
すぐに家族全員地獄に
送ってやる。

 勝ち誇った笑顔で、もう一度、剣を空に向かわせた。

フィレイグ

フィリオーネ。
白星(ハクセイ)に身を任せるのだ。
ディープスに戻ってはならない。

 剣を左肩に深々と受けながらも、そう伝えるフィレイグ。そして吐血した口で、愛馬に口笛を鳴らした。

護衛兵A

何をしようってんだ!
大人しく死ね!

フィレイグ

はあぁっ!!
フィリオーネだけでも
守ってみせる!

護衛兵A

チッ! 死にぞこないが!
無駄な抵抗を。

 フィレイグは護衛兵に体当たりをして、フィリオーネだけでも守ろうと抵抗する。護衛兵が振りほどこうとするが、執念とも言えるフィレイグの右手の力がそうさせなかった。

フィレイグ

フィリオーネ!
自分の境遇を呪うような
人生は生きるな!
兄を思うなら、
笑って生き抜いてみせるのだ!

 護衛兵を押し込むように、馬車に雪崩れ込むフィレイグ。左肩に刺さった剣を引き抜き、馬の尻に切りつける。狂った様に走り出した馬は、馬車を猛スピードで走らせた。


 レスティオーネの息は止まっていた。自身の出血も限界まできている。遠く小さくなっていく妹に微笑んでみせようとしたが、上手く笑えてたかも、もう分からない。護衛兵が身体の下で何かわめき散らしているが、もう何も聞こえなかった。崖路を猛スピードで走る馬車。荷台の雨風を凌ぐ布地が吹き飛んでいく。深い崖が脳に焼き付いた刹那、迷いなく千切れかけた左腕を車輪に巻き込ませた。衝撃と共に浮遊感だけが残り、父の顔を思い出していた。

フィリオーネ

はぁあ、はぁあ、はあっ……

 フィリオーネは、兄を乗せた馬車が崖下の闇にのまれるのを見届けた。幼い少女には過酷すぎる状況。何も考えられなくなったフィリオーネは、立ち尽くすしかなかった。

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