オスカー

わぁ。おねえさまのメーデルヴェルフィンは、はやいですね~

マーヤ

そうかしら? あなたがアデルヴォルフをかわいがってあげているから、私も良い絵を描けるのですよ、オスカー。

大量生産品のプラスチックの構造物、

すなわちL4WDのレースコース。

マーヤとオスカーはそれを囲んで遊ぶ。


オスカーはアデルヴォルフを。

マーヤはメーデルヴェルフィンと名付けた

L4WDの絵を、トイファイターの力で

それぞれコースを走らせている。

アドルフ

……………………

遊び戯れる二人を 

アドルフは見るともなく眺める。

二人は楽しそうだ。

少なくともそう見える。


単3乾電池二本でモーターを動かし

大量生産品のプラスチック製

自動車模型を走らせることが楽しいとは

今のアドルフには思えない。


だが歓喜を感じたこともあった。

うっすらとした記憶しかない子供のころ

そしてついこの前

砕かれた魂の一片として

夢の中をさまよっていたとき

具体的な記憶はない。

ただ途方もない歓喜だけは覚えている。

アドルフ

……侍従。L4WDの全パーツを揃えよ。手慰みに、余も子供の遊びをしてみたくなった。

了解の意を奏上して 

侍従は部屋を出る。


まごうかたなき世界の主である

アドルフの資産は途方もない巨大さだ。

L4WDの関係諸企業を全て買収するとて

パーツを全て買うとて同じことだ。

オスカー

陛下もいっしょにあそんでくださるのですか? ぼくうれしいです!

アドルフ

うむ。世界統一が完了し、統治のための官僚機構も順調に働いている今、余は何かしらの楽しみを見出す必要がある。臣民に任すべきは任さねばな。
王が遊びすぎるは災いだが、遊びを持たぬ王は、いずれ政治を遊びとして扱い、災いを為すゆえに。

尊大なる狼の笑みを作って

アドルフは堂々と言った。

マーヤ

お兄さまと遊べるのは、私にとっても喜ばしいことですわ……!

マーヤ

……けれどお兄さま、どこか無理をなさっているよう。何かしら心配事がおありなのかしら……? 私が力になれるとよいのですが……

アドルフ

……ふむ。おもちゃとはいえ、一通り揃えるとなかなかの量だな……

アドルフはL4WDのパーツの山を見る

一つ一つを手に取り

ためつすがめつしてみる

オスカー

あ。
陛下。これ、ぼくのかいしゃでだしたマシンです。

アドルフ

ゲバルトヴォルフ……なるほど、そなたのアデルヴォルフと同系列なのだな……

マーヤ

オスカー、経営者としての役目を果たすのはいいけれど、押し売りをしてはいけませんよ。お兄さまはL4WDの初心者なのだから、まずは納得の行くまでご覧になっていただくべきです。

アドルフ

よい。気にするなマーヤ。所詮は遊びなのだから。

マーヤ

はい、お兄さま。出過ぎた真似をお許しくださいませ。
オスカー、私の失礼を許してくれる?

オスカー

いいえ、おしかりありがたくちょうだいします、おねえさま。

アドルフ

……ボディはこれにするとしよう。

ファントムツフリーデンのボディを

アドルフは手に取った。


ファントムツフリーデン!

それは万能コース対応型のL4WD!

力学の粋を尽くして設計されたボディ!

その流麗なる姿態は!

性能への期待を裏切らない!


知識なしにこの機体を引き当てるとは!

アドルフの勝利への本能!

いとも天晴なる王者の直観!

狼の中の狼は手慰みにも手を抜かぬぞ!

アドルフ

……形はいい。が、この寝ぼけた黄色は好みでない……塗装を施すとしよう……

常の私ならば上述のごとく

軽々に褒めていることだろう。

それは誤りなのやも知れぬ。


自覚される意識の上では

L4WDへの取り組みを

手慰みだとアドルフは感じている。


だが

人のみならで神々にさえも測り難い

内心の深奥ではどうであろう?

真実、手慰みであるのか

あるいは

救いを求めての窮余の一策なのか?

アドルフ

侍従。沈金のための道具を持て。
職工を雇うには及ばぬ。手ずからということを楽しみたいのだ。

マーヤ

塗装をなさるのですか? ボディに手を加えるなら、肉抜きもなさってはいかがかしら?

アドルフ

そのようなやり方もあるのか。レギュレーションに反せぬ範囲で、一通りやってみることとしよう。

数週間後

アドルフ御製のL4WD、

カイゼルヴォルフは完成した。


世界が統一されたことで

国家群立の害から解放された世界は

人類史上初となる

幸福な調和を奏でている。


行政機構の手に余る事物の処理、

つまり王としてのアドルフの仕事は

ほとんど無いに等しかった。


ゆえにここしばらくは

狩猟や賭博を初めとする娯楽と、

人体に望みうる限りの官能の粋を

世界から入内させた美男美女と共に

貪るごとくに味わい尽くすことで

有り余る時間を潰していた。


L4WDづくりは

それらの暇つぶしの一つに過ぎない。

だが、これこそ

最もアドルフが望みをかけた

暇つぶしであった。

アドルフ

……思い出すことだな……夢の中をさまよって、あの「庭」に迷い込んだ夜のことを……

アドルフはゲルマニアの悲願を

狼祖ヴォルフスケーニヒの悲願を達成した

まごうかたなき世界の主である


だが

世界をつかんだはずなのに

全てを手に入れたはずなのに

アドルフは満たされなかった


人間に感じ得る限りの快と悦を

自在にしているはずなのに

心からの楽しさはどこにもなかった


どの手慰みも

それそのものの楽しみは存在する

だがそれだけだ。

生きる実感を覚えることはない


冥王星に追放される以前の

まだ母の生きていたころの幸福な記憶

そして

夢の庭で感じた没我のパッション


真に「喜び」の名に能うものは

回想でしか存在を実感できないでいる

アドルフ

あの夜は楽しかった! 生きているという感じがした! あの時の昂揚を再び味わいうるならば、我が王国を投げうってもいいとさえ思える……!

死者の蘇生も

夢の庭に遊ぶ子供になることも

現代技術では未だ不可能だ。


科学があらゆる神秘を暴き尽し

「神は死んだ」の一句が

凡百なるクリシェと化して久しい今も

時の秘奥は神々の手に隠されている。


ゆえにアドルフが取り得たのは

過去を取り戻さんとすることの

儚く拙い代替行為のみだ。


マーヤとオスカーを家族として

かつての幸せな日々の真似をした。

また

夢の庭に遊んだ夜のように

昼間の宮廷でL4WDを作ってみたのだ


どちらも今のところ

命の実感を覚えるほどの楽しみはない

だが他の娯楽の底が見え切った今

これらに勝る楽しみは見つからなかった。

アドルフ

よし。では、走らせてみることとしよう。

アドルフは手の中で

カイゼルヴォルフを裏返し

スイッチを入れる。


直列されたアルカリ乾電池から

3Vの電力が流れ出し

ヒュペリオルモーターが回転を始める。

ギアとプロペラシャフトの連動により

前後左右の四輪が回転する。

ボディをコースに乗せ、手を離すと

カイゼルヴォルフは勢いよく走り出す。

オスカー

かっこいいですね、カイゼルヴォルフ!

マーヤ

黒地に金の意匠が、走らせるとおぼろになって綺麗ですこと。

アドルフ

そうであろうか……? 

疾走するカイゼルヴォルフを見ても

アドルフは何も感じなかった

電流と歯車からなる

単なる物理現象があるばかりだ。


強いて言えば

馬鹿らしい感じがした。

モーター駆動の自動車模型作りに

数週間をかけてしまった滑稽さ。

たかがプラスチック製のおもちゃに

漆塗りと沈金を施してしまった

稚気じみた狂態。


まっとうな大人には

ましてや世界の主たる狼王には

決して

あってはならない失態だと感じた。


喜悦の声を上げるマーヤとオスカーは

自分を嘲笑しているようにさえ思った。

オスカー

ゴール!

マーヤ

動作に問題はないようですね。では、三人でレースをしましょうか。ね、お兄さま?

アドルフ

……狼王アドルフが命ずる。朕がおもちゃごときに夢中になったことについて、思うところを包み隠さず話せ。

アドルフは覇狼遵咆で命じた。

真実の如何によっては

腰の狼王御拳銃を使うつもりで。

オスカー

アドルフにいさまが、L4WDにきょうみがあるなんて、びっくりしました。でもおとうさまも、ぼくとL4WDをしてくれるときもあります。だから、おとなもおもちゃであそぶのはすきなのだとおもっています。アドルフにいさまとあそべるのは、このまえ、ゆめのにわへいったときのようで、たのしそうだとおもいました。

マーヤ

マーヤも驚きました。お兄さまは、子供っぽいことはお嫌いだと思っておりましたから。でもマーヤの幸せはお兄さまの幸せです。お兄さまがしたいことなら、マーヤは何であろうとお付き合いいたします。お兄さまが愛しくてなりませんから。L4WDであれ、夜お兄さまに御床で――

アドルフ

……もうよい。覇狼遵咆の力をもって命ずる、先の我が問いを完全に忘却せよ。

オスカー

はい、アドルフにいさま。

マーヤ

わかりました、お兄さま。

二人はすぐに

覇狼遵咆の影響から完全に回復した。

アドルフの懊悩をも忘却して。

アドルフ

さて、レースでもするとしようか。せっかく作ったのだからな……

アドルフ

いつからだろうな……「おもちゃ」の語をくだらないモノや粗悪な道具を指す比喩として違和感なく使うようになったのは……かつてはこの者どものごとく、心から楽しんでおもちゃで遊んでいたこともあったのに……

数か月後。

地球、旧パラダイスラント伯国

ヴォルフスケーニヒ家別邸。

アドルフ

……よい日和だ……昔と変わらぬな……花々の香も……人間ばかりが、変わらずにはおれぬのだ……

マーヤ

お兄さま♪

アドルフ

マーヤ

マーヤ

人払いなどなさって、一体何をなさるのですか? 見られては困ることなのでしょうけれど。お兄さまが何をなさるにせよ、二人きりになれてマーヤはとても嬉しゅうございます。

アドルフ

……今から余のすることを、妨げずに見届けよ。

マーヤ

……はい

覇狼遵咆で命じると、

アドルフは腰の狼王御拳銃を抜く。


50口径の銃口を自らの左胸に向け

引き金を二回続けて引く。

次に右胸に二発撃ち込む。

銃声にも銃撃の苦痛にもひるまずに。

さらに腹部にも二発。

最後の一発を眉間に。


常人なればただの一発で済むところ

アドルフには

狼王御拳銃の全弾が必要だった。


覇狼遵咆という超常の力を持つ身は

まことの狼にふさわしい

強靭なる意志と明晰なる理性を持つ。

不可能と呼ばれるほどの事象さえ

しばしば

可能にしてしまうほどの力だ。

中途半端な自傷では

生き恥をさらす恐れがある。


死体を殺してなお滅ぼすほどの

凄惨なる暴力でなければ

確実な死は得られぬだろうと考えた。

マーヤ

お兄さま! ああ! お兄さま!

アドルフ

……しかと、見よ! マーヤ! こ、れが! 世界、統一者! 狼王アドルフの崩御である!

マーヤ

お兄さま……お兄さま、そんな、何故……!?

生の喜びを感じられぬアドルフは

自らの精神の失調も疑った。


だが覇狼遵咆を使えることは

精神の健全さの極みだと考えた。


何よりも

精神の治療に偽装して

心を狂わす毒物を盛られ

呪わしき狂気の中に閉じ込められ

再び幽閉されることの恐怖から

精神医にかかることはできなかった。

アドルフ

さとい、そなたなら、もう気づいてい、よう? 余が、生に、なんの喜びも感じて、いぬ、と! なれば、いず、れは、己が、狂気によっ、て、世、界を害する、ように、なる……!

アドルフ

そ、れは! 王の生き方では、ない! ゆえ、に! こ、れ、だ! 明、晰な、る理性の、もと、強靭なる、意、志の、勝利、と、し、ての、高、貴な死……!

アドルフ

………………

マーヤ

……ぅっ……お兄さま……お兄さま……お兄さま……お兄さまぁっ……!

マーヤ

………………

その後マーヤは

アドルフの遺書を見つけた。


「崩御が巷間に漏れれば、

統一された世界は

再び混乱に陥りかねない。

ゆえにマーヤのトイファイターの力で

アドルフの影武者を作り

象徴として振る舞わすべし。

マーヤが大人になり

トイファイターの力をなくすころには

世界は王の象徴無しにも

幸福な調和を奏でうるであろう」


その他政治上のことが

さまざま書かれた遺書に

アドルフ個人の思いはなかった。

アドルフは

最後までまことの狼王として

慈悲深く世界を思いやっていた。

アドルフ

………………

マーヤ

………………

マーヤは慈母のごとくに

アドルフの亡骸を抱きしめる。


私欲よりもはるかに大なる朝恩を

忝くも世界に注ぎながら

世界からは何ら報いられることなく

死を選ぶほかなかったあわれな狼を。

マーヤ

……今はやすらかにお眠りなさいね、アドルフ。この世界で幸せが見つからないのなら、幸せになれる世界を用意しますから。
それまで、どうか安らかにお眠りなさいね。

トイファイターズ! 六 ~女神の覚醒~

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