昼下がり、リーフィは買い物を終えて、ちょうど道を通っていた。
角をちょうど曲がろうとしたとき、むこうでどたんばたん、というけたたましい音がした。
昼下がり、リーフィは買い物を終えて、ちょうど道を通っていた。
角をちょうど曲がろうとしたとき、むこうでどたんばたん、というけたたましい音がした。
何かあったのかしらね
このあたり治安悪いから
そうリーフィが思った直後、ばたばたという見苦しい足音がそちらのほうから聞こえてきた。ついで、情けない悲鳴が聞こえ、目の前に男が転がり込んできて、近くの樽に膝をぶつけて倒れこむ。
ひー、い、い、痛~~!
転がり出てきた男は、打った膝を抱えて、それから戸惑っている彼女を見た。
あ! リーフィちゃんっ!
男はそういうと、リーフィの足にしがみつく。きゃあ! と声を上げる彼女は、反射的に飛びついてきた男を蹴り飛ばしそうになる。ところが、男は早口にこういった。
オレ、オレだってば! リーフィちゃん! お願い、蹴らないで!
シャ、シャー…?
なんと、リーフィの足にしがみついてきた不埒者は、あの酒場にたむろしているシャー=ルギィズその人だったのである。思いっきり蹴り飛ばしてやろうかと思ったが、シャーの怯えようがかわいそうなので、リーフィは静かに足を彼の手から外した。
こら! 待て!
男の乱暴な声と共に、角から大きな体の男が出てきた。
ひぃい! 来たよ、来たよっ!!
シャーは、慌てて立ち上がるとリーフィにしがみついてくる。仕方なくリーフィは、シャーを背後におしやった。長身のシャーは、すっかり縮こまってリーフィの背中にほとんど隠れてしまっている。
いつものように青いマントに青い服のシャーは、帯に一本の刀を差していた。本人は護身用だといっているが、それを振るう姿はおろか、抜いている姿すら誰も見た事がない。不思議な東洋の刀だというが、彼がどうしてそれを手に入れたのかはよくわからない。
そして、そんな刀を持っていても、この状況を見ると、やはりシャーは、それを全く生かせていないらしい事がよくわかった。
どうしたの?
リーフィが冷静にきくと、シャーはおどおどした口調で言った。
か、絡まれたんだよぉ……。きょ、恐喝ってやつ?
あなた、お金もっていないじゃない
お金が無くても絡まれるときは絡まれるんだよ~。そして、金がない時は、下手すると袋にされるんだよ~
わかったわ。私がとりなしてあげる
リーフィはため息まじりに言った。職業柄、酔っ払いと乱暴者をあしらうのになれたリーフィの頼もしい言葉をきいて、シャーはぱあっと顔を明るくした。
ありがと、ありがと、リーフィちゃん!
いいから、あなたは後ろへ
うん! じゃあ、任せるよ!
全く情けない台詞をはきながら、シャーはリーフィの肩をつかみ、そっと影に隠れる。
仕方がないわね……。
でも、いつの間にか助ける気になってしまうなんて、これがこの人の作戦かしら……
裏路地からばたばたと足音が聞こえる。舎弟を数人つれて飛び込んできた男は、リーフィの後ろからシャーのくるりと巻いた髪の毛が飛び出ているのを見て怒鳴った。かなりの大男で実に悪そうな顔をしていたが、声もそのイメージに劣らずなかなか大きな声である。
女の後ろに隠れてるのか!
す、すみませんっ!
バレン……
シャーが背で縮こまったとき、リーフィは大男の顔を見て、つぶやいた。それをきいて、シャーは背を伸ばした。
え、えぇぇ? お、お知り合い?
ついで、首をひょいとリーフィの後ろから出しながら言った。
嘘! こんなかーわいいリーフィちゃんとあんたみてぇなおっさんが? うわ~~! 似合わないなあ! 意外~~!
つい口が滑ったらしい。きっとバレンに睨まれて、シャーは慌てて口を閉ざした。
何の御用?
このシャーっていう男は、お金を持たずに酒場に来る事で有名な男よ。もっとマシな獲物を選んだらどう?
そうそう、そうですよ。皆様
シャーが後ろでこそこそと付け加える。だが、彼らの興味はすっかりシャーからリーフィにうつっていたようだ。
なんだ、お前がそいつと知り合いだとは思わなかったぜ?
酒場のお客さんよ。無一文だけれど……
さりげなくひどい事を言いながら、リーフィは頭からかかった布を髪の毛と一緒に跳ね上げた。
それはそうと……
お前、今月の支払いはまだだろう?
そういえば、そうね。明日までには持っていくわ
リーフィは始終、凛とした口調で返す。シャーはそうっとリーフィの背から顔を出した。バレンは、近寄っていってリーフィの肩に手をかける。それをみて、シャーは、ああっと声を上げた。
お前だったら、色々と口利いてやってもいいんだがな
冗談を言わないで。今月の分は明日返すわ
リーフィはぱんと手を跳ね除ける。
わー、振られてやんの~!
ざまァ!
さあ、こんなところで油を売ってても仕方がないでしょう? 今日のところはお帰りなさい
あ、ちょっと! 待って!
何だ? また痛めつけられたいのか?
バレンが不機嫌にシャーをにらみつけたが、今度はシャーも引かなかった。
オレの財布返してもらってないんだけど
このほとんど金の入ってない財布か?
そーです、それそれ!
シャーは、バレンの足にすがりついた。
お願いです。財布返してくださいよぉ!
こんなもんが大事なのか?
お前も物好きな奴だな
そうなんです。だから、返して!
すがりつくシャーを一瞥し、バレンは笑いを浮かべたまま、彼を思いっきり蹴っ飛ばした。
バレン!
リーフィの鋭い声で、バレンはシャーに次の一撃を加えるのをやめた。かわりに、地面に転がって、起き上がろうとしているシャーの背を踏みつけた。
はん、その腰の剣は飾り物か? 女の影にかくれやがって、全く情けねえ奴だな!
嘲笑いながら、バレンは彼を地面に押し付ける。
いた! いたい、いたいですよ~!
ぎゃあぎゃあとうるさく騒いで、ばたばた見苦しくもがいているシャーを見て、リーフィは険しい顔をした。
バレン!
おお、そんな恐い顔で睨むなよ。別嬪が台無しだぜ?
バレンは仕方がなく、足をシャーからどけた。助かったシャーは、ダメージからか、気力がなくなったのか、ばったりそこにへばったまま身動きをしない。
リーフィ、お前も結構、優しいところあんじゃねえか。……それでベリレルの借金も背負っちまったのかい?
バレン。……余計な事は言わないで
静かなリーフィの迫力に、バレンは少し気圧されたのか黙った。シャーは、ぴく、と目だけを上に上げる。
シャーの財布を返しなさい
リーフィに言われ、バレンはぱっとその布切れをシャーの上に投げた。
こんなもんを大事にするたあ、お前も相当変わり者だな。今度からは、この辺は一人でうろつかねえほうがいいぜ。へたれ野郎!
そういうと、バレンは、いくぞ、と周りのものに言った。彼らは、バレンがきびすを返すと、それぞれ嘲笑しながら去っていった。
彼らが、角の向こうに姿を消したのを確認すると、リーフィはそっとシャーの方に駆け寄った。しゃがみこんで、様子を覗き込む。
大丈夫、シャー?
いうと、シャーは、のそのそと起き上がってきた。黒い髪には、土埃がついて茶色の粉がばさばさとついている。リーフィはその頭の財布らしい布切れをとってやる。
シャーは起き上がると、髪の毛をはたきながらふうとため息をついた。地面を擦ったときについたらしい頬の傷には薄く血が滲んでいた。
いてて……。結構思いっきりやってくれたなあ
大丈夫?
うん、なんとかへーき
これ、あなたの財布?
あ、うん! ありがと!
大切なものだったの?
まぁね。……ちょっと世話になった奴にもらったものなんだ
それから、急にシャーは顔を伏せてばつが悪そうに笑った。
ごめんね~。ホントは、オレがリーフィちゃんを守らなきゃいけないのに、盾になんかしちゃって…オレ、けんか弱いのよね。この剣も、あいつが言ったとおり、飾り物だし。……お守り代わりにしかならないんだから
腰の刀を帯びなおして、柄を軽く叩く。ふっと顔を上げるシャーは、疲れたような顔で訊いた。
……オレって……情けない?
シャーも彼なりには気にしていたらしい。リーフィは、彼の頬の傷から血があふれるのを見て、ハンカチを差し出した。
……そんなことはいいから、これで顔拭いたら? ちょっと頬が切れてるわよ
リーフィは、そっとハンカチを渡す。シャーは、ありがと、と礼をいい、それからハンカチを受け取った。
じっと、リーフィを見、彼女が不審そうにすると、シャーは視線を外す。
何?
追求されて、シャーは控えめに微笑んで、少しだけ戸惑う。
リーフィちゃんって……
シャーは、顔を拭きながらそっと顔を赤らめた。
優しいんだね、ホント
リーフィは、少し眉をひそめた。シャーがいつものように、言い寄ってきたのかと思ったからである。彼女は、冷々とした口調でそっけなくいった。
お世辞言っても、なんのいいこともないわよ……
お世辞だなんて……
……ありがと。オレ、リーフィちゃんのことはほんとに優しいと思ってるんだよ。お世辞じゃないし、そうは見えないだろうけど、下心もないんだ
人のよさそうな笑みを浮かべたシャーは、髪の毛をいじった。
……ちょっと、オレ、感激しちゃったなあ
あ、そうだ! 何か困った事があったらオレにいってよ。相談に乗るよ。今、リーフィちゃん、困ってるんだよね? オレにいってみてよ!
シャーは、珍しく、世話好きそうな顔をして、リーフィの返答を待っている。だが、彼女はゆっくりと首を振った。
そうね。でも、今はいいわ。私の心配は、あなたにいってもどうしようもないことなの
そう……。うん、そうだよね、お金ないもんね、オレ……。お金で悩んでる人に、オレみたいなスカンピンが何の役にも立たないか。そういや、この財布にも一銭も入ってないんだよね、うん
気にしないで。でも、ありがとう……
リーフィが言うと、シャーはいつもの元気を取り戻す。全く、シャーという男は、ころころと顔が変わる。
リーフィが、それじゃあ、といってきびすを返すと、後ろからすぐシャーの声が追ってきた。
オレはいつでもいいからね。……困った事があったら相談してね。誰かにいうだけでもずいぶん楽になるんだっていうよ。オレでよかったら付き合うから!
ちらりと振り返ると、シャーはいつものように、軽い男に戻っていた。
変な人ね……
リーフィの背中を見送って、シャーはふうとため息をつく。頬をハンカチで押さえたままなのに気づき、彼はそれをそっと外した。
汚しちゃったなあ……
血がついたのを見て、シャーは残念そうにつぶやいた。
でも、リーフィちゃん
……オレ、あんたに本気で惚れるつもりじゃなかったんだけど…
あんたのベリレルさんは……とんでもない奴なんだぜ…
ちゃりん、と音が鳴る。財布の中の音ではない。シャーの手が刀の柄に当たった音だ。正確にいうと、彼はわざと鍔を鳴らしたのである。
あんたも、それじゃあんまりだよ……
不意に、奇妙な殺気がシャーのわずかに青い目に宿る。が、それは一瞬の事で、彼はそのままサンダルを履いた足を返した。
リーフィと反対側に歩き出していくシャーは、すでにいつもの臆病な元のままのシャーだった。