アンタなんばしよっとね!

私は叫んだ。

危なかろーもん!はよ降りてきぃ!

私が叫んだ先―――「電柱」の上で少女はこちらを見据えた後、無表情にくるりと回って見せた。風流人を自負している私の事である。セーラーのスカートが風で優雅に靡いているその様は、場所が場所でなければ初夏の到来を感じて一句詠んだやも知れぬ。ああ、勿体ない。なんという機会の損失。しかし道徳的に考えればそんな事をしている暇はない。なんとかして彼女を地に降ろさねば。
そうこう考えているうちにひとつ突風が吹く。線の細い少女がぐらりと傾く。心臓が跳ね上がる。しかし、少女は、見事に、持ち直すのである。一連の動きに我ながらひぃ、と日本男児にあるまじき声を上げてしまった。

なんだ。この程度で音をあげるとは、じい様も案外大したことないのだな

少女は目を細めて笑った。あ。この笑い方は、ばあ様によく似ている。私は見上げる首に疲れを感じながら、孫の肝の太さに舌を巻いた。

私は、とうに死んだ身である。

ただ逝ったのは、この時代では少し若すぎる年齢かもしれない。58歳である。娘がひとりいた。娘の結婚式に出席することを夢見ていたが、それも叶わぬまま、病床にて死んだ。

そこからの此岸の事は断片的に知っている。私のような者は、お盆のときにふらりと彼岸から戻ってきて此岸の様子を知るのだ。
(便宜上『彼岸』だとか『此岸』だとか使っているが、私どもにしたら概念が全くの逆である。今、その事に気が付いて私はくすりと笑った)

ある時の盆、不愛想だった娘になんとか嫁の貰い手が付いたことを知った。父としては有難かった。
結婚式には当然出席すること能わなかったが、翌年のお盆に見た娘は妊娠していた。その時に旦那殿も拝見した。眉の下がった、人の好さそうな旦那殿であった。彼に娘が守れるのかどうかは甚だ疑問ではあったが、少なくとも娘を傷つけることは無さそうだとお見受けした。以来、安心して毎年娘家族の顔を見に来ている。孫娘も無事生まれた。家族は家庭は優しく温かく円熟していく。死者になって殊更に思う。生の匂いの温かい事。生者たちに幸あれと彼岸でただ願うばかりだった。

そうして迎えた私の十八回忌。
そのお盆の手前、初夏の事。

・・・・・・・・・

・・・・・・・・

・・・・・・・・

ん?

ここまで叙述したのだ、あなた方にはもうご理解いただいている事と思う。私は、此岸にいた。見知らぬ青年の実体を伴って。

・・・?!

目の前に居るのは紛うことなき我が孫娘である。不測の事態に驚いているのは孫娘も同じのようで、どうも私に話しかけあぐねているようだった。(―――これは後で聞いた話なのだが、孫娘はこの青年に所謂ナンパ、をされていたようなのだった。あまりにもしつこいので啖呵を切ってやろうと口を開いたところ、青年―――その時には既に私なのだが―――が、阿呆よろしく目を左右に動かし始めたので吃驚して閉口したところだったとの事。)

孫娘を初めて正面に見据え、一寸考えた。そしてこれは「あるまじき事」だと思い至り、私はこの場に居る己が怖くなった。一体天はどうしたというのか。
可愛い孫娘にも此岸のあらゆる物にも触れぬよう、できるだけ痕跡を遺さぬようにして私はおそるおそる後退した。空気となれ、己。死者が生者に関わる事など万が一にもあってはならぬ。美しく温かく光あふれる生者に、どうして死者たる私が触れられよう。

しかし神様―――私は思う。

(神様。仏様。可愛い孫娘を存在せぬ網膜の奥に焼き付ける事くらいはお許し願う)

あるまじき事ではあったが、こうして孫娘と相対せた一瞬の軌跡を私は嬉しく思う。
意を決して踵を返した。その時である。

逃げる気か?貴様

我が孫娘からとてつもなくドスの聞いた声がした。そうこの声は間違いなく孫娘のもの。私は振り返らざるを得なかった。悲しき哉、この声には服従せよと、私のDNAが叫んでいるのだった。

ペラペラと話していたと思ったら、勝ち目がないと見るや否や、途端にだんまりか。男の風上にも置けぬ輩よ

怖いのひとこと。ホラーとはまた違った支配される根源的恐怖。その時私は、此岸がどうとか彼岸がどうとか、ものを考える余裕を失っていた。
私は黙って彼女の次の言葉を待つ。

しかし

そのような男も悪くない

んあっ?!

私は既製品には興味が無いのだ。男とは、自分で育ててこそ。貴様もそうは思わぬか

思いませんけど……

その点貴様には「改良」の余地があるようだ。いいぞ、貴様。悪くない。育て甲斐がある

先ほど私と一緒にいたいと申したな?良かろう。叶えてやる。私好みにしごいてやるから泣いて喜ぶが良いぞ

いや

ちょっと待ってくれ

良い顔

いけん

いかん?何故だ

俺、アンタの爺ちゃんやけん……

はっ?

ああ~言ってしまった

………やけん

俺はアンタの爺ちゃんち言うとろーもん!アンタのそげん性癖に身内ば付き合わさせる気ね!?!?!!

爺ちゃんは悲しか!!!
孫娘のそげん際どい性癖!!!
婆ちゃんの血ね!?!!!婆ちゃんの血やろ!!!!!男を嗜虐する事に快感ば覚えるげな……

煩い

はい

……この従順さ……やはりじい様だというのか………?

いやあ~ははっ
直接会った事げな無いのに、そげん形で俺が伝わっとうのは悲しかね

悲しかあ……

じい様

ん?

じい様

んん?

ふふ。いや。なんでもありません。あなたの孫娘は、あなたと会話できて嬉しゅうございます

………なんね、この子は。

その後、なぜお彼岸でもないのに此岸にいるのだとか、いつまでこちらに居られるのかだとか、孫娘に尋問のようにして質問を浴びせられた。お母さんの子供時代はどうだったの。おばあ様はどんな方だったの。私の事を見てどんな印象を持った。

私はそのひとつひとつに丁寧に答えていった。何もない筈の身体がぽつりぽつりと満たされてゆく。答えながら、私は知る。やはりこの偶然は天の間違いで、もう少しで彼岸に帰らねばならぬ事。孫娘とこうして会話できるのもあともう少しである事。

少なくとも明日には、俺は消えとるやろう

でも、それで丁度良いやろ、神様仏様。あり得ん事に巻き込まれた補填たい。
この日が終わるまでは俺にこの子と語らしといて。

そんな或る日の奇跡の話

明日には消える

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